8.22「韓国強制併合100年日韓市民共同宣言日本大会」

2010年8月22日、東京の豊島公会堂で「韓国強制併合100年日韓市民共同宣言日本大会」が「植民地主義の清算と平和な未来を」をテーマにもたれ、1000人が参加した。


集会でははじめに日韓の共同代表である伊藤成彦さんと李離和さんが挨拶した。挨拶では伊藤さんは植民地支配の根幹である併合条約の強制の不法性が今も認知されていないという問題点をあげ、共同宣言の意義を語った。李さんは共同宣言をもとに植民地主義の清算に向けて地域間の市民運動をすすめ、その連帯の強化を呼びかけた。

基調講演は宋連玉さんと庵逧由香さんがおこなった。宋さんは、天皇制の存続を前提にしてアメリカとの従属的な同盟関係がもたれ、それに触れることなく韓国や在日との連帯が図られていた運動の問題点を示し、「慰安婦」と在日朝鮮人が右翼団体の標的になっているが、それは植民地主義を象徴する存在であるからであり、その解決は朝鮮半島の統一とともに脱植民地主義、脱冷戦の実現であると指摘した。安逧さんは「植民地主義の清算」が包括的な概念として打ち出されたことの意義を話し、日本自身が植民地支配を合法とし、脱植民地化を図ってこなかったことの責任を果たしていくことを呼びかけた。基調講演ののちに青年・学生の宣言が読まれ、植民地主義にNO!を突き付けないと植民地主義が再生産されていくとし、朝鮮人被害者の声をかき消そうとするあらゆる暴力に抗議し、植民地主義と決別し、新たな出会いをもとめることを宣言した。

つぎに、植民地支配下での被害者の証言と現在の課題についての発言がおこなわれた。

性的奴隷とされた朴さんは語る。元山から拉致されて汽車で中国の密山に連行された。「慰安婦」にされ、抵抗すると短剣で体を突き刺された。解放後、父は二人の娘が「慰安所」に送られたことを悟り、苦痛と怒りのなかで亡くなった。捨てられた赤ん坊を拾い養子にして育てた。その子がいたから生きてこられた。日本政府は謝罪し賠償すべきであり、それなくしては目をつむることはできない。

孔在洙さんは1941年12月に麻生の赤坂炭鉱に連行された。逃亡して捕まると殴打され、歩くことができなくなるほどの激しい拷問にあった。2回の逃亡に失敗し、人間以下の奴隷のような待遇を受けながら生きることしかできなかった。真実を明らかにしてほしい。

朴ノヨンさんは金浦のサハリン同胞会の会長である。サハリンに父が家族とともに連行され、68年ぶりに韓国に戻った。帰国しても住宅賃貸料支払い問題、未払いの賃金・貯金問題、療養院の建設、1世のみならず2世の永住帰国問題、2世の韓国訪問支援など様々な問題がある。日本政府は未払い賃金や貯金・債券を根拠にサハリン韓人同胞特別支援基金を設立すべきである。サハリンへの連行とその清算を求めて抗議集会が予定されている。

西澤清さんは、東京での強制連行調査について報告した。祐天寺の朝鮮人遺骨の問題点、靖国への合祀問題と東京空襲の朝鮮人犠牲者の遺骨問題、八丈島調査などについて話し、謝罪と補償につながる調査をすすめたいと語った。

高橋伸子さんは、関東大震災時の虐殺はジェノサイドであり、国連人権委員会に訴えていく予定であるとし、日本政府はあらたな調査をおこない、その国家責任を認め、謝罪すべきとした。

崔善愛さんは在日の闘いをテーマに話し、1982年から88年の6年間押捺を拒否することで再入国不許可処分を受け、渡航の自由を奪われ、1986年再入国不許可のまま出国し、協定永住権を剥奪されるなど、指紋押捺を拒否することで植民地支配そのものを知ることができた。外国人登録を通じてみえたものは植民地時代の屈辱だった、植民地主義は続いている、朝鮮学校問題に植民地支配が埋め込まれていると語った。

北川広和さんは日朝国交正常化の動きについて話した。具体的な取り組みとして、日朝国交交渉の再開、植民地支配への謝罪と補償、東北アジアの非核化、在日朝鮮人へのバッシングへの対抗、訪朝団による交流などをあげた。

高さんは朝鮮中高級学校の生徒として、無償化から除外されることで、社会の冷たく厳しい風を直接この体と心に受けてきたことを語り、民族のことを学びたいということがなぜ悲しみの連鎖となるのか、朝鮮人としての自覚と熱い気持ちを持って最後まで闘い、苦しいことがあっても決して諦めないと決意を述べた。

証言とアピールののちに、沢知恵さんのコンサートがもたれた。沢さんは「アメイジンググレイス」「こころ」「死んだ男の残したものは」「朝露」などを歌った。その歌声は植民地主義の長い夜から人間を解放する想いと共振するものだった。

 最後に「日韓宣言と行動計画」が読みあげられた。それは、2001年のダーバン会議での奴隷制と植民地支配の清算に向けての宣言をふまえつつ、日本の植民地主義を植民地支配だけではなく、今も続く差別と一体のものとして捉え、その克服をめざすものである。

日本政府への要求としては以下の事がらをあげている。

植民地化でのジェノサイドの真相究明、3・1運動弾圧の死傷者調査、関東大震災や独立運動などの治安弾圧での虐殺の真相調査と補償、強制連行や性奴隷の真相究明と補償、朝鮮人被爆者の調査と救済、国籍差別のない空襲被害者援護法の制定、サハリン残留の真相究明と補償、シベリア強制労働の謝罪と補償、BC級戦犯と遺族への補償、靖国教師合祀と取消と賠償、朝鮮人遺骨の返還、略奪文化財の返還、在日朝鮮人への差別・排外政策の撤廃、植民地支配の清算を前提としての日朝国交正常化、日の丸君が代強制拒否者の迫害の中止、独島を領土として教科書に記述する措置の中止、日朝史を正確に記した歴史教科書の編集発行、教員への迫害を中止し、共通の歴史教科書の作成を目指すこと。

そして行動計画では、この宣言への賛同者を募り、議会での意見書の採択をすすめること、「植民地支配真相究明法」を制定させ、政府の中に過去の清算のための課題に取り組む組織の設置を求めること、日韓の国際連帯を強化することなどをあげている。

この宣言を受けて、プンムルの楽器演奏が集会参加者を加えておこなわれ、最後に韓国の100年共同行動の朴元哲さんが共同の運動をすすめることを呼びかけて集会を終えた。

日本での過去と現在を貫く植民地主義の清算なくして、東アジアの人権と平和の実現はありえない。その植民地主義の清算に向けての諸課題が提示された集会だった。   (T)