6・11やめまい原発!浜松ウオーク
2011年6月11日、脱原発全国行動にあわせて浜松で「浜岡原発を廃炉へ!やめまい原発!浜松ウオーク」が取り組まれ、200人ほどが参加した。人権平和・浜松は4月5月と「福島原発事故の真相」をテーマに2回の学習集会をとりくんできた。5月22日の2回目の集会は、政府による浜岡原発の停止要請と中電による浜岡原発の停止受け入れという情勢の中でもたれた。
この集会の最後に、浜松市民による反原発・脱原発の表現の場を設定することをめざし、「浜岡原発の廃炉」を第1課題として示すかたちで、全国行動の6・11にあわせ「浜岡原発を廃炉へ!やめまい原発!浜松ウオーク」を取組むことが提案された。実行委員会として浜松市民有志による「ハママツ15」が設立され、この行動に賛同する仲間とともに準備をすすめてきた。
6月11日、「浜岡原発を廃炉へ!やめまい原発!浜松ウオーク」は1945年の浜松空襲で生き残った浜松市民の木の前での集会からはじまった。市民の木の前には「やめまい原発・浜松」の横断幕やピース旗が掲げられ、さまざまなプラカードが並べられた。
集会では最初に、地震と津波による死者への追悼のための沈黙の時間がもたれた。次に集会参加者がスピーチし、袋井での反原発の取り組みや白血病と放射線治療の体験談などが話された。続いて浜松在住のベリーダンサーが会場で踊り、命と平和への思いを表現した。
また、福島から浜松に避難移住している女性がオカリナを奏で、歌った。その詩は「偽りと
嘘を重ね民と子らとをよく働く人たちを踏み、棄てるのか」というものであり、故郷を奪った原発への強い怒りを示すものだった。さらに詩「みえないばくだん」の朗読がなされた。最後にNONOBANDが「よみがえれいのちの海、とりもどせいのちの森」と歌い、実行委員会が「みんなうそだったんだ」を歌い、ウオークに出発した。
ウオークでは「国策被曝」「エネルギーシフト」「しあわせはちっちゃくていいの」「みんな誰かを愛してる」「人を傷つけないエネルギーを」など、さまざまな思いのプラカードが示された。参加者は「原発やめまい、命が大事」「原発反対、浜岡廃炉」「原発いらない、電気はあるよ、放射能は怖い、子どもが危ない、命が一番」などとさまざまなコールを繰り返して、街中を歩いた。中部電力浜松支店前では、「中電は浜岡原発を廃炉にしろ」「自然エネルギーへの転換を」と力強くシュプレヒコールをあげた。
集会の初めには60人ほどだったが、次第に参加者が増えた。ウオークは2つの隊列となり、終了時には200人ほどになった。
支配の側が進めてきた「原子力の平和利用」という核の推進は、地域で原発に反対する農漁民を札束で殴りつけ、抵抗する労働者を権力の壁で封殺しておこなわれてきた。その結果が今回の福島原発事故である。福島原発周辺の民衆が棄民化され、汚染地帯の拡大はたとえば、静岡では高濃度の茶の汚染で示されている。一番茶では浜松の茶のほうが掛川の茶よりセシウム値が高かったということは、この浜松の地にも深刻な汚染実態があるということである。
6.11は全国各地で集会とデモが取り組まれ、100から万単位の集まりがあった。「これだけ放射能が出されているのに安全なんて嘘」「この地震の国に原発は無理」「原発止めて、日本の人を救ってくれ」「自然エネルギーを」などといった声が各地で叫ばれている。
各地域で、反原発・脱原発の声をあげる場をつくり、さまざまな出会いを積み上げ、新たな社会を練り上げていくことが求められる。 (T)