カタロゥガン!ロラたちに正義を!浜松上映会2013・5・19

 

この映画はフィリピンの元日本軍「慰安婦」の証言と正義回復への行動を追ったものである。カタロゥガン!とはタガログ語で、正義という意味である。軍による強かんの体験を語ることは自らにふたたび痛苦を与えることであるが、事実を認め、謝罪と賠償をおこなわない日本に対して、尊厳の回復を求めて、その事実を語る。しかし、日本政府はその叫びに答えようとはしない。

「慰安婦」被害とは占領や植民地支配にともなう女性への性暴力であるが、フィリピンの場合、集団虐殺などとともに女性が略奪されていくケースが多い。この映画に出てくるナルシサさんは、父親が日本軍によって皮膚をはがされて殺され、姉も強かんされている。コルテスさんの夫は顔を切りさかれて拷問され、殺され、コルテスさんは輪かんをくり返された。フリアスさんの顔には煙草を押し付けられた跡と耳には切りつけられた跡が残る。そのような体験で、かの女たちの精神は語り尽くせないほど深い傷を負っている。

映画に出てくる元日本兵は今も、慰安婦の存在を認め、台湾「慰安婦」との友情を語る。かれは日本軍人として、その性犯罪を恥じることなく死んでいくのだろう。同様に、過去の戦争を正当化する政治家たちは、「慰安婦」は当時は必要だった、「慰安婦」に強制連行の証拠はない、侵略の定義はないなどと、語ってやまない。

この問題を解決しようとする心性を持てない者たちの内面に向かって、ロラたちは語りつづける。カタロゥガン!正義と尊厳を!謝罪と賠償を!絶対に引くことはない、一人でも闘う、笑顔で人生を終わりたいと。かの女たちの正義の実現にこそ未来がある。かの女たちの闘いが日本の右傾化を撃ち、その動きを止めている。この地から、「慰安婦」を正当化する者たちの政治生命を断つ時が来ている。                (T)

 

 

橋下徹(大阪市長・日本維新の会共同代表)様        2013年5月19日

                    

橋下大阪市長による「慰安婦制度は必要」「米軍は風俗利用を」発言に抗議し、

その撤回と辞任を求める要請書

橋下大阪市長は2013年5月13日の会見で次のように話しました。侵略のきちんとした定義はなく、敗戦の結果として侵略である。反省とお詫びはしなければならないが、日本が不当に侮辱されている。なぜ日本の慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるのか。国をあげて強制的に慰安婦を拉致し、職業に就かせたと世界は非難しているが、違うところは違うというべき。当時はいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。銃弾が飛び交う中での猛者集団はどこかで休息をあげようと思ったら、慰安婦制度は必要なのは、誰だってわかる。今のところ、2007年の閣議決定〔第1次安倍内閣〕では〔強制連行の〕証拠がないとなっている。〔沖縄司令官に対して〕風俗業を活用してもらわないと海兵隊の猛者の性的なエネルギーをきちんとコントロールできない(要約)。

 このような発言は、自民党の安倍第2次内閣が、侵略と植民地支配に言及した村山談話と「慰安婦」への日本軍の関与を認めた河野談話を見直すとし、改憲と靖国参拝、過去の戦争行為の正当化をすすめるなかで起きました。この橋下発言を受けて、日本維新の会は党の基本的な見解を同月16日に示しましたが、そこでは、発言は軍や官憲による強制連行を示す証拠はないとする政府見解を踏襲したものであり、女性を強制連行し、性的奴隷にしたとの国際社会での誤解を解くことが政府の責務としています。この見解にあるように、強制連行を否定し、「慰安婦」は性奴隷ではないという考えが、橋下発言の根底にあるわけです。このような発想は自民党や維新の会に共通した考え方です。

 今回の発言は、日本の政治家が国際社会による奴隷制の廃絶、人種差別の撤廃、性暴力や女性差別の撤廃をめざす努力に無知であることを示すとともに、他方で、過去の清算をなさないまま、右傾化にともない、過去の歴史を歪曲して正当化するという歴史修正主義の動きが強くなったことを示すものです。

 橋下発言は、以下のような問題点があります。

日本による侵略と植民地支配があったことは史実であり、その後に敗戦があったのです。敗戦したから侵略とみなされたのではありません。侵略とは、他国での略奪や奴隷化、謀略による開戦などの行為から判断されるものであり、定義の問題ではありません。反省と謝罪は侵略と植民地支配に対してなされるものですから、侵略や植民地支配を認識しようとしなければ、ほんとうの反省や謝罪になりません。

日本の「慰安婦」問題が国際的に問題とされたのは、被害者が朝鮮・韓国、中国、フィリピン、インドネシア、シンガポール、マレーシア、ビルマ、オランダ、沖縄など各地に及び、日本がその謝罪と賠償を拒んできたからです。それが、被害者自身の証言、戦後補償訴訟、国連による調査報告書の作成、民間の女性国際法廷の開催、救済に向けての立法要求となりました。そして、今も安倍首相や橋下市長のように強制連行ではないと発言する日本の政治家が絶えないことが、国際的な批判を生んでいるのです。

国連のマクドゥーガル報告書(1998年)では、「慰安婦」の処遇は奴隷制と奴隷売買にあたり、1926年の奴隷条約の定義にあてはまるものである。日本政府自身が認めるように、これらの女性は自由を奪われ、意思に反して徴集され、なかには奴隷のように金によって売買された者もいた。「慰安婦」は皆、自己決定権を奪われた体験があり、日本軍によってかの女たちは所有物のように取り扱われ、戦争法規に違反する強制売春と強かんがなされた。これらの犯罪行為では、その実行者と上官に奴隷化の法的責任があることは明らかである。日本軍はこれらの強かん所の設置・監督・運営に明らかに関与し、「慰安所」に関与し、責任ある立場にあった日本軍将校に対しては、人道に対する罪の責任を問うことができるとされています(マクドゥーガル報告書・付属文書「第2次大戦中設置された『慰安所』に関する日本政府の法的責任の分析」の第4章実体法の適用から要約)。

日本軍はその管理下で、「慰安婦」を拉致や甘言で強制的に連行し、集団的に強かんする場所を設定したのです。国際的には、「慰安婦」は性奴隷であり、「慰安所」は強かん所と認識されています。日本軍による性奴隷と組織的強かんは、奴隷制、戦争犯罪、人道に対する罪(奴隷化と強制移送、広範囲・組織的強かん)にあたるものとして、時効なき戦争犯罪とみなされているのです。ですから、国際社会はいまもその解決を求めているのです。それは非難でも、誤解でも、不当な侮辱でもありません。被害者の尊厳回復、その救済が正義なのです。

しかし、安倍首相をはじめとする歴史修正主義者は「強制連行の証拠がない」と詭弁を弄して、事実を否定し、その責任をごまかしているのです。それはかえって国際社会からの批判を生んでいます。そして、橋下市長は、「(日本軍兵士を)どこかで休息をさせてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要なのは、これは誰だってわかる」と発言し、「慰安婦」制度を肯定したのです。それは、国際社会が奴隷制、人種差別、性暴力、女性差別の克服をすすめてきた歴史からみて、許されるものではありません。橋下市長は弁護士ですが、国際法や国際的な人権論、女性の人権や人種差別の撤廃、正義の実現、尊厳の回復などへの理解を持ってはいないようです。

さらに、橋下市長は沖縄の米軍の性犯罪に関連して、司令官に「風俗利用」を進言し、米軍では禁止していると話を打ち切られたといいます。それは「慰安所」を容認する市長が、沖縄の米軍に「慰安所」として「風俗利用」をすすめたということです。それは軍による集団的な強かん所を沖縄にもつくり、米兵にすすめるということになります。それは沖縄の市民の人権が奪われてもいいということです。

このような発言は国際的にも「反人道的犯罪を擁護し、歴史認識や女性の人権尊重意識の深刻な欠如」(韓国)、「公然と人類の良識と歴史の正義に挑戦する発言に驚き、強く憤慨する」(中国)、「発言は言語道断で、侮辱的なもの」(アメリカ) といった批判を生んでいますが、その指摘は至当なものです。市長の発言の放置は国際社会の友好を傷つけることになります。

市長の発言には、被害を受けた人々、今も続く被害への思いがありません。にもかかわらず、市長として、政党の代表として、政治を担い、国政に影響を及ぼそうとしていることが問題です。近代立憲政治は市民の人権の実現のためにあります。市長は、被害者の尊厳回復のための謝罪と賠償の実現にむけて発言し、行動すべきものです。このように人権を否定する発言を繰り返す市長には、政治を担う資格がありません。それを自覚すべきです。

以上の理由から、わたしたちは、橋下市長の「慰安婦制度は必要」「米軍は風俗利用を」発言に抗議し、その撤回と政治的な役職からの辞任をここに求めます。

                               

        「カタロゥガン ロラたちに正義を」5・19浜松上映会参加者一同

                                人権平和・浜松