2011.3.7 空自浜松基地人権裁判結審報告
2011年3月7日、空自浜松基地人権裁判が静岡地裁でもたれ、傍聴支援者は70人が集まった。この日の弁論では最終の準備書面を確認し、原告である父と妻が意見陳述をおこなった。裁判はこの弁論で結審を迎え、判決は2011年7月11日の13時10分からとなった。
原告と被告側の最終準備書面の確認では、国側が亡くなったSさんを新たに「適応障害」と表現したため、原告側が反論として提出した甲54号証をめぐってやり取りがあった。国側はこの甲54号の却下を求めたが、裁判所は認めなかった。
国側はSさんの過失を認めさせるために、新たに「適応障害」を持ち出したのであろう。また、国側は公務災害認定をふまえて「損益相殺」を語り、賠償額を減じさせる方向での議論を展開するようになった。しかし、公務災害認定による年金は現時点では支払われていないから、仮定の議論である。
原告の意見陳述では最初に父が、この間の想いを一気に読み上げた。それは、息子をいじめによる自殺で失った悲しみをふまえ、信じてきた自衛隊が真相を隠ぺいしてきたことを指弾し、これ以上いじめを放置しないことを求めるものだった。
父は意見陳述で、息子の自殺はいじめによるものである、「指導」という名のいじめはなくしてほしい、自衛隊は人間を大切にしてほしい、軍事オンブズマンの実現など対策を取ってほしい、いじめを放置した上司には責任がある、自己保身をし、自らの組織を分析できないものがどうして国を防衛できるのか、責任の所在をはっきりさせてほしい、権限を悪用して若い隊員をいじめないでほしいと、その思いを語った。
続いて原告である妻が、自衛隊を相手に裁判を起こすことのむずかしさを語ると共に裁判で真実を明らかにしたいという思いを語った。
陳述で妻は、夫が悪質ないじめにあい、そのいじめが放置されてきたこと、公務災害は認定されたが、それはこの間国側が裁判で語ってきたことと矛盾すること、Nはまだいじめではないと言っているが、自分がされたこととして思ってほしいこと、夫は家族のためにいじめに耐えてきたが、国側は自殺の原因を家族にあるとしていること、夫の死の日から時間は止まったままであり、子どもは父が帰ってくるのを今も待っていること、無念を晴らし、本当のことを伝えたいために提訴したことなどを発言し、子の記した父への手紙も読みあげた。
裁判も終わりを迎える段階で、国側は「損益相殺」や「過失相殺」を主張して賠償額を減額させるための弁論も行うようになってきた。それは公務災害が認定されることによって、いじめ(パワハラ・人権侵害)と自殺との因果関係を否定できなくなってきたからであろう。
そのため、公務災害によって支払われる予定の金額を提示して、損失の相殺を語りはじめた。また、「適応障害」による自殺論を展開して、自殺が本人の資質に起因するものとし、いじめによる自殺を本人の資質の問題へと転嫁させようとしている。本人の過失を強調し、その賠償額を相殺させたいのであろう。さらに、国側は相当因果関係での議論において、自殺は予見できなかったという論を持ち出して、自殺への賠償を否定しようとしている。これに対し、原告側は、精神的な罹患や自殺の予見可能性は「相当因果関係」の成分ではないとし、いじめによる心理的負荷の蓄積を問題にしている。
いじめたことから、うつや自殺が生まれるのであり、いじめを知りつつ、それを放置してきたことが問題とされるべきである。国側の責任逃れを許さずに、市民による正義の実現と人権の回復の声を強め、国側にきちんとその責任を取らせる必要がある。
※1月30日、日本テレビ系のNNNドキュメントで「自殺多発・自衛隊の闇―沈黙を破った遺族の闘い―」が放映された。この映像は、横須賀海上自衛隊「たちかぜ」と浜松航空自衛隊第1術科学校でのいじめによる自殺と遺族による真相究明と尊厳回復への活動を追ったドキュメンタリーである。「納得できない、最後まで闘うから見守ってほしい」と亡くなった息子に念じる遺族の熱く深い想いが刻まれた映像だった。 (T)