2006年10月29日(日)10時・航空自衛隊浜松基地要請行動報告
NO!イラク派兵・NO!ブルーインパルス
以下の要請をおこないました。今回の特徴は基地側警衛隊が要請団に対し過剰な警備をおこない、請願権を侵害する威圧を加えたことです。
警衛隊は要請団が集まったバス停近くまでやってきて情報を収集し、基地正門前で基地側担当官に対し要請を始めようとすると、戦闘服や迷彩服を含む警衛隊10人ほどが安全確保を語って基地正門から外に出て要請団に密着してきました。威嚇的過剰警備であり、請願権の侵害であると抗議すると、担当官が警衛隊を基地内へと戻しましたが、その責任を追及しても警衛責任者は姿を見せませんでした。わたしたちは以下の要請書に「一基地警衛隊が門外に出て要請団体をとりかこんだことの謝罪を求めます」という一項目を追加しました。
2003年には浜松基地では反戦団体が基地内に潜入することを想定して銃を使っての訓練がおこなわれたこともあります。このような教育を受けている自衛隊員にとって、反戦団体は「敵」なのでしょうが、このような意識を刷り込んできた自衛隊の教育の責任は厳しく問われなければなりません。
また右翼団体の宣伝カーが現れ、「自衛隊員がんばれ」「自衛隊活動を応援しよう」「共産党主義を撲滅しよう」と叫びました。
基地前での平和広報 正門前に出てきて威圧する警衛隊員
基地前での要請行動・以下の文を読み、請願権への威圧に抗議しました
日本国首相様 2006年10月29日
浜松基地司令様 人権平和浜松・NO!AWACSの会
浜松基地からの第19次イラク派兵に抗議しその撤兵を求め、
AWACSの朝鮮監視飛行の中止と、
ブルーインパルスなどの軍事広報の中止を求める要請書
2006年8月7日浜松基地から自衛隊員3人がイラクに向けて出発させられました。この派兵は空自第10次後段のものであり、浜松からは第19次の派兵となります。浜松から派兵された隊員は100人ほどとなります。さらに11月には空自第11次の派兵がおこなわれようとしています。
空自は陸自の撤兵以後、米軍の後方支援の部隊として組み込まれ、7月末以降、イラク北部への飛行を繰り返すようになりました。これらは「イラク復興支援活動」ではなく米軍の戦闘支援活動となり、またそれは戦闘地域への派兵となり、日本国憲法のみならずイラク特措法にも反するものとなっています。わたしたちはイラクからの即時の撤兵を求めます。
10月はじめの朝鮮の核実験発表以後、日本政府は「経済制裁」や「周辺事態」を口走り、AWACSをも投入して、朝鮮半島の監視を強化しています。すでにイラク戦争開戦以来、この監視はおこなわれてきましたが、今回の実験でさらに監視が強化されています。政府は核実験をもってすぐに戦時ときめつけて戦争や核武装までをあおる発言を繰り返していますが、このような政府の動きは危険です。AWACSの情報から戦争が始まるという状況を作ってはならず、戦争発動につながりかねないAWACSの朝鮮監視飛行は中止すべきです。戦争態勢を整える内閣のもとでは、戦争動員によって自衛官の命が使い捨てられることになります。軍事的な威嚇ではなく、話し合いをすすめて東アジアの軍縮に向かう道筋をつくるべきです。
浜松基地航空祭では1999年にブルーインパルスの曲技飛行を再開しました。1982年の浜松での墜落事故以来、浜松での曲技飛行は中止されてきましたが、新ガイドライン下でのAWACS配備や広報館建設などの軍拡の中で再開されるようになったのです。この飛行の本質は軍事宣伝であり、浜松を軍事的な拠点として強化することです。基地周辺は住宅密集地となり、安全管理上も危険です。航空祭前には異様な騒音が基地周辺にとどろき、市民の生活環境を侵害します。たとえば10月26日昼の低空飛行での騒音は激しいものでした。軍事文化を宣伝する航空祭やブルーインパルスの飛行は中止すべきです。
さらに、浜松基地にはあらたにPAC3が配備されようとしています。この配備は浜松をミサイル防衛の拠点とするものであり、基地機能の強化です。かつて浜松は陸軍爆撃の拠点となり、浜松から派兵された部隊が重慶をはじめアジア各地を空爆しました。この歴史からも、わたしたちは浜松を再び戦争の拠点とすべきではないと考えます。PAC3の配備は中止すべきです。
よって、基地司令が以下の項目の実現に向けて具申することと、首相がそれらの実現に向けて尽力することを、ここに要請します。
一 浜松からのイラク派兵を中止し、全部隊のイラクからの撤兵をおこなうこと
一 AWACSの朝鮮監視飛行を中止すること
一 市民への軍事文化の宣伝をおこなわないこと
一 PAC3配備などのミサイル防衛計画を中止すること
一 朝鮮半島での戦争を挑発しないこと
追加
一 基地警衛隊が門外に出て要請団体をとりかこんだことの謝罪を求めます