08.10.26浜松基地自衛官人権裁判を支える会結成総会
10.27第3回口頭弁論
●浜松基地自衛官人権裁判を支える会結成総会
2008年10月26日、
集会では、自衛官の自殺問題、佐世保「さわぎり」裁判、横須賀「たちかぜ」裁判の順に報告がなされ、浜松基地の裁判の経過と争点が説明された。つぎに、支える会の組織と運動の案が承認され、原告が訴訟にいたった経過を述べて、裁判への支援をよびかけた。
自衛官の自殺問題については、元国会議員の吉岡吉典さんが、この10年の間、自衛隊では700人に及ぶ自殺者が出たこと、この問題への取り組みは「自衛官の人権と生命を守る運動」であること、自衛隊は情報を隠蔽し責任をとろうとしないが、「国の安全責任」を問い続けること、隊内でのいじめは「指導の行過ぎ」ではなく「違法行為」であることを認知させるなどの課題を指摘した。
「さわぎり」裁判の報告では、原告が8月25日に高裁で勝訴した経過を話した。原告は、自衛隊側は報告書をマスコミに紹介しても遺族には示さなかったこと、記者から示された報告書には息子は「事故者B」と記され、悪口が記されていたこと、息子の生きた証さえ「事故者B」とされて抹殺されていくことに対して、行動に立ち上がったこと、弁護士を訪ねて相談して提訴となり、支援運動が広範に形成されたこと、地裁では敗訴したが控訴して勝利したこと、受けた恩を忘れずにほかの裁判を支援したいことなどを語った。
「たちかぜ」裁判の原告は、自衛隊への就職をすすめたことが「死のレールを引く」ことになってしまったことを悔い、息子が教育課程を経て「たちかぜ」の部隊に配属されたが、その中でいじめに会い、列車に飛び込んで自殺してしまった経過を話した。原告は、自衛隊側の事故への対応が誠実さを欠き、「はらわたが煮えくり返るようなことをされた」ことに不満や反発をもち、息子の誕生日である2年前の4月に提訴したと話し、「支援が心のよりどころ」と語った。
両原告の涙ながらの訴えは、訴訟にいたるまでの原告の深い悲しみとともに、息子の死を蹂躙する自衛隊側の対応への強い怒りと被害者側の横断的な連帯の形成を示すものであった。その想いは会場の人々の心をとらえた。
自衛官の自殺裁判を担当してきた長崎の龍田弁護士は、問題を「兵士の人権」論として整理し、兵士の人権が守られなければ戦闘組織は成り立たず、持続的に戦えなくなる、自衛隊は人権を機軸に再編成されるべきとした。さらに、人権侵害は生命・健康への安全配慮義務違反であり、その不法行為に対しては謝罪・賠償とともに人権侵害の排除と将来の予防の視点が不可欠とし、国民の側からのコントロールが必要であると語った。そして、「さわぎり」裁判では、自衛隊内の人権侵害を構造的な問題として争ったが、単発的なものとされた。しかし、安全配慮義務違反は認めさせた。裁判官の意識を変えていくには国民の目が必要であり、自己の問題として捉えて支援してほしいと呼びかけた。
浜松基地人権裁判の主任弁護人の塩沢さんは、自衛隊が米軍と比べても2倍の自殺率という現状を紹介し、浜松基地内での先輩隊員によるパワハラの実態を話し、自己を卑下するように追い込まれていった状況を説明した。また、当時の写真を紹介し、クウェートに派遣されていた時のほうがパワハラから逃れていたために表情がいいことを示した。そして自衛隊側が事実を認めてもいじめとみなさず、「指導の逸脱」として責任をとろうとしないこと、公表された調査報告書や供述調書が黒塗りであり、事実が隠蔽されていることなどを批判した。また、争点を整理し、心理的な負荷を過度に与えた違法行為=いじめがあったことの認定、自殺といじめの因果関係、自殺の予測可能性などをあげた。最後に、原告の熱い想いを支援し、勝利を信じて闘っていくことを語った。
これらの発言の後、支える会の活動方針と組織の提案がおこなわれ、支える会が発足した。支える会からは、当面傍聴席を埋め、会員数を増やしていくことがよびかけられた。
この支える会の発足を受けて、浜松基地裁判の原告が挨拶した。
原告は無念を晴らすために調停を拒否して裁判に立ち上がった経過を話し、いじめを「指導」とみなす認識、自殺を「自然淘汰」とみなす発想、防衛省側の隠蔽体質などを批判した。自衛隊側は謝罪することなく、見舞金10万円を提示して収拾しようとしたが、これに対して遺族の闘いが始まったのだった。
集会での原告たちの発言は、被害者の尊厳が回復されることなく、さらにその尊厳が侵され、加害者側は平然とし、その罪を認めようとせずに隠蔽を続けていること、それに対応してきた遺族の側の悲しみと怒りの蓄積が尊厳回復にむけての想いとなり、「公正ではない」「おかしい」「うそだ」「悔しい」「無念を晴らしたい」という気持ちが渦巻くように吹きあがり、提訴につながっていったことを示している。
集会では代表のひとりである桑山さん(住職)が「殺すなかれ、殺さしむなかれ」という仏教の教えを提示しながら、人の心を傷つけ自殺に追いやることの誤りを指摘し、人間の命が大切にされる社会の実現に向けての思いを語った。そして裁判に勝利し、「人生は美しい」ことを実感しようと呼びかけた。
●10.27第3回口頭弁論
集会の翌日の10月27日、浜松地裁で第3回の口頭弁論がもたれ、傍聴席は一杯になった。原告側は、自衛隊側が黒塗りの報告書と調書を出してきたことに対し、誠実な対応と証拠の開示を強く求めた。裁判長も出せるものは出すようにと、自衛隊側に求めた。出された供述調書を見ると、表題の「2等空曹」の以外の文字はすべて黒塗りとされ、情報が隠蔽されていた。
弁論後、弁護士会館で報告集会がもたれた。原告側弁護団は、供述調書と調査報告書が黒塗りであるが、これらは最も重要な証拠であること、自衛隊側が裁判所の命令が出る前に自主的に開示することこそ誠実な対応であるとし、「たちかぜ」裁判では2年かけて、主要部分の開示をかちとってきた例を示した。「たちかぜ」や「さわぎり」の裁判の原告も「悔しさをエネルギーに」と支援の発言をおこなった。
浜松裁判の原告である被害者の父が挨拶にたち、サイパンで生まれたこと、父がサイパンに移民し、サイパン戦の際には母が傷つきながらも赤子であった自分を守って助けたこと、成長して東京に集団就職し、自衛隊に入隊したこと、浜松基地でも整備の仕事を経験したこと、自身の自衛隊生活の中ではいじめはなかったこと、息子が自殺した後、自衛隊側が息子の悪口ばかりを言うこと、その中で裁判に立ち上がったことを話した。そして、母はケガをしながら助けてくれたのに私は息子がいじめられても助けることができなかった、「優秀でなければ死ね」のありようでいいのか、相手にも反省してもらいたいと想いを語った。
遺族の強く熱い想いを受け、集会参加者は大きな拍手を以って支援と勝利に向けての決意を確認しあった。 (竹内)