ソウルと水原 韓国2010.4

 

4月1日から4日間韓国を訪問した。今回は観光旅行で、ソウル、水原(スウォン)を訪ねた。

ソウルでは、南大門、東大門、中央市場など多くの市場に行った。市場はどこも活気であふれ多くの人たちが忙しそうに働いていた。南大門はあいにくの火事のあとで修復中であったが、市場はにぎやかで「社長さん、そっくりの偽物あるよ」と多くの店から声をかけられた。市場には、野菜、果物、肉類、魚貝類、また、衣類や鞄類などあらゆるものが店先に並べられており、見ているだけで楽しい。店の人たちはおおらかだった。

朝鮮国王の正祖は無実の罪で処刑された父の墓を水原に移転し、その周囲に城壁や門を築いた。これが華城(ファソン)のはじまりである。華城は1794年から2年9か月をかけて1796年に完成し、1997年に世界遺産に登録された。華城は東西南北4方向の門を中心に、城壁や見張り台が復元されている。城壁沿いに一周すると5〜6時間かかるそうだが、我々は良いところだけ、全体の3分の1程度を回って帰ってきた。華城の行宮(ヘングン)は『チャングムの誓い』のロケ地にもなった。

ソウルの「安重根の碑」は東大門から徒歩10分、南山公園の一角にある。最終日に急ぎ足で行った。安重根は、日本では伊藤博文を暗殺した「テロリスト」とされるが、韓国では英雄とされている。

ちょうど雑誌『世界』4月号にどんな人物かを特集していた。その中でキム・ヨンホ氏は、安重根の東洋平和論を西洋の侵略主義を阻止しようとするオープンな地域主義であり、世界平和論と一体化する論理であったとし、安重根は真の親日家であり、近代日本の登場を高く評価したが、伊藤博文らの対外覇権主義路線に対しては極めて批判的、抵抗的であったと述べている。

1909年10月26日、安重根は中国のハルピン駅で伊藤博文を射殺してその場で捕まり、1910年3月26日に旅順の刑務所で処刑された。

今、日本のマスコミではさかんにアフガンやイラクでの「テロ」が報道されるが、その「テロ」の背景にあるもの、報道されない「真実」とは何なのだろうか、と安重根の碑を見ながら思った。                         (池)