9・2第4回原発いらない浜松デモ参加記 

2012年9月2日、TwitNoNukes浜松主催の第4回原発いらない浜松デモがもたれ、80人の市民が参加した。映像へのリンクhttp://www.youtube.com/watch?v=-Kk5D2Ej7Vc

出発前には主催者の挨拶や「めでたバンド」の歌があり、デモでは、太鼓の音とともに、再稼働反対」「浜岡原発廃炉」「子どもを守れ」といったコールをあげて歩いた。

 

 3.11以降のデモや集会でさまざまな表現に出会った。また思い出した言葉もある。

ここでいくつかをあげておけば、第1に「核と人類は共存できない」がある。これは被爆者運動のなかで核廃絶に向けて掲げられたものだが、3.11以後、30代の女性がマスコットととともにこの文字のボードをもって歩んでいた。

第2に「民主主義に原子力は相反する」というものである。これはドイツの緑の党のメンバーが語っていたものだが、原子力の本質を突いた表現だと思った。核は帝国の権力を強化し、核そのものが密室化した支配を生んでいくものなのである。また、ウラン採掘により現地住民が被曝する。

第3に「地震の国に原発は無理」という言葉である。地球を構成するプレートの動きが活性化し、大地震が次々に起きている。特に日本列島は4つのプレートが交差している場所である。そこに原発を54機も建て続けたこと自体、先見性のない暴挙だった。

第4に「国の安全を信じていたら殺される」という言葉である。これは1990年代後半に見た記憶があるが、それは「国のいうことを聞いていたら殺される」意味であり、第2次世界大戦の教訓でもあるだろう。この表現は国家権力を批判し、その権力への抵抗を呼びかける言葉だった。騙されたと語るものは、また騙されるのである。

「核と人類は共存できない」、「民主主義に原子力は相反する」、「地震の国に原発は無理」、「国の安全を信じていたら殺される」。どの言葉も重要な視点を提起している。

もう少しいえば、近年、日米間の密約が明らかにされた。それにより、この国の政府は非核3原則を語りながら市民をだまし、核の持ち込みを容認してきたことが明らかになった。原子力の推進においても、その「安全」や「平和利用」という嘘があった。この核の平和利用論にたいして、きちんと反抗の論理と運動を形成すべきだろう。

また、近年「維新」を語って、民衆の歓心を得ようとする動きが強まった。しかし彼らの発言をみれば、過去の戦争責任をあいまいにし、原子力発電の持つ問題点を根本的に問うという姿勢はない。さらに、民衆や労働者に敵対し、その権利を奪うことをすすめている。かれらには原子力導入の日米の結託を問うことはできないだろう。

もう一つ、付け加えておこう。1988年、アメリカ先住民族の「大地といのちのランニング」が浜岡に到着し、現地で平和への祈りのセレモニーをおこなった。ホピの預言には次のようにある。「精神的な教えや信仰を無視し、自分の欲望のために生きとし生けるものを傷つけてきた人間は、大きな苦しみを受ける。地震、津波、旱魃などの災害、汚染、治療法のない病気、そして自ら引き起こした戦争によって、罰せられることになる。生き方を改めなければ、人類は滅びる」と。母なる地球と共に生きようとする方向が今後の課題である。

TwitNoNukes浜松主催の第4回原発いらない浜松デモは、私にとっては、このような思いを深める場だった。              (竹)