09・6・14浜松空襲体験を語り合う会

 

6月14日、浜松空襲を語り合う会が持たれ、140人が参加した。集会では元兵士の鈴木緑郎さんと矢谷慶治さんが空襲時の浜松の状況について話した。

鈴木さんは83歳、「身ごもりて焼けただれたる裸婦抱きトタン重ねて祈り捧げり」という自身の短歌を示しながら、死体の収容にあたった体験を語った。鈴木さんは、死体があまりにも多く、抱えて片付けたが、腐りかかったすごい臭いがして、むごかった。軍国主義教育の中で、軍人と死ぬことが生きがいになった。兄は戦死したが、それが国を挙げてたたえられた。不況の後に戦争になったが、そうなってはいけないと語った。

矢谷さんも83歳、当時は19歳だった。矢谷さんはいう。18歳8ヶ月で徴兵検査を受けた。1945年4月に護古第3部隊に入隊し、北浜村の貴布禰小におかれた通信部隊にいた。トラックで市内に入り、焼死体を片付けた。炭化した遺体を遺族が涙ながらに片つけていた。7月末には芳川小に移動した。祖国防衛のために砂丘に骨を埋める決意だった。上官の命令は天皇の命令とされ、人間としての感覚が麻痺していた。肉弾攻撃の対応であり、命をないがしろにした訓練がおこなわれた。憎しみあい殺しあう戦争を繰り返してはならない。

 2人の話の後、戦災障害者の会の方が、元魚町での焼夷弾を受け、上半身がやけどし、断片が頭に入った体験を語るなど、参加した市民が体験を語った。会場では「浜松空襲体験の記録」の冊子も紹介された。

最後に主催者が、最近の核武装論や敵基地攻撃論など戦争を煽る動きがあることを批判し、平和と憲法9条を擁護した。             (T)