東海地方へのPAC3配備           

 1998年から99年にかけて航空自衛隊浜松基地へと空中警戒管制機(AWACS・エーワックス)が配備された。それから10年を経た20085月、今度は浜松基地へとパトリオットミサイルの改良型のPAC3(パックスリー)が配備された。

この10年の動きをみると、1999年にはAWACSの配備とともに航空自衛隊の広報館が建設され、1982年の墜落事故以後中断されていたブルーインパルスの曲技飛行も再開された。2000年入るとAWACSは日米共同訓練に投入され、さらにグアムやアラスカでの共同訓練に派兵された。また、朝鮮半島への監視行動やワールドカップやサミットへの治安出動にも使われた。

2003年にイラク戦争が始まると、自衛隊の海外派兵がおこなわれるようになった。小牧基地のC130は浜松基地で空色に塗装され、浜松基地からも33派にわたり122人がイラクに派兵された。浜松から派兵されて帰国した自衛官が、隊内でのパワハラによって自殺し、遺族が損害賠償を求める裁判も2008年に始まった。

この10年の間に、浜松は派兵の拠点とされ、実際に派兵がおこなわれたわけであるが、新たな人権回復のたたかいも起きている。

現実の軍拡と派兵への抗議行動とともに、過去の侵略戦争において浜松の陸軍爆撃隊がアジア各地でおこなった爆撃の歴史、浜松での毒ガス訓練や戦争史跡の調査、米軍の空爆による死亡者名簿の作成などをすすめてきたが、日本軍のアジア各地での爆撃については新たな発見があった。

たとえば、浜松の陸軍飛行学校はチチハル方面でも毒ガスの投下研究をおこなっていたが、その研究や訓練は実戦に直結するものであり、チチハルで今も被害をもたらしている遺棄毒ガス弾に関するものもあった。

さて、近年アメリカは宇宙支配をテコにグローバルな戦争をすすめてきたが、その「予防先制攻撃」を支えるものが「ミサイル防衛」であり、そのための地上迎撃ミサイルがPAC3である。アメリカ軍での「地球規模攻撃司令部(グローバルストライクコマンド)」の設立はこのグローバル戦争を象徴するものであると思う。

PAC320085月に浜松基地へと秘密裡に配備された。市民への広報は配備後だった。浜松基地には高射教導隊と術科学校があり、配備されたPAC3は教育と整備用である。配備された直後の9月に、アメリカのニューメキシコ州ホワイトサンズ射場で浜松基地のPAC3を使っての発射実験もおこなわれた。

ミサイル防衛とPAC3配備に反対する動きのなかで、20092月に名古屋・岐阜・三重・浜松などの市民団体が「パトリオットミサイル配備に反対する東海交流会」を結成し、集会を持った。2月末には、PAC3のライセンス生産をおこなっている三菱重工の小牧工場から岐阜基地へと、警官を300人も動員して、深夜、秘密裡にPAC3が配備された。これに対し、東海交流会は翌日に抗議の申し入れをおこなった。

 PAC3は実戦ではアメリカの宇宙支配の下での米日の共同指揮によって使用される。このようなPAC3の使用は集団的自衛権の行使であり、交戦権の行使である。この使用は日本国憲法第9条を破壊する。まさに「PAC3の標的は第9条」である。そのような動きに抗し、グローバルな戦争の時代をグローバルな平和の時代に変えていくために、過去の歴史に学び、浜松を再び派兵の拠点としない取り組みを地域からすすめていきたいと思う。(T)