反APEC行動報告

「戦争と貧困にNO!金融資本・多国籍企業の支配を打ち破れ!」

           「ソウルG20−横浜APECに反対する国際行動」に参加して

2010年11月13・14日、横浜でAPEC(アジア太平洋経済協力会議)21カ国・地域の首脳会議が行われた。当日は2万数千の警察の警備、移動式レーダーの配備、AWACSやP3Cによる警戒という空前の警備弾圧体制であったが、「国際行動」はそれらをはねのけて反APEC闘争をたたかい抜いた。

米・日帝のアジア太平洋支配の道具

APECは、米帝のアジア太平洋支配の道具である。日本は米と利害を異にしながらも自国の利益のためにこれに追随してきた。

ボゴール目標(1994年のインドネシア・ボゴールAPEC首脳会議にて採択、「先進工業経済は遅くとも2010年までに、また開発途上経済は遅くとも2020年までに自由で開かれた貿易及び投資という目標を達成する」というもの)樹立の翌年(1995年、村山内閣時代)には大阪で首脳会議が開かれ、「目標」を実現するための具体的行動として関税措置から投資、通関手続きなど15分野にわたる「大阪行動指針」を提案し、新自由主義行動計画の新たな段階に踏み込んだ。

2010年の今年は、ちょうどその点検・評価の節目に当たっていた。

 APECとアジア開発銀行

日帝のアジア・太平洋諸国に対する経済支配はIMF(国際通貨基金)とともにアジア開発銀行(ADB)を通じて行われてきた。ADBは「アジア・太平洋における経済成長を助け、開発途上加盟国の経済発展に貢献すること」を目的に設立されたことになっている。本部はマニラで、発足は1966年。ちょうど、日本が高度成長期を経て、アジアへの経済侵略をはじめた時期と重なる。ADBの歴代総裁はすべて日本人。米国とともにADBへの最大出資国であり(66年以来87億2000万ドルを出資。出資比率は15.7%で、米もほぼ同じ)、投票権数は出資比率で決められるため、両国が組んで活動を牛耳ってきた。

かくして、米・日帝は途上国に対して債務をおしつけ、インフラ整備を口実に(民衆ではなく)大企業を助け、自国にカネが返ってくる仕組みを作ってゆく。プロジェクトのために過去10年間で177万人を強制移住させ、地域住民の生活を破壊した。また、他国の民営化を強制し、すべてのものを儲けの対象としてきたのだった。

 労働者・民衆の国際連帯で闘おう!

 スタート集会(13日朝。かながわ労働プラザ)の主催団体挨拶では、まずこのADB体制に批判が集中した。続いて海外ゲストを代表してアジア共同行動(AWC)韓国委員会共同代表のホ・ヨングさんが「ソウルG20反対を闘って横浜に駆けつけた。戦争と貧困を拡大する首脳会議に反対しよう」と挨拶した。

その後、アイヌ民族の川村シンリツ・エリオパック・アイヌさん(旭川)、APECに反対するアイヌモシリ連絡会(札幌)、11・6京都財務相会合反対を闘った京都行動、横浜APEC反対実行委員会(大阪)、九州・山口AWCとAPEC批判が続き、最後に「日韓ネット」からの連帯のメッセージが読み上げられた。

以後、馬車道あたりで街頭情宣。午後は桜木町駅前広場で「いらない!APEC横浜民衆フォーラム」と合流し、合同の抗議集会とデモをおこなった。「静穏保持法」を楯に拡声器の使用を禁止する反動弾圧を跳ね返し、果敢にシュプレヒコールをたたきつけながら首脳たちのいるパシフィコ横浜に肉迫した。

 初日夜と翌日午前中は、アジアの海外ゲストを中心に国際フォーラムを行った。

在日フィリピン人組織ガブリエラ・ジャパン/ミグランテ・ジャパンの代表アガリン・サラさんは「フィリピンは労働力輸出の依存度が世界最大で、日本にも20万人以上のフィリピン移民がいるが、貧しい国からやってきた人間として差別され抑圧され搾取されている。強いられた移民という害悪から私たちを真に解放する闘いを自国の闘いと結びつけていきたい」と語った。

続いて、台湾人権協会の唐曙さんは「釣魚台海域での日本政府による漁船船長逮捕は中国の主権侵害だ。日米安保条約に反対し、米軍基地を撤去しよう」と主張した。 

さらに、フィリピン本国のBAYAN(新民族主義者同盟)国際部長リタ・バウアーさんはアキノ大統領の新自由主義や対テロ戦争支持政策との闘いを、インドネシア労働組合連盟会議(KASBI)のシモンさんはスハルト以来の新自由主義との闘いを口々に語った。

 2日目午後の屋外抗議集会では日本の全国各地の闘いの報告があり、超大国独占の新植民地政策に対してアジア太平洋民衆の連帯で闘うことが決議され、その後のデモをもって2日間の日程を終えた。                  (山)