自衛官人権裁判は、いま6・30浜松集会
2013年6月30日、自衛官人権裁判は、いま6・30浜松集会がたれ、50人が参加した。集会は、東京高裁でのたちかぜ裁判の勝利に向け、北海道の命の雫裁判の勝訴判決に学びつつ、原告、弁護団、支援の連帯を強め、現在の憲法改悪問題についての認識を深める事を目標に設定された。
はじめに、たちかぜ裁判を支援する会作成の「たちかぜ裁判の歩み」が上映された。この作品は、裁判の経過や関係者のインタビュー、基地公開日に撮影した自衛艦内などの状況などで構成されたものであり、裁判勝利に向けての支援を呼びかけるものである。
命の雫裁判の報告では北海道から3人の弁護士が参加し、山田弁護士がこの裁判の経過と争点について説明した。命の雫裁判とは、陸上自衛隊真駒内基地での徒手格闘訓練で沖縄出身の自衛官が死亡した事件の損害賠償請求である。全身に皮下出血があり、肝臓破裂や肋骨の骨折という遺体の状況から、故意に暴行がなされ、それを組織ぐるみで隠ぺいしたと考えられた。弁護団は故意の暴行ではと追及、12回の口頭弁論が開かれた。地裁判決は、故意の責任は排斥したものの、徒手格闘訓練の危険性を指摘し、6500円の慰謝料支払いを命じた。消滅時効の起算点も黒塗りがない調査報告書等を入手したときとする判断を示した。自衛隊側は控訴を断念し、判決は確定した。
たちかぜ裁判については、弁護団長の岡田弁護士が「艦内生活実態アンケート」について解説し、裁判への支援を求めた。このアンケートは自衛隊側が事故後に隊員から集めた手書きのものであり、すでに処分したとされてきたものである。しかしそのアンケートの存在が、海上自衛隊のたちかぜ裁判関係者の三佐の内部告発によって、高裁の口頭弁論が始まるなかで明らかにされたのだった。そこには自殺した自衛官の自殺前夜の状況を同僚から聞き取ったメモなどもあった。自衛隊は提訴から6年に渡り、存在しないと虚偽を述べて、真相を隠蔽していたのだった。原告の涙ながらの陳述、訴えが自衛隊幹部の心を揺り動かしたのである。
九州から参加した北川弁護士は、さわぎり裁判以後の自衛官の公務災害認定事件について紹介した。それは幹部候補生となり、武装走の後に持久走もおこない、その途中で亡くなったという事件である。これらの報告の後、討論がなされ、以下の発言が出された。
自民党の憲法改正案では国防軍を設置し、軍法会議にあたる「審判所」をおくとしているが、そうなると公開での裁判で処理されずに、軍内で非公開のうちに処理されるようになる。自衛官が人権を守る裁判を受けられなくなる危険がある。札幌では命の雫以外にも数件の相談があり、1件は裁判となった。自衛官の人権を守る闘いが憲法を守り、国防軍化を止めることになると考えている。隊内の非常勤の職員へのセクハラの相談がある。恵庭事件判決以後46年が経つが、自衛官人権裁判のように自衛隊内の隊員の人権の闘いへと人権運動は広がっている。孤独ななかで自衛隊内から立ちあがっていくのだから、それにどう寄り添うのか、弁護士は依頼者から学んでいる。殺すための訓練をする集団を、人を守るという集団に変えていきたい。第9条と自衛隊という違憲論争だけでなく、「第9条と自衛官」という視点を持ち、憲法9条が自衛官の命を守っているという問題提起を受け止めてきた。
討論の後、浜松、たちかぜ、さわぎりなどの原告、支援の浜松市会議員、市民団体、労働組合などがアピールした。原告からは、ひとつひとつの裁判では勝ったが、自衛隊の体質は変わっていない、国防軍になったらもっとひどくなる、裁判に勝って喜びを分かちあいたい。遺族の会も必要といった訴えがなされた。支援者からは、自衛官も労働者であり、人権の闘いに連帯したい。国防軍になれば、軍の刑法や留置用の営倉をできるようになる。自衛官に向かって私たちが仲間であることを知らせたいといった発言もなされた。また、クウェートに派遣されて米軍請負業者車両にはねられ障碍を負った小牧裁判のケースも紹介された。
集会では、裁判の状況とともに、憲法改悪と国防軍化の動きが自衛官の人権をいっそう抑圧するものであること、個々の裁判での勝訴はあるものの、隊内のパワハラ・セクハラ、退職強要、事実や資料の隠ぺい、軍事組織としての抑圧性などの自衛隊の体質は変っていないこと、自衛官も労働者であり、憲法はその自衛官の生命を守っていること、原告の親としての人間愛と原告間の連携への思いなどが示された。
集会に参加して、歴史的に兵士人権論の内実を深めること、自衛官自身の団結や自衛官の人権の相談機能を持つ支援組織の必要性を感じた。 (竹)