2010.9・13第16回浜松基地自衛官人権裁判証人尋問2報告

浜松基地人権裁判は第2回目の証人尋問をむかえた。傍聴には80人余が結集し、法廷外で傍聴交替を待つ人もいた。前回はショップ長の上司のNさんであったが、今回のその上司にあたる第1術科学校の整備課長のOさんである。Oさんは2004年から2006年にかけてその職にあった。

尋問は被告国側から始まった。

国側の質問によってOさんは、Sさんが気弱でおとなしい性格であったこと、2005年5月には第1整備課のK曹長からNの指導が厳しいこと、第2整備課のI曹長からも同様の話を聞いていたが、2005年7月にNの下で働くSさんとTさんから事情を聞き、Nに指導したこと、2005年9月にNによってSさんの帽子が飛ばされたのを目撃したが、それはSさんの作業手順の間違ったための指導であったこと、自身の供述調書にはニュアンスの違いがある箇所があったが訂正せずに署名したこと、Sさんが精神的に追い詰められている認識はなく、申し出はなかったこと、「うつ」なら気がついたはずであり、報告もなかったこと、Nが叩いたりけったりしたことは報告がなく、知らなかったこと、副校長が遺族と会い、心証を害していることを知り、自衛隊側が調査をはじめたこと、これらの事がらを述べた。

この尋問証言に対して、原告側は、証拠の答申書や供述書にニュアンスの違いがあるのかを再確認したのち、課長の職務には安全配慮義務があることを確認した。続いて、Oさんが2005年5月に第1整備課のK曹長、第2整備課のI曹長からNが大声で怒鳴るなどの言動があることを聞いていたことを確認し、その事実とSさんから「明るさが消えた」こととの関連を質問した。2005年7月に整備班長から手を出しているという報告を受けたことに対しては、暴力についての調査をおこなったのか、状況を確認したのかを質問したが、Oさんは「覚えていない」と人権侵害の実態把握については言葉を濁した。

2005年9月にNがSさんの帽子を飛ばしたことの現認については、手を出して帽子が飛んだとするのみだった。また、Sさんには、Nの行動による「ストレスは無かったと思う」と発言した。Nの人事異動を考えた理由は、10年以上在職したからとし、NとSさんとの人間関係によるものを第1とはしなかった。自衛隊側がこの事件を調査して、人間関係が悪く、異動させなかったことが間違いと判断しているが、Oさんにはその認識がみられなかった。サッカー大会への参加の中止についても、証拠書類ではNの圧力を証言しているが、尋問ではNの圧力を否定した。Sさんの精神状態については「申し出が無いから精神的には追い詰められてはいなかった」という態度に終始した。

このように尋問でのOさんの証言は、Sさんはもともとおとなしく元気が無い性格であり、Nによる人権侵害との関係は特に感じられないとするものであり、時には自身の証拠書類での記事にも反する形でなされた。また、いじめの実態や管理責任についての言質はあいまいなものであった。そのため、裁判官が「元気が無い」と感じた時期や理由を問いただすということになった。

このように、O元課長の証言は、被告とされた国・自衛隊を守るために都合の悪いことは否定し、その責任を逃れようとするものであった。人権侵害(いじめ)があったにもかかわらず、何もしなかったことは安全配慮義務に反し、その責任が問われる。またその人権侵害と死との関係が問われる。そのなかで証人は、隊内での自身の供述内容や陳述書を否定するかのような言質を弄し、核心的な問題については「知らない」「申し出が無い」としか発言できなかった。そのため、証言はあいまいなものになり、それが、証人への信用を失わせる結果となった。それは、この事件での国側の責任回避の論理の破綻を示すものである。


 進行協議によれば、地裁の裁判は3月には結審を迎える。判決はその2ヶ月ほどのちになるだろう。裁判は山場を迎えている。多くの市民の結集と支援で、人権裁判の勝利を分かち合おう。                          (T)