NO!AWACSの会・浜松
週刊金曜日2008年12月刊の『基地を持つ自治体の闘い それでも岩国は負けない 』に以下の文を寄稿しました。
http://www.kinyobi.co.jp/publish/publish_detail.php?no=425
こんにちは、岩国の皆さん、
二〇〇八年三月に岩国と呉を見学しました。岩国では、騒音を口実に愛宕山を破壊して沖合の埋め立てがすすめられて一〇年、艦船の接岸もできる巨大な軍事基地の建設がすすめられ、空母艦載機や空中給油機の移駐も計画され、米軍の出撃拠点として基地が強化されています。呉でも「おおすみ」などの強襲揚陸艦はすでに三隻が配備され、アフガニスタン・イラクへと派兵が繰り返されるなど、海上自衛隊の基地機能が強化され、戦艦大和や潜水艦を利用しての軍事文化も宣伝されていました。
けれどもそのなかで、艦載機の移駐や米軍住宅の建設に反対し、また爆音訴訟を準備するなど、市民が平和に向けての抵抗の運動をすすめていることを知りました。掲げられた「怒」の文字、「おはよう愛宕山」という手書きの新聞や呉の平和船団などは軍事基地に比べれば小さなものですが、その平和への情熱はどのような力でもねじ伏せることはできないものであると思います。皆さんの活動は二一世紀の新たなグローバルな平和の形成の起点であると思います。
さて、浜松の軍事基地について記します。浜松では一九二〇年代半ばに陸軍の歩兵部隊に代わって航空爆撃部隊がおかれました。この部隊からつぎつぎに爆撃隊が派兵され、中国をはじめアジア各地を空爆しました。たとえば重慶や西安、シンガポールやコルカタなどの爆撃もおこなったのです。航空毒ガス戦部隊や特攻部隊も編成されました。また、浜松の工場は軍需生産を担い、そのため米軍による爆撃や艦砲射撃によって三五〇〇人以上の市民が命を奪われました。
戦後は航空自衛隊浜松基地がおかれ、飛行教育や整備教育がおこなわれてきました。一九九〇年代末にはAWACS(空中警戒管制機)が配備されて実戦に向けての機能が強化され、さらに空自の広報館が置かれ、ブルーインパルスの曲技飛行が再開されるなど、軍事文化の宣伝拠点にもなりました。また、浜松からイラクへと一〇〇人を超える隊員が派兵されました。二〇〇八年にはミサイル防衛計画によるPAC3ミサイルも配備されました。
このような軍拡と派兵のなかで、AWACSやミサイル防衛にNO!の声をあげ、浜松を再び戦争と派兵の拠点にするな!と活動してきました。軍隊や基地のない社会を求め、軍事文化を問い、軍事基地や空襲を物語る地域の戦争遺跡を民衆の視点で捉えなおす活動もおこなっています。
海外派兵が繰り返される中で、自衛隊内での管理が強化され、パワハラも増え、自殺者も急増しています。兵士の人権擁護が大切な課題になっています。二〇〇八年には浜松基地内のパワハラによって死を強いられた自衛隊員の遺族がその尊厳回復を求めて裁判に起ちました。この遺族の想いを受けとめて、裁判を支援しています。
今進められているグローバル戦争の動きは、宇宙覇権と先制攻撃、ミサイル防衛の推進、情報・諜報戦などを特徴としています。このグローバルな軍事の展開のために、日米の軍事的統合と一体化がすすめられています。浜松基地のAWACSとPAC3はこの軍事統合を象徴しています。宇宙空間を軍事利用し、情報を一体化させての戦争は世界各地で多くの民衆を殺戮しています。このような戦争はグローバルな反戦平和の力によって変革されるべきです。
浜松の地からひとつひとつ、平和にむけての基礎を積み上げていきたいと思います。その営みがいつか岩国の皆さんの平和に向けての営みと出会うことができればと思います。皆さんのご活躍・ご健康をお祈りします。