「巌さんをふるさとに、一刻も早い再審開始を!」
             
12.2浜松集会

                          

2012122日、浜松市内で「巌さんをふるさとに、一刻も早い再審開始を!」を訴え、袴田巌さんは無実だ12.2浜松集会がもたれた。

袴田事件は、1966年に清水市で起きた一家殺人事件により、元ボクサーの袴田巌さんが逮捕され、死刑とされた事件である。巌さんは浜松市で育ち、ボクサーとなり、その後、清水で働いていた。事件は袴田さんが30歳の時に起きた。袴田さんは無実を主張したが、1980年に最高裁で死刑が確定した。その後、再審が請求されたが、2008年に最高裁で請求は棄却された。そのため現在、静岡地裁へと第2次再審請求がなされている。すでに、袴田さんが逮捕されてから46年が経過している。死刑囚の独房生活のなかで袴田さんは精神が不調となり、面会を拒むようになった。

2011年末、犯行時に着用していたとされた5点の衣類のDNA鑑定の結果、弁護側の鑑定人は、検出されたDNA型が袴田さんのものとは一致しなかった、被害者と判断できるDNA型はなく、返り血とは考えられないDNA型も検出されたとした。この鑑定結果は5点の衣類がねつ造された可能性を示すものだった。検察側の鑑定人は袴田さんと完全に一致するDNA型は認められなかった、被害者に由来したDNA型の可能性を排除できないとした。

着衣の右肩には袴田さんの血痕が付着とされていたが、そこからは両鑑定とも袴田さんのDNAを検出しえなかったのだった。

現在静岡地裁では、この両鑑定人の尋問がすすめられている。

このなかで、ずっと袴田巌さんを支援してきた姉の秀子さんはアムネスティの支援で7月から12月にかけて全国スピーキングツアーをおこなった。集会は、豊中・明石・広島・滋賀・静岡・新潟・横浜・東京で開催された。秀子さんは来年で80歳の高齢であるが、過酷な46年にも及ぶ死刑囚の拘束に対し、「巌は無実、負けてたまるか」と奮起しての行動だった。その思いを受け、一刻も早い再審開始を!と、人々が集会に参加した。

12・2浜松集会では、浜松・袴田巌さんを救う会会長の渥美邦夫さんが早期の再審開始を訴えた。神田一門の福田織福さんは「袴田冤罪事件・百万遍」という題の講談をおこない、袴田さんが逮捕されてから自白を強要されるまでの経過を表現した。続いて袴田事件弁護団の角替清美弁護士が、袴田事件の現状について講演した。さらに、袴田秀子さんが「負けてたまるか」の題で、巌さんの支援活動の経過や巌さんの無実への思いなどを話した。また、静岡、仙台、名古屋、東京、清水などからの参加者が支援の運動について話し、最後に、要請書が採択された。

弁護士が講演で指摘したように、袴田事件には、拷問の末の自白、裏木戸からの侵入の不可能、5点に衣類のねつ造疑惑など多くの問題点がある。

特に犯行時に着用していたとされ、1年2か月後に現場の味噌樽から「発見」された5点の衣類については、清水袴田救援会の味噌漬け実験で、衣類も血液も1年余の味噌漬けで黒く変色していることからも、証拠ねつ造の可能性が高い。

5点の衣類の発見直後、つじつま合わせのために共布が収集され、2011年に新たに開示された証拠によって、5点の衣類が発見された味噌樽には80キログラムしか味噌がなく、ほとんど空の状態であり、5点の衣類を覆い隠せる量ではなかったことも明らかになった。また、ズボンの型とされていたBが生地の色を示すものであったことも明らかになっている。

集会では、弁護側の再審請求に対して検察側は時間稼ぎをするような対応に終始しているが、一刻も早く再審を始めるべきという発言が相次いだ。

集会で採択された要請書では、静岡地検に対しては、全証拠の開示、身柄拘束の停止、死刑執行の停止、無実を認めて再審開始に同意することなどを求め、静岡地裁に対しては、静岡地検に対して隠している全証拠品を開示させること、袴田巌さんに面会し本人尋問を行うこと、全審理の公開、死刑執行停止と身柄拘束停止を法務大臣に求めること、再審開始を決定し、無罪判決を出すことなどを求めている。(T)