グローバリゼーションと天皇制 この20年を問う 
   北野誉さんの話 
2009.9.27浜松

 

浜松で「異議あり!共同行動」の北野誉さんを招いて学習会を持った。天皇制が民主主義に反し、暴力を伴う装置であるとともに、国民統合のための装置であり、人間の内心を奴隷化するものであることを再確認した集いだった。以下は北野さんの発言の要約(文責・人権平和浜松)。

 

こんにちは、北野誉です。「天皇即位20年奉祝」に異議あり!えーかげんにせーよ共同行動、反天皇制運動連絡会で活動しています。

●「アキヒト・ミチコ天皇制」20年の現在

2009年は「アキヒト・ミチコ天皇制」になって20年目になります。今年も東京で8・15行動のかたちで、靖国神社に向かってデモ行進をおこなったのですが、今年の特徴はこのデモに対して「草の根」右翼が300人と大量に登場したことです。かれらは排外主義と天皇主義を結合させ、「主権回復を目指す会」や「在日特権を許さない会」といった組織をつくり、「行動する保守」と称して登場しています。従来の右翼とネット右翼が合流するかたちで、普通の市民の顔をよそおいながら、政治的な行動をとっています。

それはファシズムの萌芽であり、手におえないものになる前に抑えなければならないという評価もあります。ファシズムと言いきってしまうことには私自身は躊躇があります。しかし、このような動きは、天皇主義が排外主義のひとつの源泉であり続けていることを示しています。他方、政権交代にみられるように自民党の右翼政治は破綻しましたから、その状況への危機意識がこのような行動をエスカレートさせているともいえるでしょう。

20年奉祝」の動きを見ますと、630日に今年の1112日を休日にするという法案が出されましたが、衆議院が解散して総選挙になるという状況で、廃案になりました。10月半ば以降の臨時国会で再提出されるかもしれませんが、1112日に間に合うのでしょうか。1112日に政府が「天皇在位20年奉祝記念式典」をおこなうことはすでに決定済みです。

各省庁も記念行事を計画しています。記念切手・貨幣の発行、美術館の無料開館、記念植樹や記念シンポジウム、巡視船艇や自衛艦のライトアップなどさまざまな計画があり、国体や海つくり大会、障害者スポーツ大会なども「天皇在位20年」を銘打っておこなわれます。総務省は地方自治体には祝意の機運を高める取り組みを求めています。神奈川・新潟・石川・広島・福岡・長崎・宮崎・秋田・岡山・富山などの地方議会では「賀詞奉呈」決議をあげています。

日本会議などは「草の根」の奉祝運動を画策していますが、それほど盛り上がっているとはいえません。しかし問題は、名目的、横並び的なムードです。天皇制は「無根拠」であるぶん、「柔軟」な様相を示しますが、これは戦後一貫しているものです。ただ、象徴天皇制の「完成形態」ともいうべき「アキヒト・ミチコ天皇制」がいま「危機」にあることは事実です。天皇Xデーも近づいているはずですが、次の天皇像がイメージできない状況であり、次の皇后となるマサコの病気、天皇一家の親子対立もある。それに対し、右派の論客がアキヒト・ミチコに対比してナルヒト・マサコ批判をおこなっています。

●「アキヒト・ミチコ天皇制」の20年の歴史

「アキヒト・ミチコ天皇制」は「開かれた皇室」「外交」「平和」のイメージを前面に出して登場しました。災害被災地への慰問や低い目線で会話するスタイルはヒロヒト天皇とは異なるものでした。

「アキヒト・ミチコ天皇制」の第1の特徴は「皇室外交」と「慰霊」です。1991年には東南アジア、1992年には中国を訪問しました。それは戦争責任を「清算」するかのような儀式でしたが、朝鮮半島にはまだ訪問していません。1993年には沖縄、1994年には硫黄島、1995年には沖縄・広島・長崎・東京下町などの「慰霊」施設を訪問し、2005年には初めての海外への「慰霊巡幸」としてサイパンを訪問しました。サイパンでは韓国人慰霊碑にも行きました。

また、即位の際の「おことば」では「日本国憲法を守り」「世界平和」「人類福祉の増進」を希望すると語り、「護憲天皇」のイメージを押し出しました。1992年での誕生日の記者会見では沖縄戦に言及し、心の痛みを語るなど、平和主義者のイメージも出します。戦没者に対しての「感謝」や「追悼」も1995年以降語るようになります。

ところで2000年以降には政治的な発言が目立つようになります。2001年には911事件死者への「哀悼と同情」を駐日大使に伝えました。2002年には東欧訪問に際してソ連支配への抵抗を評価する発言をしています。このような歴史的な評価をコメントすることは異例のことでした。

また、イラク・インド洋派兵については、2004年にチェイニー副大統領に「自衛隊は人道復興援助のためにイラクにいっている」と語り、2006年にはイラクやインド洋に派兵された自衛官180人に接見し、「平和のために果たした」と賛美しました。それは、日本政府による海外派兵を天皇が追認する行動でした。

さらに格差問題についても発言し、差別感のない教育を求め、絆の大切さや助け合いについて語っています。しかし、格差と差別の頂点にいるものが語る反差別と相互扶助は偽善でしょう。

●グローバリゼーションと天皇制

1980年代には国際化がすすめばナショナリズムが解体され、天皇制は時代遅れになるという議論もありましたが、国際化と国粋化は同時進行しました。また、天皇制は国粋化の中でもっぱら暴力的なものとして機能すると捉える見方もありましたが、そのようにはなりませんでした。

しかし、90年代以降、グローバル化の中で資本が国際的に展開し、新自由主義の競争の強化の中で、国内の中心部の中に「周辺」も形成されています。さらに最近の恐慌の中で社会が流動化し「治安悪化」が騒がれるようになり、軍事的警察的な面での国家の役割が強まっています。外国人労働者の姿が当たり前のものになる中で、排外主義も強まっています。

これまでの国家の役割が、経済成長を継続させるという形から、社会全般を統合する形へと変わりつつあるといえます。そのなかであらためて「国民」の統合軸として文化や伝統といったものが強調され、日本の場合、この要として天皇制が利用しうるものとして存在しています。この20年、天皇像はむしろ伝統的保守派による自民族中心主義的なものではなく、多文化共生をも組み込んだものへと変容しているわけです。実際の政治過程ではハードな統合が進行していますが、それを隠蔽する形で「和」を強調する天皇制が利用されます。さらに近年では「国民のため」に「祈る天皇」として、その「無私性」を強調する動きも顕著です。このようにみてきますと、活性化する暴力的な天皇主義と「対峙」しながら、他方でソフトな形で統合を図る天皇制とも「対決」するという、天皇制の二重の側面に二重に向き合うという課題があるのだと思います。

「天皇即位20年奉祝」に異議あり!えーかげんにせーよ共同行動では10月にフォーラムを開催し、11月には奉祝式典に抗議し、全国集会とデモを計画しています。皆さんの参加を呼びかけて、話を終わります。

                            (文責・人権平和浜松)