7・14「戦後補償問題は日韓請求権協定で解決したのか」シンポ報告
2012年7月14日、東京で「戦後補償問題は日韓請求権協定で解決したのか」をテーマに公開シンポジウムがもたれた。主催は日韓会談文書・全面公開を求める会であり、70人が参加した。
シンポでは次のような問題提起がなされた。
金昌録さんは、2012年5月24日の韓国大法院判決は植民地責任を棚上してきた1965年体制を超えるものであり、その判決は日本の国家権力が関与した反人道的不法行為と植民地支配に直結した不法行為による個人の損害賠償請求権を認めるものであるとした。それは、植民地責任一般に対する請求権とそれに関する外交的保護権を認めるものであり、日本の植民地支配に対する全面的な追及への法的な土台となるものとした。
太田修さんは、サンフランシスコ条約では植民地支配の責任を問わないという認識があり、日韓条約での請求権問題でも、日本は被徴用者の未収金や被徴用者への被害補償については認めようしなかった。日本側は政治決着による「経済協力」金を「独立への祝い金」と語っていたが、これは植民地責任をごまかすものであったとした。
阿部浩巳さんは、国際社会の歴史的な潮流は被害を受けた人間の救済や植民地主義と対峙する方向にあり、それは沈黙を強いられてきたものに価値を与え、過去を再定義するというものであるとした。そして、韓国大法院の判決はその流れにあるものであり、国際法からみれば、日韓請求権協定での「紛争」は存在することになるとし、「紛争」を認めようとしない日本政府の対応を批判した。
梁澄子さんは、2011年に憲法裁判所が「慰安婦」問題などでの韓国政府の不作為を指摘した経過を示し、被害者側が「人道的解決」ではなく、国家責任や法的責任をとることを強く求めている現状を話した。そして、日本政府の「平和の碑」や「戦争と女性の人権博物館」への対応を批判し、事実認定や公式謝罪、賠償がなされるなど、被害者が納得する形での解決が必要であるとした。
これらの問題提起の後、日韓協定をどう見直すのか、日韓協定は破棄できるのか、日本の対応は協定の重大な違反に当たるのか、大法院判決以後どのような運動が必要か、戦後補償裁判が獲得した地平となにか、80年代民主化運動の歴史的蓄積、被害者救済基金の設立状況、未払い金問題の解決方法、日本の学問での国益主義の原因、補償と賠償の概念的整理など、さまざまな視点から活発な討論がおこなわれた。
討論の後、どんなに悪い状況でもそこから希望をつくっていくことを確認して集会を終えた。
韓国大法院判決は、反人道的不法行為と植民地支配に直結した不法行為による個人の損害賠償請求権を認めるものであった。その地平に立ってこの間の運動を捉えなおし、被害者の救済、その尊厳回復に向けて、運動の論理を再構築していくことが求められている。(竹)