朝鮮人軍人軍属名簿の調査と課題

                                

はじめに

 

「被徴用死亡者連名簿」には二万一七〇〇人ほどの朝鮮人軍人軍属の死者の階級・氏名・住所・生年月日・部隊名・死亡年月日・死亡場所、本籍地、親族名などが記されています。菊池英昭さんはそれをファイル化する作業をすすめられてきました。今日の報告では、その作業を経て、名簿の特徴をあげ、どの部隊がどこで何人ほど亡くなったのかをまとめられました。

この名簿は、日本政府・厚生省が朝鮮人の軍人軍属の死亡者を陸海軍別・道別の「旧日本軍在籍朝鮮出身者死亡者連名簿」として作成し、それを一九七一年一〇月に韓国政府に渡し、財務部が「被徴用死亡者連名簿」の形で公表したものです(表1-6 被徴用死亡者連名簿内訳)

韓国では軍人軍属を含め強制連行・強制労働を「徴用」と呼んでいます。日本では徴用は徴兵とは別のものとして使っていますが、この植民地民衆の側が表現する「徴用」という表現を、徴兵・徴発・徴用などの強制動員を包括する用語として捉えなおし、理解すべきと思います。軍人軍属としての動員や動員計画による労務動員を「徴用」と表現することはその実態を示すものであると思います。

 

@   朝鮮人軍人軍属名簿の調査

 

一九九〇年に韓国側が日本に強制連行関係名簿の提出を求め、一九九一年には厚生省勤労局名簿などの労務関係、一九九三年には軍人軍属関係の朝鮮人名簿が韓国側に渡されました。それらを韓国の国家記録院が整理して、公開しました。二〇〇四年末に設立された韓国の強制動員被害真相糾明委員会ではそれらの名簿をデータベース化しました(表1-7 韓国政府移管朝鮮人軍人軍属名簿)。

この委員会の作成した名簿目録が、二〇〇九年の春に韓国でもたれた委員会主催のワークショップで参加者に渡されました。この名簿目録をもとに、二〇一〇年度になって新たに設立された強制動員調査支援委員会を訪問し、各種の名簿を閲覧しました。特に軍人軍属名簿の内の陸軍の留守名簿と海軍の軍人軍属の履歴原表が重要と考え、それらの名簿の分析をおこないました。

二〇一一年末になり、国会記録院は個人情報保護を理由に、委員会にも名簿の閲覧を制限するように規制し、現時点では名簿類の閲覧ができなくなっています。しかし、これまで名簿類は韓国内ではほとんどが閲覧でき、複写もされています。ですから、名簿は被害者団体や研究団体が持っているケースもあります。

この問題については、日本政府が名簿類を歴史史料として閲覧できるようにすべきです。厚生省は留守名簿や軍人履歴原表、死亡者連名簿などの戦没者援護関係資料を戦後七〇年にあたり、公開と伝承のために国立公文書館に移管するとしています(二〇一〇年三月報道発表)。朝鮮人分についての公開もきちんとなされるべきと思います。

 

A陸軍留守名簿

 

さて一九九三年に日本政府から韓国政府に渡された軍人軍属名簿ですが、主なものとしては陸軍の留守名簿があります。留守名簿とは、厚生省によれば「陸軍軍人外征部隊所属者の現況及びその留守関係事項を明らかにしたもの」です。朝鮮人分の陸軍の留守名簿は一一四冊に及びます。この名簿には部隊ごとに編入日、本籍地、前部隊の名前、本籍地、親族、徴集年月日、階級、発令日、名前、生年月日などが記されています。また、名簿からは供託金の存在や靖国への合祀がわかります。欄外に重要な記載があることもあります。

この留守名簿は一九四五年ころに作成されたものが多いのですが、国家記録院の集計では一六万人ほどが収録されています。

地域別にみれば、南朝鮮が四万二千人、北朝鮮が一万九千人、中国が二万六千人、満州が一万五千人、台湾が一四〇〇人、日本が一万七千人(この内農耕隊が一万一千人)、ビルマ・タイが四千人、マレー、インドネシアが六千人、フィリピンが四千人、北方・島嶼が一六〇〇人、アジア各地に展開していた船舶軍が一万人、航空軍が八千人ということになります。この留守名簿については、一一四冊分の簿冊名とその名簿に所収されている主な部隊の人数や特徴を記した一覧表を作成しました。これによって留守名簿の全体像が明らかになったと思います(表1-8陸軍「留守名簿」動員先と人数)

留守名簿のなかには、ニューギニアでの三五〇〇人の朝鮮人兵の「配賦」を示す表がありました。この表は「鮮台班所有資料」から作成されたことが記されています。この「鮮台班」の史料が公開されれば朝鮮人動員の実態はいっそう明らかになるでしょう。「配賦」とは強制的な割り当てを意味しますから、この表はニューギニア戦線への強制的な配置を示すものです。この戦線では多くの人々が亡くなりました。先ほどの菊池さんが集約された名簿をみれば、死者ひとりひとりの名前や住所がわかります。

農耕隊の留守名簿では一部隊分が欠落しています。名簿には欠落しているものも多いわけですから、陸軍の動員数は二〇万人を超えるものになるでしょう。戦後当初、日本政府は朝鮮人の陸海軍人軍属の数を三六万人と言っていましたが、後に二四万人としました。今回、陸軍留守名簿を閲覧するなかで、動員数が陸軍二〇数万人、海軍一〇数万人の三〇数万であるという印象を持ちました。留守名簿以外にも部隊名簿があるはずですから、それらの名簿の公開も求められます。

 

B    海軍軍人軍属名表

 

留守名簿の次に分析したものが、海軍の軍人軍属名表です。この史料は二種類あり、ひとつは海軍軍人履歴原表の約二万一〇〇〇人、もう一つは海軍軍属身上調査表の約七万九〇〇〇人分です。これらの史料は一人一枚ごとの個票になっていますが、その個票が約一〇万枚あります。委員会ではそれをデータファイルにしていますので、パソコン上で検索することができました。

海軍軍人履歴原表は鎮海鎮守府の人事部で管理されていたものです。この史料からは鎮海で訓練し、日本やアジア各地に送りこんでいった経過が判明します。水兵だけではなく技術兵、機関兵、衛生兵、工作兵などさまざまな職種に分類され、訓練されていました。海軍の軍人は約二万人とされていますから、海軍軍人の動員の実態がこの史料から判明するわけです。

海軍軍属身上調査表は海軍の軍属とされ、日本からアジア各地に動員された人々の個票です。これらの個票は、芝浦、横須賀、呉、佐世保、舞鶴などの鎮守府ごとに集められ、慶尚道、全羅道など道ごとに編集されています。死亡者についても、芝浦、横須賀、呉、佐世保、舞鶴などでまとめられて一つのファイルにされています。大湊や大阪、燃料廠、海南島などのものも含まれています。

ファイルには名前、住所、軍での履歴、異動状況が記され、未払い金の存在や死亡者が靖国に合祀されていることもわかります。

これらの個票は敗戦後に呉の復員事務所で作成されたものとみられます。この個票を作成するにあたって参考にした部隊名簿があると思います。それらの史料が出てこれば、いっそう動員の実態が判明すると思います。

この海軍の軍人軍属名表についても一覧表を作成しました。動員先の細かな分類は今後の課題ですが、名票の構成については理解できると思います。これらの陸軍と海軍の名簿については「朝鮮人軍人軍属名簿からみた朝鮮人動員の状況」の形でまとめ、強制動員真相究明ネットワークの研究集会の冊子(二〇一一年五月)に掲載しました。その後、毎日新聞二〇一一年九月三日付夕刊、統一日報二〇一一年九月一四日付などで記事になっています。

 

C   他の軍人軍属関係名簿

 

この陸軍留守名簿と海軍軍人軍属名票のほかには、工員名簿一三冊、軍属船員名票二六冊、兵籍戦時名簿六七冊、臨時軍人軍属名簿一〇三冊、病床日誌三〇冊、俘虜名票一五六冊などがあります。

工員名簿は造兵廠工員、陸軍官衙、陸軍運輸部などの名簿に分けることができます。これらの名簿からは相模、大阪、名古屋の造兵廠、陸軍の需品本廠、被服廠や航空廠、陸軍運輸(船舶司令部等)などへの計二一〇〇人の動員状況がわかります。

しかし、一〇〇〇人を超える動員がなされた大阪造兵廠については工員名簿では三〇人ほどしか収録されていません。陸軍の官衙、運輸関係にもより多くの動員があったとみられます。このように工員名簿は不十分なものですが、相模や名古屋での集団的な動員の実態が判明しました。

軍属船員名票は陸軍に徴用された軍属船員の約七〇〇〇人の個票です。二六冊分あり、道別に編集されています。番号、名前、住所、生年月日、徴用記録、職種、船名、給与、期間、徴用期間などが記されています。

軍属船員ではこのほかに、陸海軍の徴用船員の死亡者名簿が作成されています。

わたしが閲覧したのはこのような名簿ですが、他には次のような名簿があります。

兵籍戦時名簿は二万人ほどの名簿であり、郡別で六七冊あります。うち三冊は六八〇人ほどの死亡者名簿です。臨時軍人軍属名簿は、家族による陸軍軍人軍属の申告書で構成された四万六千人ほどの名簿で、道別に整理されています。病床日誌は陸軍の軍人軍属の入院・治療記録であり、八五〇人ほどのものです。俘虜名票は七〇〇〇人ほどの名簿で、連合軍による英文の調書類です。

このほかにも、委員会で収集した軍人軍属関係の名簿がありますが、それらは真相糾明委員会が作成した名簿目録に記されています。この目録は二〇〇九年のものですが、ここで回覧しますのでお読みください。なお、委員会には資料閲覧の便宜を図るために作成された強制動員資料所蔵目録が別にあります。

これらの陸海軍名簿から、江華郡分関係については被害者団体が名簿のコピーをとり、江華郡関係名簿四冊分を編集しています。この名簿は真相究明ネットに提供されて、データ化していますので、史料として示すことができます。

また、先ほど分析の紹介があった被徴用死亡者連名簿についても全冊が入手され、データ化されていますから、これらも史料として提示できます。

 

D   被徴用死亡者連名簿

 

さて、被徴用死亡者連名簿の話に戻りますが、この名簿の掲載人数の概略をみておけば、全羅道で七〇〇〇人、慶尚道で五五〇〇人、忠清道で二八〇〇人、京畿道一八〇〇人、平安道一三〇〇人、黄海道一二〇〇人、江原道一〇〇〇人、咸鏡道一〇〇〇人となります。全羅道や慶尚道からの強制動員が多く、この二つの道で過半数を超える死者が出たことがわかりますが、朝鮮北部からも軍人軍属の動員があり、死者も四〇〇〇人近く出たこともわかります。

一九九三年の全羅北道での調査の際に、戦争犠牲者遺族会全北支部で全北分の被徴用死亡者連名簿の提供を受け、ラバウルへの動員と名簿の分析をおこなったことがあります。全北分の名簿は海軍二三〇〇人、陸軍五〇〇人の計二八〇〇人ほどのものですが、動員状況の概略はこの名簿の分析からも知ることができます。

菊池さんの今回の分析にあるように、海軍では第四施設部や各地の設営隊に組み込まれ、パラオ、タラワ、エニウェトク(ブラウン)、トラック、ラバウルなど南洋で亡くなった軍属が多いわけです。陸軍ではニューギニア戦線に動員された兵士が全北だけでも二〇〇人ほど亡くなっています。

この全北分の名簿から海軍について主な動員先をあげてみれば、第四海軍施設部〜パラオ・タラワ・ブラウン・ウェーキ・クェゼリン・トラック・マリアナ近海・南洋諸島近海、第八施設部〜ラバウル、第五建築部(施設部)〜サイパン、大湊施設部〜北千島・北太平洋・浮島丸、横須賀施設部硫黄島佐世保施設部九州各地などがあります。

編入された設営隊名と主な連行先をみれば、第一一一設営隊〜タラワ、第一〇三設営隊・第二一九設営隊〜ルソン、第二一二設営隊〜ニューギニア、第二一三設営隊〜ラバウル、第二一四設営隊〜ペリリュー、第二二三設営隊〜サイパン、第二二五設営隊〜ダバオ、第二二六設営隊〜サイパン・沖縄などがあります。

一九九〇年代には戦後補償の裁判が起こされましたが、そのなかで証言や資料などが発見され、ミレでの人肉食を契機とした朝鮮人蜂起、エニウェトク(ブラウン)やタラワでの軍属の全滅に近い状況、沖縄への朝鮮人軍夫の動員や処刑の実態などが明らかにされました。また、BC級裁判では俘虜監視員の動員の状況や在韓軍人軍属裁判では四〇〇を超える人々の動員の実態が明らかにされてきました。

被徴用死亡者連名簿にはひとりひとりの名があり、故郷の住所や家族についても記されています。この名簿は多くの悲しみの歴史を示すものですが、朝鮮人軍人軍属の死亡実態を隠し、それへの補償を拒み続けてきた日本政府の犯罪をも示すものです。それは日本の帝国主義による植民地朝鮮からの民衆動員とその過去の未清算を示すものであると思います。北東アジアの民衆の共同体を創るにあたっては、この過去の清算はなくてはならないものと考えます。

 

おわりに

強制連行・強制労働の問題解決に向けての課題として、二〇〇七年の『戦時朝鮮人強制労働調査資料集』の最後に、@各地で調査をすすめ、強制労働の現場が国際的な友好と平和の場となること,A韓国真相糾明のデータの共有、B名簿の作成やオーラルの整理、C軍人軍属関係名簿の整理、D強制労働関係史料の出版、E厚生年金や供託名簿、殉職者名簿などの政府や企業による公開、F朝鮮人遺骨の調査と返還、G政府企業による賠償基金の設立などをあげ、東証一部企業から強制労働継承企業名をあげました。

今回の調査は、Cで課題としてあげていたことですが、委員会で軍人軍属名簿の閲覧ができたことから実現しました。本来、日本政府自身が調査して公表すべきものです。

今後は菊池さんがなされたような名簿のデータ化に加え、日本政府による強制動員の調査、韓国の真相糾明のなかで出版されたものの日本での翻訳・紹介、年金名簿や供託名簿の韓国へのさらなる提供と一層の公開、資料公開、郵便貯金名簿の調査、遺骨の返還、賠償基金の設立など、過去清算に向けての多くの課題があると思います。引揚の記録や徴用船員の詳細な調査も課題です。

韓国での「慰安婦」問題や在韓被爆者への韓国政府の不作為を違憲とする動きや戦犯企業の提示や賠償基金設立の動きにも対応することも求められます。本来、日本で政府と関係企業による強制動員被害者への賠償基金の設立がなされるべきです。

東アジアでの「植民地民衆と帝国の軍隊」の問題をテーマとして設定し、植民地責任についての普遍的な問題意識をもって共同研究し、そのなかで朝鮮人の強制連行をまとめていくことも必要と思います。しかし、研究のみに終わらずに、利他が共有されるような形で民衆運動の成果となっていくことを望みます。

(この記事は、二〇一一年一二月二四日の東京での朝鮮人軍人軍属名簿の研究会での報告をまとめ、討論やその後に提起されたことを追加して文章化したものです。)