「戦争の実相を次世代に継承するために」

    −第12回戦争遺跡保存全国シンポジウム愛知大会開催−

                            

 

 200889日から11日にかけて、名古屋で第12回戦争遺跡保存全国シンポジウムが開催された。主催は戦争遺跡保存全国ネットワーク。愛知大会のテーマは「戦争の事実をどのように伝えるのか、愛知の戦争遺跡の調査・研究を通じて保存・継承を考える」である。

今回の集会は、人から物へと戦争の記憶が移行する中で、戦争資料や戦争遺跡を通じて戦争の実相を正しく次世代に継承することが重要になった。他方、歴史歪曲の動きが強まり、教育現場での実践が困難になりつつある。そのなかで、市民がどのように加害と被害の惨状を語り伝え、再び戦争の惨禍を招かないために何をすべきか、という問題意識で開催された。

89日の全体集会では「戦争遺跡保存運動の到達点と課題」の問題提起があり、続いて、大江岩波訴訟支援、名古屋大学平和憲章の説明、豊川海軍工廠の保存などの報告がおこなわれた。810日の分科会は、保存運動、調査・保存方法、平和博物館と次世代への継承の3テーマで持たれた。811日には名古屋、豊川、半田などの戦争遺跡のフィールドワークがもたれた。

全体集会での「戦争遺跡保存運動の到達点と課題」では、全国ネットワーク運営委員会が、次のように現状と課題をまとめた。

小泉政権・安倍政権の政治で戦争加担がすすんだが、2008年には名古屋高裁でイラクでの活動を違憲とする判決を得た。沖縄戦「集団自決」の検定は「軍隊が住民を守らない」という歴史的事実を隠す動きである。

戦争遺跡保存運動の前史には、1990年の南風原陸軍病院壕の町条例での文化財指定、95年の文化財指定基準の改正、96年の原爆ドームの世界遺産指定などがある。 

戦争遺跡への文化財指定が拡大され、98年には文化庁が近代遺跡の全国調査をおこなった。その調査には政治軍事の分野も入り、2002年からは現地調査もおこなわれた。文化庁はこの調査を基に2008年度に『近代遺跡調査9政治軍事』を発刊する予定である。

20054月からは改正された文化財保護法が施行され、建造物以外の遺構や地下壕も史跡として登録されるようになった。20084月現在の戦争遺跡の文化財指定・登録状況をみると、全国ネットが把握したものでは145件ほどになる。

戦争遺跡保存の団体も増加し、保存や公開をめぐっての活動がすすんだ。平和博物館では、英霊顕彰ではなく戦争の実相を学ぶ場にとする方向での展示がすすんでいる。日本の侵略・占領・植民地支配などを示す海外の戦争遺跡についての共同調査もすすみ、加害・被害・抵抗の全体像の解明にむけての取り組みが始まっている。

戦争遺跡の破壊・消滅については、特殊地下壕の封鎖や埋め戻しがすすみ、戦争遺跡の取り壊しもある。たとえば、北海道の旧北部司令部防空指揮所、岩手の旧陸軍騎兵第3旅団兵舎などが取り壊された。

戦争遺跡を「ピースメッセンジャー」として捉え、戦争の加害・被害・抵抗の「物証」として認識し、調査・保存すべきである。国家の視点ではなく市民の視点に立つこと、科学的な調査研究に立脚すること、どのような未来をつくるのか、その責任を担うような保存運動をおこなうことが求められる。

以上が「戦争遺跡保存運動の到達点と課題」での提起の要約である。今も残る遺跡を活用して戦争の実相を伝えていくことが求められているわけである。

戦争遺跡は戦争賛美にも利用される。生命の大切さ、人間の尊厳、真実の追及、アジアの非武装平和といった視点を持って、戦争遺跡を人権と平和の実現にむけて活用しくことができればと思う。

浜松にも陸軍航空基地関連遺跡群、浜松空襲関係遺跡が数多く存在する。それらの遺跡を捉えなおしていきたい。                         (竹