「韓国併合」100年特別展「巨大な監獄、植民地朝鮮に生きる」をみて

20113月、京都の立命館大学国際平和ミュージアムで「韓国併合」100年特別展「巨大な監獄、植民地朝鮮に生きる」が開催された。主催は立命館大学コリア研究センター、同大国際平和ミュージアム、韓国の民族問題研究所。この展示は、2010年の8月に韓国の西大門刑務所で開催されたものから主な史料を選び出して、再構成されたものである。

展示は、1軍事力による朝鮮開国から併合まで、2植民地支配の構造、3侵略戦争と総動員体制下の朝鮮人の生活、4いまだ癒えぬ植民地支配の傷跡の4つで構成されていた。

当時の写真集や手記などのモノが占領と植民地支配を物語る。主な展示品のいくつか、たとえば黄海道警察部「警備の姿」などはコピーされて閲覧できるようになっていた。

 展示から印象に残ったものをあげておこう。

1の軍事力による朝鮮開国から併合では、併合を布告する純宗の勅諭、併合記念朝鮮写真帖、安東の義兵の檄文。

2の植民地支配の構造では、「討伐」写真(「咸南警友」)、国境守備隊の葉書、朝鮮軍混成第38旅団の満州事変での派兵アルバム、黄海道警察部「警備の姿」、「犯罪即決令」、霊岩の土地台帳(日本人地主制)、全州の勤労報国隊の写真、西大門刑務所に収容された人々の収容時の写真、池青天の日記など。

3の侵略戦争と総動員体制下の朝鮮人の生活では、満州への朝鮮人移民、応徴士の標語ステッカー、平壌の兵器廠からの手紙、創氏改名関係史料、教科書、上海からの帰国者名簿など。 

4のいまだ癒えぬ植民地支配の傷跡では、戦後補償運動写真、捕虜監視員として動員された人による収容所の絵、徴兵され死亡した朝鮮人の遺骨箱などがある。遺骨箱の歴史は過去の清算の状況を示すものだった。

会場の入り口では、植民地期に抵抗した人や動員された人の証言の映像が流されていた。証言者は順に、光復軍の司令官池青天の娘で自らも光復軍に入隊した池復栄さん、学生時に蔚山の飛行場建設に動員され、そこで抵抗して逮捕された全秉哲さん、捕虜監視員として泰緬鉄道建設現場に連行された呉幸錫さん、日本軍「慰安婦」にされシンガポールから「満州」へと連行された金華善さん、福岡の三菱の炭鉱に連行された林才熏さん、日本人巡査を殴ったことから平壌刑務所から南方派遣報国隊員として海南島へと連行された高福男さん、東京大学在学中に志願兵とされて中国戦線に送られた鄭h永さん、女子勤労挺身隊員として不二越に連行された柳贊伊さんである。

一つひとつの証言が重いものだった。これに連なる数百万の人々の歴史がある。

会場になった立命館の平和ミュージアムには、長野の無言館から移されている絵が一室に展示されている。そこに展示されている絵には戦争によって死を強いられた若い絵描きたちの未完の想いが凝縮されている。市瀬文夫の「妻の像」には、文夫がその後会うことができなかった妻が、別れた時の若いままの姿で残されている。解説には、孫たちは戦争で死んだおじいちゃん絵が大好きとある。画家曾宮一念の息子曾宮俊一の絵もある。90歳のときに一念が悔しいと一言述べ、かれの失明した眼から涙が流れたことが記されている。

展示された絵にはその時代に生きた人々の想いが刻まれている。絵はその時代に生き、その生を絶たれた人々の歴史を語り続ける。朝鮮半島にもこのような表現があったはずである。それらの「無言」の表現から言葉を紡いでいくことができればと思う。

なお、8月におこなわれた展示の図録が民族問題研究所から出版されている。

詳細はHP http://www.banmin.or.kr/kimson/home/minjok/index.php