12.10浜松憲法9条の会7周年記念講演会

 

 2011年12月11日、浜松憲法9条の会の講演会がもたれ、畑田重夫さんが「東日本関東大震災と日米安保条約」の題で講演した。

 畑田さんの講演で印象に残ったことがらをまとめると次のようになる。

 2011年3月11日午後2時46分は、地震・津波・原発の3重災という人類史上初の広域複合大惨事の日時として記憶すべきである。それは人間の命を大切にせず、科学技術に偏重した結末である。

日本への原発導入のルーツもアメリカにあり、諸悪の根源は日米安保にある。憲法9条の第2項は戦争のポテンシャルを否定したものである。そこには軍需工場も戦争への教育も含まれる。

わたしは1923年生まれの88歳、かつての戦争では学徒兵とされ、2000人の友がバシー海峡で魚雷攻撃により亡くなり、わたしは入院していたため生き残った。戦後は国際政治学者として、友人の死をむだにさせまいと、戦争の原因を糾明しその防止のために研究と平和運動に命がけで取り組んだ。

野田政権はアメリカ・財界・官僚の言いなりの政権であり、国民よりも先に外国と約束している。政財官学報による支配が問題である。今年は、アラブの春、3.11、アメリカでの99パーセントによる占拠と続いたが、来年2012年はさらに激動が予想される。 

憲法などの宣言は歴史的体験が抽象化された格調のあるものである。私のモットーは、困った時には憲法に問え、普段着のままで憲法を語ろうである。格差と貧困ではなく、幸福度のある社会をつくろう。

 畑田さんは88歳の高齢であるが、研究と運動への意欲に満ちた姿が印象的だった。(T)