2011「平和の灯をヤスクニの闇へ」キャンドル行動

2011813日、東京で「平和の灯をヤスクニの闇へ」キャンドル行動がもたれ、400人が参加した。今回のテーマは「3・11後の東アジア 原発とヤスクニが強いる国家と犠牲」だった。

集会では最初に問題提起がなされた。

東京の高橋哲哉さんは、原発を周辺住民への被害、被曝労働者、採掘現場での被曝などをもたらすものであり、ヤスクニと同様に「犠牲のシステム」であると表現した。そして、福島が捨石のようにされようとしているが、その背景に一種の植民地主義があるとし、脱原発に転換できないのは核兵器開発の技術的可能性を確保したい政治勢力の野望があると指摘した。

沖縄の石原昌家さんは日本が被曝加害国となったとし、沖縄の嘉手納での1968年1月19日のB52の墜落事故は核や毒ガス貯蔵弾薬庫近くで起きていたが、それは地球絶滅の危機だったと指摘した。そして原発交付金による「絡め取られの構造」を批判した。

台湾の潘朝成さんは、蘭嶼島のヤミ族(タオ族)の1995年6月の「核廃棄物反対・悪霊駆逐宣言」を紹介した。それは核廃棄物処理施設が押し付けられ、少数民族の生存を破壊することへの宣戦布告である。また、台湾での4機の原発建設を新植民地主義によるものとし、第4原発に対してはケラマン族がいまも反対運動をおこなっていることを紹介、先住民族の権利を守るためには現在の政治経済と文化を徹底的に変えていくことが必要とした。

韓国の韓洪九さんは、李明博と金正日は相克関係にあるが、核を愛するという点では共通しているとし、李明博が建設会社CEOとして、韓国20基の原発のうち、12機の建設の直接参加したことを示した。また、韓国社会はアメリカの核が1000発以上配備される中でも反核運動が力にならないほどの「核不感症」だったことも話した。そして東アジアでの社会の民主化の努力が東アジアの平和の出発点とした。

続いて遺族が証言した。韓国からは南英珠さんが、親族は連行された兄の消息を知ることがないまま亡くなり、英珠さんが被害者団体に入り、2003年になってやっと兄が南洋に連行されて戦死した事実を知り、さらに靖国神社に合祀されていることを知ったことを話した。2011年7月21日の判決は「不快でも我慢しろ」というもので到底容認できないとした。

靖国合祀イヤです訴訟の古川佳子さんは、二人の兄を失った母の悲しみを話し、靖国神社は合祀者246万人余りの死者一人一人の何を知っているのかと問い、靖国神社の戦争責任を問うことの重要性を指摘した。

ハイロアクション福島の黒田節子さんは、原発は大丈夫だというものたちに、汚泥を投げつけたいという思いを語り、福島市・二本松市・郡山市などの汚染は、チェルノブイリでは移住の義務と移住の権利が生じる地域と同じほどのものとなっていると指摘した。また、欧州放射線リスク委員会のクリスバズビーさんが、日常的に暮らしているが、検知器で測ると「人々が見えない蛇に咬まれている」と話したことを紹介した。そして、総被曝時代を生きざるを得ないなかで、これまでの垣根をこえたグローバルで弾力性のある市民運動を作ること、今すぐに原発を止めることを涙ながらに呼びかけた。

コンサートでは、台湾の林廣財さんは先住民族の民衆歌を歌った。韓国のムンジオさんとソンビョンヒさんは民衆歌謡を紹介した。最後に参加者も壇上にあがり「アチミスル」を合唱した。

集会後、キャンドルデモに移り、「ヤスクニNO!」「原発NO!」の声をあげて歩いた。日の丸右翼集団はこの日も人種差別の文字を掲げて大声をあげ、キャンドルの隊列への介入を試みた。

8月11日、警視庁公安部は、高金素梅さんの台湾住民の合祀の中止を求める靖国抗議行動を祭祀業務妨害として書類送検した。罰せられるべきは、戦争を遂行した者たちと戦争を推進した神社であり、旧植民地人遺族の意向に反して神としてまつり続けている行為である。

戦争を支えた神社が反省もなく今も戦争賛美の言質を吐き、それに巣食う者たちは旧態依然の人種差別の暴言と暴行をやめない。裁かれるべきものが裁かれていないところにその原因がある。今からでも遅くはない。戦争の責任を問い、差別の暴言暴行を含め、きちんと処罰すべきだ。                              (T)