6・13浜松 戦争体験・空襲体験を語る会

2010年6月13日浜松市内で年金者9条の会が主催して戦争体験・空襲体験を語る会がもたれた。磐田の鈴木由二さんは海軍の通信兵として木更津や横須賀での体験を話した。浜松の松本元吉さんは満州青少年義勇軍の体験を話した。浜松の杉山輝男さんは浜松での空襲体験について話した。磐田の高橋廣治さんは磐田空襲の体験とその調査活動について話した。

松本さんは、関東軍がいるから安心と言っていたが、ソ連戦が始まっても開拓団には連絡がなかったこと、逃避行の中で中国人が殺されたこと、5歳の子を親自らが殺したこと、親が生まれたばかりの子どもを川に流したこと、1948年にやっと帰国できたことなどを涙ながらに語った。

杉山さんは勤労動員で鈴木織機での兵器づくりに動員され、4月30日の空襲では東洋紡の女子寮や共同防空壕への直撃があったこと、弟が石川鉄工で被弾し、赤チンのみ、麻酔なしで左足の切断手術を受けたこと、次兄のニューギニアでの戦死、三兄の広島での被爆等の状況などを話し、新津中学、可美中学等での語り部の活動も紹介した。

高橋さんは5.19空襲による磐田農業校での5人の被爆状況を示し、爆弾の破片で腹部が切れた状況等を話した。また4年間かけて磐田で遺族を探し被爆の具体的な実態を明らかにしてきた活動を紹介した。

集会では戦争の具体的な史実が語られた。それは、戦争とは勝敗ではなく、爆弾の破片による身体をえぐる殺傷であり、親が子を殺すことに追い込まれるという非道であり、戦後もさらに貧困が続くという歴史だった。

その地平をふまえて、再度、反戦と平和への共同の作業をすすめていくことが求められる。