2010平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動
2010年8月14日、東京の社会文化会館を会場に「2010平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動」がもたれ、会館での植民地支配とヤスクニをテーマにしての集会ののち、反ヤスクニキャンドルデモがおこなわれた。
シンポジウムでは、はじめに高橋哲哉さんが、靖国神社が植民地主義を全く反省せずに合祀取り消しの訴えに耳を貸そうとしないこと、靖国では植民地戦争での死者を祀り、植民地主義と一体の関係にあること、それを象徴する人物に北白川宮能久がいることを示した。
韓国から参加した金承台さんは靖国神社の合祀者に朝鮮侵略に関係する人物が多数含まれていることを説明し、羅南や京城での護国神社の実態や靖国に合祀された韓国人数を示した。金さんによれば、1876年雲揚号関連1人、1882年11月の壬午軍乱関連12人、1885年5月の甲申政変関連6人、1909年5月義兵鎮圧関連50人、1910年5月義兵鎮圧関連109人、1911年5月義兵鎮圧関連27人の計205人に加え、3.1運動弾圧関連や満州での独立軍弾圧関連での死者も合祀されている。靖国神社には韓国人21181人が合祀されているが、8.15解放前の合祀者は陸軍149人、海軍266人の計415人であり,象徴天皇制の下で政府と靖国神社が協力して合祀し、遺族には連絡もせず、中には生存者もいた。
台湾から参加した莫那能さんは日本の植民地支配の歴史を話した。莫さんは言う。植民地政府は先住民族が千年以上住んできた土地を一枚の紙きれで没収し、資源を略奪した。太平洋戦争がはじめると、先住民族の青年を戦場に送り、女性は「慰安婦」とされた。構造的強制の下で全ての台湾人が戦争の渦に巻き込まれた。志願は構造的な強制によっておこなわれ、優遇を受けた「皇民家庭」から兵士が選ばれていった。洗脳され、戦場に送られ、それを光栄なる使命と思い込まされた。それが植民地の悲劇である。兵隊に志願すればたくさんお金がもらえると植民地政府に騙されて戦場に行った例も多い。心からの謝罪と歴史の真実が明らかにならなければ、いつまでも歴史の公正と正義を求めてゆくでしょう。
沖縄の石原昌家さんは、一九五二年四月三〇日に制定された戦傷病者戦没者遺族等援護法によって沖縄民衆を誘導し、沖縄戦で死亡した住民に戦闘参加者の身分を与えて遺族年金を支給し、さらに殉国者として靖国に合祀してきた仕組みをあきらかにした。それによって沖縄戦の真実がねつ造され、日本軍の犯罪が免罪され、国家の戦争責任が免責されてきた。2歳のこどもも戦闘参加者として靖国に合祀されているのである。このありようを問う裁判が2008年3月に5人が原告となっておこされた沖縄靖国神社合祀取消訴訟であり、10月には判決となる。集団自決には靖国思想が凝縮している。集団自決は軍の強制・命令による集団死であり、壕提供は壕からの追い出しだった。裁判ではその真実を照らし出すものである。
問題提起ののち、熊田郁子さん、李熙子さん、我如古明美さんが順にアピールした。沖縄の我如古さんは国連の先住民族の権利に関する専門家機構の会議に出席し、日本政府は琉球沖縄人を先住民族として認めるべきであり、靖国合祀は先住民族権利宣言に反するものと訴えた。
アピールののちにコンサートがもたれ、台湾の莫那能さんが詩を朗読し、韓国のムンジノさんやソンビョンヒさんが歌い、最後に「朝露」を皆で歌った。
集会ののち3グループに分かれて、靖国合祀中止、戦争反対を訴え反靖国のデモをおこなった。右翼集団は大音響で人種差別の暴言を弄し、宣伝カーで割り込むなどデモを妨害しようとうごめいたが、デモは最後までおこなわれた。 (T)