女性国際戦犯法廷から10年、今こそ問題の解決を!

2010年12月5日、東京外国語大学を会場に、女性国際戦犯法廷から10年・国際シンポジウム『「法廷」は何を裁き、何が変わったか−性暴力・民族差別・植民地主義−』がもたれ、600人が参加した。集会は国際戦犯法廷後も問題を解決できていないなかで、性暴力・民族差別・植民地主義をテーマに問題をとらえなおし、解決に向けて運動をさらに強化するためにもたれた。

集会の第1部「法廷とは何だったのか」では法廷の意義が確認された。女性国際戦犯法廷の元共同代表の尹貞玉さんは、運動を一段階引き上げ、民衆の力で正義を具現し、日本政府に公的な責任を認めさせ、力強く運動をすすめることを呼びかけた。元共同代表のインダイ・サホールさんは、人道に対する罪であるとするハーグでの最終的な判決により、やっと被害者の正義が実現したのであり、法廷の勧告は国際的に実行されるべきとし、戦争下の性暴力廃絶のための国際決議をふまえ、紛争下での女性の人権保障をすすめていくことを呼びかけた。

女性国際戦犯法廷の首席検事であったパトリシア・セラーズさんが基調講演をおこなった。セラーズさんはつぎのように語った。不処罰の壁が犯罪を隠し続けてきた。国家が正義を実現しないなら、市民社会が国境を越えて介入してくべきであり、市民による国際法廷は歴史をただすものだった。日本軍は社会の最も弱い構成員を性奴隷制の餌食にし、その多くが貧しい農家の出身であった。性行為への服従は生き延びるための手段とされたにすぎない。女性の奴隷制はいまも残っている。女性に平和がない状態は平和ではない。個別の被害者は賠償される権利がある。日本政府は国際法に反したことを認め、包括的調査をし、再発を防止し、植民地化を繰り返してはならない。昭和天皇の責任は明らかである。判決を実行させるのは市民社会にかかっている。沈黙を破って証言したあなたたちの勇気をうけとめ、私たちも声をあげる。

このようにセラーズさんは法廷を振り返り、その判決の実現に向けての市民の共同を呼びかけた。続いて池田恵理子さんが制作した映像『私たちはあきらめない』が紹介された。この映像は法廷以後10年の活動を集約したものであり、問題解決まで「あきらめない、岩のように」という思いを示すものだった。

●日本軍性暴力被害の証言

第2部は日本軍性暴力被害者の証言の場とされ、中国とフィリピンからの証言がなされた。

中国からは韋紹蘭、羅善学さん親子が証言した。韋紹蘭さんは日本軍による桂林攻撃のなかで1944年11月に日本兵によって馬嶺鎮の「慰安所」に連行された。3ヶ月ほど後、韋さんはそこから逃走し、村に逃げ帰ったが、慰安所生活で妊娠した子が生まれた。それが同席した羅さんである。数年後、夫との間に妹と弟が生まれたが、羅さんは差別され、雑穀だけが与られ、学校も辞めざるをえなかった。羅さんは「日本鬼子」と蔑まれ、虐待されてきた。羅さんは全身で訴えた。日本人が犯したことは違法であり、謝罪してほしい。私たちはもっと一緒に頑張ろう、と。

フィリピンのナルシサ・クラベリアさんはルソン島サンファン町バリントック村に住んでいた。1943年に日本軍によって村は襲撃され、村長だった父は上半身の皮を剥がされて殺され、母はレイプされた。それに抗った弟・妹が殺され、ナルシサさんら姉妹はともに駐屯地に連行され、性の奴隷とされた。姉はレイプされたときに抵抗したため、拷問され、精神を悪化させていた。その頃日本軍は食料を探して略奪していた。ナルシサさんたちは日本軍への爆撃の際にフィリピン人によって駐屯地から救いだされた。

ナルシサさんは語る。「レイプ・強制労働・飢えなどすべての苦痛を経験しました。身の上話をすると、涙が出ます。話をするたびに日本政府への怒りが湧きます。日本兵がおこなった加害を政府はいまも認めません。戦争で家族を失い、女性の尊厳も奪われました。私は、日本政府が教科書に事実を記載して次の世代に伝えること、謝罪し、許しを請うこと、賠償することの3つを求めます。正義を求める闘いに参加しましょう。ひとつになって政府を動かしましょう。わたしは一人になっても、闘い続けます」と。

証言者の息使いをマイクが拾う。語る者の震え、怒り、涙、のどの音が会場を覆う。その音が聞く者たちに体験者の生命の重さ、その尊厳を伝え、共感を呼び起こす。証言者の勇気がこの問題の解決への行動を促す。

●「私たちはあきらめない」

第3部では「法廷・証言の思想的意義をどう引き継ぐのか」をテーマに討論がなされた。

問題提起は、米山リサ「『消された裁き』批判的フェミニズムの視点から」のメッセージに続き、鄭暎恵「現在も続く性暴力の連鎖を断つために」、宮城晴美「現在も続く軍事主義と性暴力の連鎖」、村上麻衣「『消せない記憶』を未来の世代に」、尹美香「謝罪・補償を求める国際世論喚起」、池田理恵子「『記憶の拠点』を謝罪・補償の実現へ」に順になされた。

そこでは、NHKによる女性法廷放映番組の改ざんでは法廷の意義のコメントや主要な被害者や加害者の証言が消され、被害者を貶めるような内容になっていたこと、解決のためには日本人の歴史観や女性観の変革が求められ、日本での性暴力禁止法の制定も必要なこと、沖縄では日米軍事演習が強化され、性犯罪も後を絶たないこと、今も性暴力・民族差別が続き、女性たちとの国際的なネットワークの形成がもとめられること、証言は今生きている私たち自身への問いかけであり、証言者の「証言のことはすぐに忘れてしまうでしょう」という声を忘れずに行動を継続してきたこと、慰安婦問題の記憶・記録の確立自体が政治的なものとなるが、それはこの問題が今も残る性暴力・民族差別・植民地主義を象徴するものであり、現在の日本のあり方を問うものであることなどが提起された。

韓国挺身隊問題協議会の尹美香さんは、「蝶」を飛ばすイメージで長く続いた痛みと人権侵害を癒す想いを込めてきたこと、女性法廷以後も現実は変わらず、被害者の死亡は続いていること、2000年の法廷の成果にとどまらず、新たな運動をすすめてきたこと、再発防止のための記憶教育の場の設立、今も続く基地村などの性暴力にも積極的に関わること、国際連帯をすすめてアメリカ・EU・オランダ・カナダなどでの決議をすすめたこと、被害者は死を賭ける覚悟で行動し、共に歩んできたことなどを報告した。尹さんは「希望は私たちの中にある」と結んだ。

さらに集会では台湾の康淑華さん(婦女救援基金会)が生きていて良かったという思いを感じさせる支援運動を紹介し、インドネシアのエカ・ヒンドラティさんはインドネシア政府が公式書「インドネシアの歴史」で占領時代での「慰安婦」についての記述をおこなったことやブル島でのモニュメント(MATAOLI/「何度も死ぬ」)の建設計画などを報告した。

活動者でもある韓国ナヌムの家の姜日出さんは「日本政府はいつまで無視するのですか。早くしないと死んでしまう。あんまりだ。死んでいく仲間も多いのに。これ以上引き延ばさないで、1日も早くこの問題を解決すべきです」と訴えた。

 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010からは方清子さんが、民主党政権成立と強制併合100年のなかで結成された立法解決をめざす共同行動による11月の院内集会・61万人の国際署名提出行動の経過を話した。

 集会は最後に共同宣言を採択した。そこで、証言者の発言に思いを新たにし、性暴力・民族差別・植民地主義に結びついた「慰安婦」問題の克服にむけて、「私たちはあきらめない、岩のように」と今後の行動を誓いあった。

                                                       [竹]