新たな横浜事件を許さない!静岡集会2007629

 

「戦争挑発者の非人間性を暴露しその息の根をとめる大きな闘いへ」

629日「新たな横浜事件を許さない」をテーマに静岡市内で集会がもたれた。集会では、荻野富士夫さんが横浜事件について講演し、弁護士の岡山未央子さんが再審決定以後の問題点を報告し、遺族の木村まきさんが再審判決を批判した。また、弁護士の中村順英さんが共謀罪の問題点を示し、袴田厳さんの再審請求運動をすすめる家族の袴田秀子さんが運動への支援を訴えた。

横浜事件とは1942年から45年にかけて「中央公論」や「改造」などの編集者や研究者が治安維持法違反容疑で60人以上が検挙され、そのうち30人以上が起訴され、多くが戦後に有罪とされたものである。横浜事件はこれらの戦時の言論弾圧を総称するものであり、拷問などで4人が獄中死を強いられた.

編集者だった木村亨さんらが1980年代から再審を請求する運動をすすめ、2003年になって横浜地裁は再審の開始を決定した。再審は2005年に、高裁が検察による即時抗告を棄却したことで確定した。しかし、20062月横浜地裁は無罪判決を出すのではなく、「免訴」を判決し、高裁も2007年1月にこの免訴判決を支持した。集会はこのような経過の中でもたれた。

荻野さんははじめに、この事件の発端となった論文を書いた細川嘉六が、戦後「ファシスト戦争挑発者どもの残虐極まりない非人間性を徹底的に暴露して、彼らの息の根をとめる、その新しい大きな闘いに参画しなければならない」と記したメモを紹介した。荻野さんは東京高裁の控訴棄却判決(免訴)を批判したうえで、共産党債権準備会運動へとフレームアップされていった横浜事件の全体像を詳細に示した。

さらに荻野さんは「大東亜治安体制」の実態にも言及し、治安維持法によって、日本国内では無期懲役になっても朝鮮では死刑判決になり、満州では現場で処刑されていったことを示した。朝鮮や満州では治安維持法が独立抵抗運動への弾圧の武器として猛威を振るった。日本では起訴率が10パーセントであっても朝鮮では30パーセントに及んだ。荻野さんは、治安体制を日本の植民地・占領地での実態を踏まえて「大東亜治安体制」としてとらえ、総合的に見る視点を提示した。治安維持法の最初の発動が1925年の朝鮮での朝鮮共産党事件であり、当時の最高刑10年が課されたことは記憶されねばならない。

荻野さんが集会で示した資料をみると、「満州国」治安維持法の制定は194112月であり、熱河地区での1943年の数値をみれば9000人近くが検挙されている。熱河の「粛正工作」では死刑1700人ともいう。

これらの史料は、侵略の前線での「治安維持」という名の弾圧・殺戮のありようを踏まえて治安維持法を考えていく必要があることを示している。熱河で殺された一人ひとりの名前を拾うことからこの戦争と治安弾圧の歴史を再構成してくことが必要なのだと思う。

横浜事件は治安維持法下の冤罪事件であった。被害者の尊厳はいまだ回復されていない。裁かれるべきは裁判所自身、国家自身であるが、その裁かれるべき国家自身が過去を改ざんし、共謀罪制定をも狙ってグローバルな治安体制を構築し、それによって民衆弾圧をもくろんでいる。横浜事件の現在は、それらのことがらをも批判する。集会場は、そのような時代を許すことなく、被害者の木村さんが生前言っていたように「とことん」闘っていこうという熱気に包まれた。

再審請求人の故・板井庄作さんは次のようにいう。「過去の誤りを正す闘いは現在の誤りを正す闘いである。過去の誤りを正さなければ正しい現在の保証はない。戦後50年以上を過ぎていまだにその歴史認識が問われている国が日本のほかにあるだろうか?確かに日本は経済大国になった。しかし道徳的・政治的には依然小国である。アジア・世界各国国民の信頼を勝ち得ていない」と。

歴史を改ざんし、憲法を破壊する動きが強まる現在、反芻すべき言葉であると思う。                           (T