袴田巌さんの79回目の誕生日を祝い

再審開始・無罪判決を求める3・1浜松集会

 

201531日、袴田巌さんの79回目の誕生日を祝い、再審開始・無罪判決を求める3・1浜松集会がもたれ、80人が参加した。

集会でははじめに、元袴田弁護団の田中薫弁護士が講演した。田中さんは、記録をきちんと読まない裁判官の実態を示し、DNA鑑定の前に記録をきちんと読み、再審決定をすべきだったと語った。

浜松救う会の笠井さんは「巌さんの解放後の1年」の映像を紹介した。その後、東京、清水をはじめ、各地の支援者が発言し、集会アピールを採択した。

つづいて、巌さんの79歳の誕生祝いの会がもたれた。巌さんは集会当日、家にこもり、集会会場に姿をあらわさなかったが、姉のひで子さんが、花束やプレゼントを受け取った。ドイツをはじめ、豊橋など各地からの参加者が思いを述べ、NO!NO!BANDが演奏した。袴田事件を卒論にした学生も参加し、あいさつした。浜松の堀内ジムからはカンパが届いた。

集会後、救う会の有志が集まり、巌さん宅でケーキカットがおこなわれた。巌さんが音楽と共に手拍子する姿もみられた。巌さんは、いま世界は変わりつつある、勝利が大切、ここで自分を守っているのだと語っていた。

 35日、巖さんは東京の後楽園ホールの「袴田シート」でボクシングを観戦した。

  (T)

 

袴田巌さんの79回目の誕生日を祝い

再審開始・無罪判決を求める3・1浜松集会

アピール

 来る310日の袴田巖さんの79回目の誕生日は、解放後349日目になります。この1年間で48年近い獄中生活で失われたどれほどのものを取り戻すことが出来たのでしょうか。死刑囚になって以降の巖さんは、現実の接点との関わりを避け続け、「消されている」「なかったもの」そして儀式として認めている巖さんにとって、わずか1年足らずで何を取り戻したというのでしょうか。

 解放後の3度の入院生活を経て、徐々に徐々に周囲との接触をはじめた感じがあります。人と出会い、集会等に参加しながら、48年の空白を埋め始めたようにも思います。

巖さんにとって最も大事なことは真理であり、誰もが「嘘をつかないこと」を求め、傍らに居る人と安心できる場所があってはじめて現実に向き合うことになると考えます。

 解放直後の2カ月の入院では、支援者とのささやかな散歩が楽しみであったと思います。そして、故郷浜松では駅頭での大歓声に迎えられ、48年ぶりの帰還を果たしました。その思い描いた懐かしい故郷は、当時の面影は失せ、同級生は一足飛びに見知らぬ老人として現れ、何を信じていいのか不安であったと思います。

 巖さんが巻き込まれた事件から48年目の清水での集会に、「清水に行って自由になるプログラムがある」と、決意を込めた参加だったと思います。集会終了後、初めてのお姉さんの家では、「新決定を下し」、窓からのそよ風に「ここは良い」と敷かれた布団に横たわっていました。一時外泊の予定が、巖さんの意志により退院となり、やっと市民生活を送る準備に入ることになりました。

ところが8月には糖尿病を悪化させ緊急入院し、入院中には動脈硬化と胆石の手術が行われ、929日に退院となりました。この入院を経験することで、帰る家があるという実感が安心感につながり、退院後は散髪に出かけることから外出の壁が低くなり、散歩、買い物と、さらには招待された東京の集会に出かけ、遠くは松江まで出かけることが出来ました。

 いまでは街中の様子や、安心して住める家であることが分かり、巖さんの外部との交流のブレーキは溶けかかり始まっているように思います。しかしながら拘禁反応による妄想性障害は根強く残り、お姉さんが指摘するように「身柄は解放されたが、心は獄中」の状態にあると思います。

79歳になる巖さんにこれ以上の無駄な時間を費やす事はできません。

 巖さんの冤罪を晴らすため、東京高裁はただちに即時抗告を棄却すること、東京高検は隠し持っている全証拠を開示し、即時抗告を取り下げることを強く求めます。

 

201531

  袴田巌さんの79回目の誕生日を祝い

    再審開始・無罪判決を求める3・1浜松集会参加者一同

 

集会資料から

 

検察は即時抗告を取り下げ、高裁は直ちに即時抗告の棄却を

 

「耐え難いほど正義に反する」(3.27再審開始決定)

無実の死刑囚、元プロボクサーの袴田巖さんの冤罪を晴らすため、巖さんの闘いと多くの人々が頑張ったことから、昨年3月27日の再審開始決定がありました。

当然ですが、その日多くの人 たちが手をたたき、抱き合い喜びあいました。しかし、袴田巖さんは拘置所職員から突然「釈放だ」と言われ、拘置所から解放されました。これは、巖さんに言わせれば「世界中で一番強い者として認められ、世界で一番すぐれた者として認められ、世界で一番正しいと認められ、東京高裁要請行動(2014.10,23)歴史が終わった」からなのです。事件も裁判もなく、全ては儀式であった巖さんにとって、47年と7カ月ぶりの時間や経過は言葉では言い表せない残酷、苛酷、非情なものであったと思います。

3.27村山決定は巖さんの無実の叫びをやっと受け止め、「捜査機関のねつ造」を認め、「耐え難いほど正義に反する」として、巖さんを解放しました。

この歴史的な決定に対し、検察はあくまでも巖さんを犯人として死刑台に送り込もうと、開始決定を認めようとせず、即時抗告しました。検察はいさぎよく巖さんの無実を認めるべきです。この期に及んで争うべき点は何もなく、行うべきは検察をもちろん、ねつ造の主体である警察の体質、制度そのものにメスを入れなければならないと考えます。

 

巖さんの安心感は広がっていますが・・・

巖さんは闘い続けています。1980年12月に死刑が確定されて以降、巖さんは死刑執行の恐怖に襲われ続け、それと向き合い自らを守るため巖さんだけの世界を強固に作り上げ、今もなお「神」として、「天下人」として、「全権力の掌握者」として自らの力で、命を守り続けなければ落ち着いていれない状況にあると思います。

巖さんは解放から1年を迎えようとしていますが、検察は無意味な抵抗を仕掛け、東京高裁はその検察の態度を糺すこともせず、いたずらに時間をかけています。

東京高裁は、繰り返し巖さんの無実の証を把握し、開始決定を素直に受け止め、人道的にも一刻も早く即時抗告を棄却すべきです。

 

「任意性」と「未開示証拠物」の問題だ

巖さんからしばしばこの「任意性」と「未開示証拠物」という言葉を聞くことがあります。

巖さんはまきこまれた事件の報道は見たことがなく、解放後の集会で思いもかけず、NHKのクローズアップ現代を見て、その感想は「確信(核心)がない。任意性と未開示証拠物が問題だ」とのことでした。

この二つの言葉は、巖さんがまったく身に覚えのない事件で警察にデッチ上げられ、強制的に自白をさせられ、裁判にかけられ、無実の叫びを認められず闘い続けている巖さんにとって、デッチ上げられた明確な問題点を指摘しているのではないでしょうか。

事件直後、任意同行で取り調べられ、同僚のすすめで指の怪我を診てもらいに行ったはずが、診療所には警察医が待っていて、診断書が作成されるという、はじめから巖さんに狙いを絞った取調べだったのです。

また、裁判では巖さんを有罪にするための証拠ばかりが出され、今も検察は証拠を隠し続けています。

このように警察、検察の仕打ちを許すことは心底出来ないという、警察、検察に対する徹底的な告発であり、えん罪被害者としての痛烈な叫びだと思います。

 

かけがえのない弟巖さんと共に

解放から1年を迎えようとしている巖さんとひで子さんの生活は、静かな時間の中にあります。

しかし、ひで子さんは可愛い弟を手放してなるものか、万一の場合「巖を連れ戻すなら私を連れ戻せ」と強く言いきっています。

巖さんの日常は、時に他人を寄せ付けないこともありますが、次第に48年近く遠ざけられていた娑婆の暮しに接し始め、穏やかな笑顔や、生まれたばかり姪御さんの赤ちゃんを抱いては「重くなったな」など当たり前の言葉や表情が戻ってきています。

巖さんとひで子さんの一日は、48年のすき間を埋める大事な1日だと思います。当たり前の姉と弟として、誰からも邪魔されず過ごすことのできる日の早からんことを願います。

2014327解放後の経過

327

・静岡地裁が再審開始・死刑及び拘置の執行停止を決定。 ・静岡地検が拘置の執行停止決定に対し東京高裁に抗告。

・東京拘置所から解放。 ・秀子さんらと都内ホテルに宿泊。

328

・東京高裁第11刑事部(三好幹夫裁判長)が静岡地検の前日の抗告を棄却(検察が特別抗告を見送り確定)。

・都内の精神科病院に入院。 ・国民健康保険に加入。

331

・静岡地検が再審開始決定に対し東京高裁に即時抗告。

410

・弁護団が東京高裁第8刑事部の大島隆明裁判長・加藤学裁判官と面談し、即時抗告の早期棄却などを求める意見書を提出。

414

・日弁連で行われた再審開始決定報告集会に参加。

418

・弁護団がDNA鑑定に関する証拠保全等の申入書を東京高検と静岡地検に提出。

512

・弁護団が東京高裁に早急に三者協議を開くよう求める申入書を提出。

519

・後楽園ホールで行われた「ボクシングの日」イベントに参加し、リング上でWBC名誉王者ベルトを受領。

523

・日比谷野音で行われた狭山事件集会に参加し、石川一雄さんら冤罪被害者と再会。

527

・都内の精神科病院を退院。 ・新幹線で浜松に帰郷。 ・浜松市内の総合病院(精神科)に入院。

611

・東京高検が弁護団の418申入書に対する意見書と関連証拠を提出。同時に黒革財布などに関する意見書も提出し、関連する未提出証拠18点を任意に開示。

625

・弁護団が事件の特異性を概説し袴田さんの無実を訴える意見書を東京高裁に提出。

629

・清水集会に参加。 ・支援者らと清水市内を散策。 ・秀子さん宅に外泊。

630

・入院先の病院に戻ることを拒否。

71

・帰院拒否が続いたためそのまま退院。 ・秀子さんとの同居生活を開始。 ・住民票を静岡市から浜松市に異動。

717

・東京高検が即時抗告申立理由補充書及び関連証拠を提出。 ・地裁審理段階で「存在しない」としていた5点の衣類のカラー写真のネガフィルムが存在していた(再審開始決定後に警察で偶然見つかったと主張)ことが判明。

725

・弁護団がDNA鑑定に関する証拠開示申立書を東京高裁に提出。

727

・浜北集会に参加予定も外出を拒否。 ・自宅で小中学校時代の同級生と再会。

85

・弁護団が上記ネガフィルムについて求釈明申立書と証拠開示命令申立書を東京高裁に提出。・東京高裁で第1回三者協議実施。・東京高検が、同ネガフィルムが存在していたことについて弁護団に謝罪。

814

・介護認定審査で要介護1に認定。

819

・東京高検が弁護団の725証拠開示申立書に対する意見書と関連証拠を提出。

827

・体調悪化により医師が往診。血糖値を測定するも測定不能。すぐに入院するよう勧められるが外出を拒否。

828

・午後11時過ぎ、自宅トイレで倒れ、浜松市内の総合病院に救急搬送・入院。 ・肺炎と診断されたほか、心筋梗塞・狭心症などの疑いありと診断。

92

・弁護団が同ネガフィルムの提出方法に関して、ネガを切断せずに提出するよう求める申入書を東京高検に提出。

95

CT検査で胆石・胆嚢炎・肝膿瘍が見つかり胆石・胆嚢の摘出及び膿の除去手術を実施。

910

・東京高検が同ネガフィルムの発見経緯に関する捜査報告書や同ネガフィルムなどを東京高裁に提出。同時にDNA鑑定・5点の衣類の色・捏造の有無に関する証拠も提出。

916

・心臓の血管拡張(ステント留置)手術を実施。

917

・同ネガフィルムの謄写方法などについて高裁・高検・弁護団が臨時の協議(第2回)を実施。

929

・緊急入院先病院退院

108

・外来受診

1011

・フォーラム90集会(帰郷後初参加の集会)

1017

・支援者と初の散歩に

1019

・国民救援会名古屋集会参加

1023

・第3回三者協議

・いのちなきところに正義なし(主催エジディオ共同体)/衆議院議員会館にて

1024

・東大川人ゼミ

1025

・いのちなきところに正義なし(主催エジディオ共同体)/イタリア大使館

1124

・上川法務大臣要請(フォーラム90)/静岡

1129

・死刑廃止を考える集会(島根県弁護士会)/松江

1218

・弁護団反論書(DNA及び5点の衣類の色関係)

1225

・第4回三者協議

1230

・支援者の親戚で餅つき

125

・清水集会不参加

130

検察 取調べ録音テープ24巻開示

・映画「袴田事件プロジェクト始動記者会見/東京・日本記者クラブ

28

静岡県ボランティア協会研究集会/浜松 ひで子さん82歳の誕生祝い

210

・第5回三者協議