2012年1月29日日曜13時30分
東ふれあい公園(地域情報センター横)
原発いらない浜松デモ開催
呼びかけ TwitNoNukes浜松


ユーストリームで当日の集会デモがアップされています。
以下です。
http://www.ustream.tv/recorded/20080321

1・29、原発いらない浜松デモ開催

 

2012年1月29日、原発いらない浜松デモが「TwitNoNukes浜松」(反原発デモを実行するTwitter有志)の主催でもたれ、130人が参加した。

呼びかけたメンバーは、「もう無関心でいることは決してできません。私のように無自覚に原発を容認してきた大人が、今のこの荒廃した日本を作ってきたとも言えるからです。ですから私には福島への責任があります。原発をこの地上からなくしたいです。停まっている原発の再稼働は必ず阻止しなければなりません。今ほどデモをやって当然の時はないと思います。国民の安全への思いを無視して、この期に及びなお原発を推進し続ける電力会社、政府、それに盲目的に従うだけの自治体に対し、はっきりと声を上げなければなりません。」と語っている。

「やめまい!原発浜松」は、6.11,9.11と市民が共同して反原発を表現できる場を設定することを目標にデモを設定してきたが、今回の呼びかけに賛同し、この間、知り合った仲間にも呼びかけた。「やめまい!原発浜松」の仲間もともに「原発いらない」「浜岡廃炉」「命を守れ」「子どもを守ろう」と声をあげた。

  
浜松市内をデモ

    

出発前の集会
    
         デモは市民による芸術表現である

2012年1月末現在、日本国内での稼働原発は3基となった。これらの3基も4月下旬までに定期検査のために停止する予定であり、5月初めには54基すべてが停止する見通しである。今後は再稼働をめぐる攻防が焦点となるだろう。

中部電力浜岡発電所は2011年の5月に政府の要請で停止して以来、中電は昼夜の工事で防波堤の建設を進めている。しかし、福島原発の事故が津波のみならず地震に起因するものであることが、次第に報道されるようになった。直下型地震に浜岡原発が耐えうる可能性はないとみるべきだろう。稼働状況が3基でも電力は足りていることからも、原発なしでやっていけることが明らかになっている。

原発の大きな事故がおこれば、市民は生命、財産、居住地域などすべてを失うことになる。福島事故はそれを示した。この事故に対して、政府は「想定外」「安全」「冷温停止・収束」などの言質を弄し、汚染地域に居住を強いられている市民の避難の権利を認めようとしない。さらに東京電力に至っては事故による汚染物質を「無主物」と表現し、その汚染除去の責任を全くとろうとしない。また、スピーディのデータはすぐに市民には明らかにされずに、先に米軍に提供されていたことも判明した。それは、この国と企業が利潤を追求し、米国に追従し、自国の市民の権利や安全はあとまわしとすることを示している。

原発はもともと核兵器開発のための施設であった。原発は、原爆投下とビキニ水爆実験での被爆を経て高まる原水爆禁止運動に対して「原子力の平和利用」という隠れ蓑とともに日本に導入されてきた。それは日米安保という軍事同盟のなかでの産物であり、日本は米軍の核兵器の持ち込みを認める密約を持ちながら、非核3原則を唱えて市民を騙し、地域民衆の反対を金と権力で抑えつけて原子力発電を推進してきたのだった。米軍の核戦力の傘と国内での原発推進、これが戦後の日本の核開発の特徴である。NoNukesが反核と反原発を含む表現であり、反核と反原発は表裏一体のものであるが、別もののように受け止められてきた。

このような日本の安保体制下での原子力推進は、3・11による福島原発爆発事故によって大きな転機を迎えている。市民のなかからは、原発を認めてきたことへの反省、無関心であったことへの責任、子どもたちの未来への不安、福島原発事故への怒りなどが湧きあがっている。今回の「TwitNoNukes浜松」の呼びかけもその一つだ。

「私には福島への責任がある」と自ら立ち上がり、デモを設定し、その先頭に立った人々に心から敬意を示したい。2012年4月末には日本の原発はすべて止まる。再稼働を許さない市民の声も強まるだろう。この2012年を日本の原子力発電推進の50年の歴史に決着をつける年としたい。     (竹)