宇部炭田と朝鮮人強制連行 2015.3.21宇部・全国集会
1 宇部の炭鉱での朝鮮人強制労働・地図
はじめに1940年代の宇部の炭田(宇部・大嶺)についてみておこう。
地図には、1944年12月時点での朝鮮人現在員数を入れ、1942年6月までの連行者数などを入れた。どこにどれくらいの朝鮮人が連行・動員されていたのかを示した。
沖ノ山、東見初、本山、沖宇部、長生、山陽無煙など、産出量の多い炭鉱へと朝鮮人が集団的に連行されたが、内陸部の山陽無煙を除き、多くが海底を採掘する炭鉱だった。
宇部での炭鉱の開発にともなう道路・鉄道建設、港湾整備や荷役、港湾での工場建設などでも多くの朝鮮人が労働した。
1地図 宇部の炭鉱と朝鮮人強制労働(略)
2 宇部の炭鉱での朝鮮人強制労働・年表
連行期の朝鮮人動員についてみる前に、宇部地域での朝鮮人の歴史についてみておこう。
1919年2月の記事に「騒擾鮮人判決」(大嶺村桃の木炭鉱)があることから、1910年代後半には朝鮮人の炭鉱での労働が確認できる。宇部の東見初炭鉱には長生報徳会があり、1928年には100人ほどを組織していたことがわかる。
1928年7月には宇部で1000人ほどを集めて、相愛会が結成された。小野田でも相愛会ができた。1930年には宇部で同和会が結成され、4000人を組織した。宇部の同和会や報徳会は同和会館の建設をすすめることになった(1934年)。小野田では相愛会と相済会が合同して相和会を結成した(約750人)。日中戦争に入ると、宇部同和会などの団体は戦争動員を担う活動を担わされた。
炭鉱関連での事故についてみておけば、「台風の惨害!西沖之山坑の椿事 無残にも十八名溺死」(朝鮮人11名)大阪毎日 1930/8/14、「坑夫2名死す」(沖ノ山炭坑)大阪毎日
1931/10/23 、「3名圧死」(沖ノ山炭鉱第二坑、朝鮮人2名)大阪毎日 1933/4/7、「落盤で惨死」(沖ノ山旧坑)大阪毎日
1935/10/20などがある(以上、「戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索」京都大学・水野直樹ウェブサイトによる)。
つぎに、強制連行がおこなわれた1939年から45年までの宇部の朝鮮人の動員状況をみてみよう。動員の状況をみるために、年表を作成した。年表からは、宇部での軍需生産の動向、各地の炭鉱での連行の状態や抵抗、協和会による統制の状況を知ることができる。
戦時動員が強まるなかで、宇部の炭鉱では朝鮮人の動員による増産態勢が取られ、炭鉱全体で1万人余りの朝鮮人が配置された。同和会や相和会などは協和会に統合された。連行朝鮮人による争議も増え、山陽無煙では、1943年8月、日本人・朝鮮人それぞれ40人ほどが検挙される事件が起きた。炭鉱での死者も増加し、1942年2月には長生炭鉱での水没事故が起き、180人を超える人々が死亡し、そのうち130人余りが朝鮮人だった。
戦時動員にともない、1942年には協和会員数が宇部・小野田・船木で計4万人を超えた。その数はさらに増加した。戦時統制のなかで、1942年3月、沖ノ山炭鉱・宇部窒素・宇部セメント・宇部鉄工所により、宇部興産が設立された。この宇部興産に宇部の東見初や山陽無煙などの主要炭鉱は統合され、その下に多くの朝鮮人が動員された。
2 年表 強制連行期・宇部の炭鉱と朝鮮人 |
||||
年 |
月 |
できごと |
典拠 |
|
1939 |
3 |
宇部同和会、朝鮮女性に標準服着用講習(3000人在住) |
16 |
|
|
5 |
船木協和会設立 |
1 |
|
|
5 |
沖ノ山炭鉱、西沖ノ山干拓へ、1953年完成 |
13 |
|
|
6 |
小野田協和会設立、2000人組織 |
16 |
|
|
6 |
宇部の3炭鉱、2500人の集団移入の許可申請 |
16 |
|
|
7 |
宇部同和会、内鮮一体強化を決議 |
16 |
|
|
7 |
中原炭鉱に35人が密航 |
16 |
|
|
8 |
宇部油化工業設立(人造石油、沖ノ山系)、41年第1期工事完成、42年第2期工事へ |
13 |
|
|
9 |
宇部で協和会設立へ |
16 |
|
|
9 |
厚狭炭鉱創業 |
13 |
|
|
10 |
長生炭鉱、朝鮮人を100人、138人と連行 |
3 |
|
|
10 |
長生炭鉱、朝鮮人221人が労務による逃走者への殴打に抗議、混乱時に24人逃走 |
1.3 |
|
|
12 |
山口県協和会結成 |
5 |
|
|
ー |
日産系列の山陽無煙、本山で増産態勢強化 |
13 |
|
|
ー |
宇部の朝鮮人数1万人以上、宇部に同和会館 |
13 |
|
1940 |
1 |
宇部で海軍への志願兵 |
16 |
|
|
1 |
本山炭鉱、集団就業宣誓式 |
16 |
|
|
4 |
宇部紡績に朝鮮女子の集団移入 |
16 |
|
|
4 |
東見初炭鉱に1000人の移入へ、1回120人、2回150人、5月には300人予定 |
16 |
|
|
4 |
東見初炭鉱、食事改善要求で朝鮮人17人がスト、66人就労 |
1 |
|
|
4 |
長生炭鉱、朝鮮人161人連行、5月には31人連行 |
8 |
|
|
4 |
宇部石炭統制会社創立 |
13 |
|
|
5 |
日本基督教宇部新川教会創立、姜貞吉ら70人 |
1 |
|
|
7 |
宇部鉱業組合、朝鮮人労働力の歓迎を通達 |
16 |
|
|
9 |
長生炭鉱、慶南から9月に72人、10月に82人と46人、11月に49人の慶南から4次の連行 |
8 |
|
|
9 |
長生炭鉱、4月連行の朝鮮人による脱走計画 |
16 |
|
|
9 |
沖ノ山炭鉱の協和寮でたむし蔓延 |
16 |
|
|
10 |
本山炭鉱、連行朝鮮人が受持繰込係の排斥を要求 |
6 |
|
|
10 |
大正炭鉱、連行朝鮮人が待遇改善要求 |
6 |
|
|
10 |
本山炭鉱、連行朝鮮人1人が指導不服従で送還 |
6 |
|
|
10 |
宇部で朝鮮人の隣組を結成 |
16 |
|
|
11 |
宇部で朝鮮人指導の懇談会、警察部長も出席 |
16 |
|
|
11 |
厚東川ダム・水路工事開始、45年1月通水式、ダム完成は1950年、宇部・小野田への上水・工業用水(県営厚東川用水工事)、朝鮮人連行 |
13 |
|
|
12 |
長生炭鉱、朝鮮人43人連行、慶南第5次分 |
8 |
|
|
12 |
小野田支会、生活様式の内地化推進、2065人会員 |
16 |
|
|
ー |
桜山炭鉱、新見初炭鉱に各50人の連行承認 |
7 |
|
|
ー |
この年、宇部炭田出炭量428万トン、大嶺炭田出炭量50万トン |
13 |
|
1941 |
1 |
協和会宇部支会、定期総会 |
16 |
|
|
1 |
小野田で朝鮮人逃亡者検挙 |
16 |
|
|
2 |
協和会宇部支会、増産強調運動 |
16 |
|
|
4 |
宇部で朝鮮女性への内地化講習会 |
16 |
|
|
6 |
これまでに沖ノ山炭鉱に131人、東見初炭鉱に223人連行 |
10 |
|
|
8 |
宇部で協和会補導員協議会 |
16 |
|
9 |
小野田で協和事業懇談会、協和会館建設の動き |
16 |
||
|
10 |
厚東川ダム工事の朝鮮人330人、12時間労働への延長に抗議、待遇改善要求のスト |
1 |
|
|
10 |
沖ノ山・東見初・山陽無煙、石炭統制会加盟、その他77鉱は山口石炭統制組合を組織へ |
13 |
|
|
12 |
「血書の従軍志願」記事 |
16 |
|
1942 |
2 |
長生炭鉱で水没事故、死者180人余、うち朝鮮人130人以上 |
4 |
|
|
3 |
宇部協和会に婦人補導員設置 |
16 |
|
|
3 |
小野田で協和大会 |
16 |
|
|
3 |
これまでに山陽無煙炭鉱に618人、長生炭鉱に1258人連行、沖ノ山炭鉱に378人、小野田炭鉱に48人、沖宇部炭鉱に60人、本山炭鉱に529人、大正炭鉱に200人、中原炭鉱に179人、東見初炭鉱に1096人連行 |
7 |
|
|
3 |
沖ノ山炭鉱・宇部窒素・宇部セメント・宇部鉄工所の合併、宇部興産を設立 |
13 |
|
|
4 |
東見初炭鉱、連行朝鮮人忠南54人が隊長の暴行に抗議、連行者258人就労 |
1 |
|
|
4 |
山陽無煙炭鉱、坑夫の暴行に抗議、朝鮮人スト |
1 |
|
|
5 |
協和会小野田支会総会 |
16 |
|
|
6 |
これまでに山陽無煙炭鉱に866人、沖ノ山炭鉱に477人、本山炭鉱に722人連行 |
7 |
|
|
7 |
東見初炭鉱、連行朝鮮人299人が約束条件との相違に抗議 |
1 |
|
|
8 |
沖ノ山炭鉱、労務係の病気する奴は死んでしまえ発言に朝鮮人が殴打 |
1 |
|
|
9 |
沖ノ山炭鉱、朝鮮人青年への特別教育(軍事訓練) |
16 |
|
|
9 |
沖宇部炭鉱で日本人労務の殴打に連行朝鮮人25人が抗議 |
1 |
|
|
9 |
山口県労務報国会設立 |
4 |
|
|
12 |
県協和会、第2次勤労報国隊205人を東見初炭鉱へ(25日間) |
1 |
|
|
ー |
山陽無煙で連合軍俘虜の連行、大浜などでも連行 |
13 |
|
|
ー |
協和会員数、宇部18675人、小野田13050人、船木9104人 |
11 |
|
1943 |
1 |
宇部協和会、2か所で協和道場 |
16 |
|
|
3 |
沖宇部炭鉱、連行朝鮮人200人の入所式 |
2 |
|
|
3 |
山口県の朝鮮人炭鉱労働者数10853人(労働者の39.6%) |
9 |
|
|
3 |
県営常盤池用水工事竣工(厚東川から常盤池を経て宇部へ(東見初管理) |
13 |
|
|
5 |
山陽無煙炭鉱豊浦坑での朝鮮人の勤労報国美談を宣伝 |
16 |
|
|
6 |
本山炭鉱の朝鮮人30人、労務による殴打に抗議、7人逮捕、593人就労 |
1 |
|
|
7 |
山陽無煙炭鉱、朝鮮人80人、舎監による殴打に抗議、スト、217人就労 |
1 |
|
|
7 |
沖ノ山、連行朝鮮人190人が指導員の白米持ち出しに抗議、免職要求、一斉怠業で5人逮捕 |
1 |
|
|
8 |
東見初炭鉱、連行朝鮮人と日本人指導員で紛糾 |
1 |
|
|
8 |
山陽無煙炭鉱、朝鮮人686人、日本人坑夫による侮蔑言動から乱闘となり、日本人582人、警防団50人、勤労報国隊員40人が鳶口などで武装し、乱闘、朝鮮人41人逮捕、日本人42人出頭、送検、朝鮮人坑夫ら山口刑務所に収容 |
1 |
|
|
8 |
日本発送電、小野田火力発電所1号機完成 |
13 |
|
|
9 |
沖ノ山炭鉱、朝鮮人の労務者への教育(朝鮮出身女性を先生) |
16 |
|
|
11 |
沖ノ山で電車坑道完成 |
13 |
|
|
12 |
大浜炭鉱、朝鮮人が酒の増配を要求、紛糾、32人労働 |
1 |
|
|
ー |
この年度、山陽無煙に357人、本山に869人、沖ノ山に853人、沖宇部に243人、大浜に93人、東見初に946人を集団連行 |
14 |
|
1944 |
2 |
榎山炭鉱の朝鮮人一人が逃走幇助で検事局に送致 |
1 |
|
|
2 |
大浜炭鉱、連行朝鮮人45人が食糧不足でスト |
1 |
|
|
3 |
沖ノ山炭鉱、朝鮮人坑夫3代にわたる増炭挺身で表彰 |
16 |
|
|
5 |
東見初炭鉱、朝鮮人95人が期間満了後の帰郷要求、1182人就労 |
1 |
|
|
5 |
東見初炭鉱、朝鮮人150人、炊事係の不正等追及、3人逮捕、1321人就労 |
1 |
|
|
6 |
平原炭鉱、専属石炭積込の朝鮮人仲仕12人が日給引上げを要求し、スト |
1 |
|
|
6 |
小野田の沖野炭鉱、朝鮮人仲仕21人が握り飯支給を要求し、スト |
1 |
|
|
6 |
東見初炭鉱、連行朝鮮人90人、食料不足に抗議 |
1 |
|
|
6 |
宇部興産、日本鉱業系の本山・山陽無煙を買収、7月東見初炭を合併 |
13 |
|
|
7 |
沖ノ山炭鉱、朝鮮人8人が地下足袋の破損で就労拒否、1074人就労 |
1 |
|
|
7 |
小野田で1万円の献金 |
16 |
|
|
9 |
山口県の朝鮮人炭鉱労働者数10953人 |
9 |
|
|
9 |
沖ノ山炭鉱に中国人連行 |
13 |
|
|
10 |
帝国燃料、宇部油化・樺太人造石油・三菱人造石油を併合 |
13 |
|
|
11 |
連行朝鮮人の現在員数は、山陽無煙559人、沖宇部324人、沖ノ山1452人、東見初1399人、小野田80人、長生42人、本山361人、大浜69人 |
15 |
|
|
12 |
日本発送電、小野田発電所完成 |
13 |
|
|
ー |
連行朝鮮人の現在員数は、山陽無煙718人、沖宇部342人、沖ノ山1262人、東見初1283人、小野田14人、榎山30人、本山372人、大浜14人 |
12 |
|
1945 |
5 |
小野田セメント製造に50人、理研金属宇部に163人、宇部鉄工所に47人、宇部セメントに94人が在籍 |
17 |
|
6 |
山口県の朝鮮人炭鉱労働者数12141人 |
9 |
||
|
7 |
空襲で東見初の坑外施設、帝国燃料(宇部油化・航空用ガソリン完成前)など全焼 |
13 |
|
典拠文献 |
||||
1 |
特高月報 (内務省警保局) |
|||
2 |
宇部時報 |
|||
3 |
募集ニ依ル朝鮮人労働者ノ状況 |
|||
4 |
宇部市史 |
|||
5 |
山口県警察史下 |
|||
6 |
労務動員計画に基く内地移住朝鮮人労務者の動向に関する調査 |
|||
7 |
移入朝鮮人労務者状況調 (中央協和会) |
|||
8 |
集団渡航鮮人有付記録(長生炭鉱) |
|||
9 |
石炭鉱業の展望(石炭経済研究所) |
|||
10 |
近代日本炭礦労働史研究(田中直樹) |
|||
11 |
山口県協和会支会指導員設置計画調 |
|||
12 |
昭和20年度重要書類(県庁文書) |
|||
13 |
炭鉱 有限から無限へ (宇部市) |
|||
14 |
石炭統制会労務部京城事務所「半島人労務者供出状況調」 |
|||
15 |
石炭統制会勤労部「主要炭砿給源種別現在員表」 |
|||
16 |
戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索(京都大学・水野直樹ウェブサイト) |
|||
17 |
国民義勇隊一件 |
|||
参考 「朝鮮人強制連行調査の記録 中国編」朝鮮人強制連行真相調査団 |
||||
3 宇部の炭鉱での強制動員数・動員場所
つぎにどれくらいの朝鮮人が宇部の炭田に動員されていたのかについてみよう。1943年、1944年の統計から、1943年には3300人ほどが連行され、1944年末には現在員数で4500人を超える連行朝鮮人がいたことがわかる。宇部での1943年の連行では、忠南からの連行者が多かった。
連行状況からみて、1939年から1945年にかけての約6年で、1万人を超える朝鮮人の連行があったとみられる。在住朝鮮人の動員を加えれば、宇部では戦時に2万人を超える朝鮮人の動員があったといえる。宇部炭田の動員の特徴は、中小では縁故や個別の募集で動員されていた朝鮮人が多く、大規模な炭鉱では集団的な動員が繰り返された。
宇部炭田で朝鮮からの集団的な連行がなされた炭鉱は、山陽無煙、本山、沖ノ山、沖宇部、大浜、東見初、長生、小野田、大正、中原、榎山、第2新沖山などである。
宇部の炭田では、在住の朝鮮人労働者を含めると、常時、1万1000人ほどの朝鮮人労働力が動員されていた。主な炭鉱では、在住の朝鮮人の多くが徴用扱いとされた。
このような動員により、宇部・小野田・船木での石炭産業・軍需工場・輸送・土木に関わった朝鮮人とその家族は5万人ほどになったとみられる。
軍需工場では、宇部鉄工所、宇部セメント、理研金属、小野田セメントなどへの朝鮮人の動員があり、宇部重工業、城南造船鉄工などにも動員された。厚東川のダム工事の現場にも朝鮮人が集団連行された。港湾運輸関係では船木鉄道、山口県貨物自動車、石炭荷役などに朝鮮人が動員された。
内務省警保局の内鮮警察の史料では、山口県への労務動員数は1939年に8606人、1940年に7108人、1941年に3538人とされ、この時期に2万近くが労務動員されたとする。ここには縁故による動員数も入っているが、宇部の炭田へと縁故によって動員された朝鮮人も含まれている。縁故であっても労務動員態勢のなかでの労働であり、特高・内鮮警察による監視の対象となった。
3-1宇部・朝鮮人連行数1943年 3-2宇部炭田朝鮮人数1943年6月
炭鉱名 |
連行数 |
炭鉱名 |
現在員数 |
雇用数 |
|
||||||||||||||||||||
沖ノ山 |
853 |
沖ノ山 |
1982 |
63 |
本山 |
607 |
46 |
|
|||||||||||||||||
東見初 |
946 |
東見初 |
1378 |
112 |
上沖 |
373 |
20 |
|
|||||||||||||||||
山陽無煙 |
357 |
山陽無煙 |
727 |
42 |
長門起業 |
222 |
7 |
|
|||||||||||||||||
沖宇部 |
243 |
沖宇部 |
405 |
30 |
長生 |
282 |
12 |
|
|||||||||||||||||
大浜 |
93 |
大浜 |
254 |
6 |
厚南 |
195 |
8 |
|
|||||||||||||||||
本山 |
869 |
小野田 |
519 |
19 |
沖田 |
292 |
0 |
|
|||||||||||||||||
計 |
3361 |
萩森 |
449 |
8 |
その他 |
2759 |
192 |
|
|||||||||||||||||
1月から12月の連行数 |
第2新沖山 |
173 |
23 |
計 |
10617 |
588 |
|
||||||||||||||||||
|
雇用数は43年6月の朝鮮人雇用者数 |
|
|||||||||||||||||||||||
3-3宇部炭田への集団的連行1943年 |
|
||||||||||||||||||||||||
山陽無煙 |
本山 |
沖ノ山 |
沖宇部 |
大浜 |
東見初 |
||||||||||||||||||||
月 |
郡 |
数 |
月 |
郡 |
数 |
月 |
郡 |
数 |
月 |
郡 |
数 |
月 |
郡 |
数 |
月 |
郡 |
数 |
||||||||
2 |
全南 |
174 |
2 |
忠南 |
160 |
2 |
黄海 |
100 |
2 |
慶北 |
95 |
1 |
慶北 |
93 |
2 |
忠南 |
196 |
||||||||
5 |
忠南 |
51 |
3 |
忠南 |
90 |
5 |
忠南 |
86 |
3 |
慶北 |
98 |
|
|
|
5 |
忠南 |
129 |
||||||||
6 |
忠南 |
35 |
4 |
忠南 |
65 |
5 |
江原 |
95 |
9 |
忠南 |
50 |
|
|
|
6 |
忠南 |
62 |
||||||||
8 |
忠南 |
56 |
5 |
忠南 |
30 |
5 |
慶南 |
95 |
|
|
|
|
|
|
8 |
忠南 |
200 |
||||||||
12 |
忠北 |
41 |
5 |
忠南 |
169 |
8 |
江原 |
94 |
|
|
|
|
|
|
9 |
忠南 |
100 |
||||||||
|
|
|
8 |
忠南 |
200 |
9 |
江原 |
200 |
|
|
|
|
|
|
10 |
慶北 |
100 |
||||||||
|
|
|
11 |
忠南 |
84 |
10 |
忠南 |
80 |
|
|
|
|
|
|
11 |
忠南 |
159 |
||||||||
|
|
|
12 |
忠南 |
71 |
12 |
忠南 |
13 |
計 |
|
243 |
計 |
|
93 |
計 |
|
946 |
||||||||
|
|
|
|
|
|
12 |
忠南 |
90 |
|||||||||||||||||
計 |
|
357 |
計 |
|
869 |
計 |
|
853 |
|||||||||||||||||
表3-1,3は石炭統制会労務部京城事務所「半島人労務者供出状況調」による、斜字は残数の連行。 表3-1、2、3の作成用史料は、長澤秀編『戦時下朝鮮人中国人連合軍俘虜強制連行資料集』1所収。 |
|||||||||||||||||||||||||
3-4宇部炭田での朝鮮人の動員状況1944年
炭鉱名 |
1944年8月現在員数 |
炭鉱名 |
1944年12月現在員数 |
|
|||||||||||||||
既住朝鮮人数 |
移入朝鮮人数 |
|
既住朝鮮人数 |
移入朝鮮人数 |
|
||||||||||||||
徴用 |
その他 |
計 |
徴用 |
その他 |
計 |
合計 |
計 |
計 |
合計 |
|
|||||||||
沖ノ山 |
648 |
191 |
839 |
1105 |
157 |
1262 |
2101 |
沖ノ山 |
849 |
1523 |
2372 |
|
|||||||
東見初 |
218 |
28 |
246 |
965 |
318 |
1283 |
1529 |
東見初 |
251 |
1409 |
1660 |
|
|||||||
山陽無煙 |
67 |
6 |
73 |
547 |
126 |
673 |
746 |
山陽無煙 |
70 |
618 |
688 |
|
|||||||
沖宇部 |
|
183 |
183 |
|
287 |
287 |
470 |
沖宇部 |
145 |
363 |
508 |
|
|||||||
大浜 |
|
25 |
25 |
|
14 |
14 |
39 |
大浜 |
24 |
59 |
83 |
|
|||||||
小野田 |
|
470 |
470 |
|
14 |
14 |
484 |
小野田 |
412 |
76 |
488 |
|
|||||||
萩森 |
|
481 |
481 |
|
|
|
481 |
萩森 |
421 |
|
421 |
|
|||||||
第2新沖山 |
|
168 |
168 |
|
|
|
168 |
第2新沖山 |
172 |
23 |
195 |
|
|||||||
本山 |
|
19 |
19 |
|
390 |
390 |
409 |
本山 |
20 |
320 |
340 |
|
|||||||
上沖 |
|
370 |
370 |
|
|
|
370 |
上沖 |
262 |
|
262 |
|
|||||||
長門起業 |
|
252 |
252 |
|
|
|
252 |
長門起業 |
245 |
|
245 |
|
|||||||
長生 |
|
136 |
136 |
|
45 |
45 |
181 |
長生 |
115 |
42 |
157 |
|
|||||||
厚南 |
|
204 |
204 |
|
|
|
204 |
厚南 |
207 |
|
207 |
|
|||||||
沖田 |
|
281 |
281 |
|
|
|
281 |
沖田 |
283 |
|
283 |
|
|||||||
若山 |
|
266 |
266 |
|
|
|
266 |
若山 |
287 |
|
287 |
|
|||||||
第2雀田 |
|
230 |
230 |
|
|
|
230 |
第2雀田 |
225 |
|
225 |
|
|||||||
新見初 |
|
89 |
89 |
|
|
|
89 |
新見初 |
166 |
|
166 |
|
|||||||
平原 |
|
216 |
216 |
|
|
|
216 |
平原 |
211 |
|
211 |
|
|||||||
長伸 |
|
278 |
278 |
|
|
|
278 |
長伸 |
231 |
|
231 |
|
|||||||
船木 |
|
270 |
270 |
|
|
|
270 |
船木 |
253 |
|
253 |
|
|||||||
榎山 |
|
68 |
68 |
|
|
|
68 |
榎山 |
77 |
|
77 |
|
|||||||
その他 |
|
1624 |
1624 |
|
137 |
137 |
1761 |
その他 |
1528 |
117 |
1645 |
|
|||||||
計 |
933 |
5855 |
6788 |
2617 |
1488 |
4105 |
10893 |
計 |
6454 |
4550 |
11004 |
|
|||||||
石炭統制会「炭砿給源種別現在員数」から作成。長澤秀編『戦時下朝鮮人中国人連合軍俘虜強制連行資料集』1所収史料 |
|
||||||||||||||||||
3-5 内鮮警察・労務動員・朝鮮人強制連行者数(1939〜43年末) |
|
||||||||||||||||||
|
都道府県 |
1939年度 |
1940年度 |
1941年度 |
1942年度 |
1943年度 |
1939〜43年計 |
1944年度[予定] |
|||||||||||
|
山口 |
8608 |
7108 |
3538 |
5527 |
4133 |
28914 |
6415 |
|||||||||||
|
全国合計 |
79660 |
87133 |
75155 |
122262 |
128746 |
492955 |
290000 |
|||||||||||
|
|
|
(87123) |
|
|
(131637) |
(495837) |
|
|||||||||||
註 「労務動員関係朝鮮人移住状況調」1943年末現在(「昭和20年度追加予算参考書」『種村氏警察参考資料第110集』所収)から作成、1944年度の予定数は「昭和19年度新規移入朝鮮人労務者事業場別数調」(「内鮮警備整備に要する経費の増加」『種村氏警察参考資料第98集』所収)による。国立公文書館蔵。統計には縁故募集者も含まれる。
3-6 労務動員・朝鮮人連行者数・事業場数(1940.3〜1944.3) |
|||||||||||
都道府県 |
1940.3末 |
1941.3末 |
1942.3末 |
1942.6末 |
1943.3末 |
1943.12末 |
1944.3末 |
||||
連行数 |
連行数 |
連行数 |
連行数 |
事業場数 |
連行数 |
事業場数 |
連行数 |
連行数 |
連行数 |
連行数 |
|
山口 |
877 |
3123 |
5172 |
5863 |
16 |
10033 |
14 |
4869 |
8073 |
12942 |
13480 |
合計 |
35799 |
94722 |
146074 |
174170 |
396 |
282931 |
522 |
146938 |
219526 |
366464 |
392997 |
『特高月報』、中央協和会「移入朝鮮人労務者状況調」、『協和事業関係』、厚生省「朝鮮人労務者勤労状況報告」による。(3-5,3-6の表は、『調査・朝鮮人強制労働B発電工事・軍事基地編』所収の連行統計表から作成)。
4 朝鮮人死亡者・未払い金
つぎに宇部炭田での朝鮮人死亡者の状況と未払い金についてみてみよう。
強制連行期の朝鮮人死亡者名の判明分はつぎのようになる。
長生146、東見初77、沖ノ山14、沖ノ山・長澤26、本山4、沖宇部2、小野田2、梶返2、桜山7、雀田2、長澤2、長門起業1、山陽無煙5、厚南1、萩森2などが判明している(炭鉱名を推定したものも含む)。
本山、沖宇部、小野田、桜山、山陽無煙、沖ノ山などでの1942年以後の死亡者名は不明のものが多く、今後の調査が必要である。200人を超える死者が、不明のままであるとみられる。
東見初関係では朴慶植文庫所蔵史料から死亡者の一端が明らかになった。東見初関係での死亡者名を以下に示す。住所などは不明である。
埋火葬史料、戸籍受付帳、社会保険名簿などの調査が求められる。
4-1連行期東見初炭鉱関連死亡者名簿
氏名 |
創氏名 |
死亡日 |
死因 |
||||||
1 |
趙 聹N |
|
1939.9.11 |
労災 |
40 |
|
新井 清澄 |
1944.5.15 |
|
2 |
林 福泰 |
|
1940.5.3 |
|
41 |
|
金本 命鎬 |
1944.5.21 |
労災 |
3 |
許 栄 |
石本 栄 |
1940.6.22 |
労災 |
42 |
安 應泰 |
|
1944.5.28 |
|
4 |
金 万佑 |
|
1940.6.8 |
労災 |
43 |
|
松山 秉大 |
1944.7.11 |
|
5 |
金 再文 |
金松 平一 |
1940.7.5 |
労災 |
44 |
李 集瑾 |
|
1944.7.20 |
|
6 |
|
山井 邱九 |
1941.4.30 |
労災 |
45 |
|
石山 元泳 |
1944.9.28 |
|
7 |
|
吉田 東烈 |
1941.5.9 |
労災 |
46 |
|
安本 禎淳 |
1944.10.12 |
|
8 |
金 相権 |
|
1941.6.14 |
労災 |
47 |
|
国本 在駒 |
1944.10.14 |
|
9 |
|
金田 点出 |
1942.1.10 |
労災 |
48 |
|
吉川 志郎 |
1944.10.17 |
|
10 |
|
邦原 淳鐘 |
1942.3.2 |
労災 |
49 |
|
良原 英雄 |
1944.10.17 |
労災 |
11 |
|
木原 念植 |
1942.4 .3 |
労災 |
50 |
|
西村 東洙 |
1945.1.10 |
|
12 |
|
吉田金太郎 |
1943. 3.11 |
|
51 |
文 武成 |
|
1945.1.11 |
|
13 |
|
金子 勇三 |
1943. 3.27 |
|
52 |
|
丘本 載憲 |
1945.1.25 |
|
14 |
|
茂山 永七 |
1943.11.3 |
労災 |
53 |
|
岩本 竜洙 |
1945.2.14 |
|
15 |
|
大野 鳳周 |
1943.11.9 |
|
54 |
|
藤井 寿寧 |
1945.2.8 |
|
16 |
|
金山 奉柱 |
1943.12.30 |
|
55 |
|
善全 宗植 |
1945.2.9 |
|
17 |
|
金光 在鳳 |
1943.2.17 |
労災 |
56 |
林 成圭 |
|
1945.3.1 |
|
18 |
|
坂井 内 |
1943.3.29 |
|
57 |
|
金奉 万吉 |
1945.3.20 |
|
19 |
|
大川 政夫 |
1943.5.14 |
|
58 |
|
国本 鉉徳 |
1945.3.25 |
|
20 |
|
高山 景一 |
1943.5.16 |
|
59 |
|
金田 光泰 |
1945.3.25 |
|
21 |
|
西山 時大 |
1943.5.6 |
労災 |
60 |
李 光錫 |
|
1945.3.7 |
|
22 |
|
金沢 相培 |
1943.6.10 |
|
61 |
|
金村 万吉 |
1945.4.11 |
|
23 |
|
西本 在植 |
1943.6.12 |
労災 |
62 |
|
成滝 義広 |
1945.4.19 |
|
24 |
|
岩本 明官 |
1943.6.16 |
労災 |
63 |
|
田中 光緑 |
1945.4.24 |
|
25 |
洪 義杓 |
|
1943.7.23 |
労災 |
64 |
|
大山 先奉 |
1945.5.6 |
|
26 |
|
青山 新吉 |
1943.8.19 |
|
65 |
千 相根 |
|
1945.6.7 |
|
27 |
|
内田 方 |
1943.8.2 |
|
66 |
|
金川 五長 |
1945.7.12 |
|
28 |
|
松井 東光 |
1943.8.29 |
|
67 |
|
安野 三国 |
1945.7.2 |
|
29 |
|
青山 良助 |
1943.8.31 |
|
68 |
|
金川 正植 |
1945.7.29 |
|
30 |
|
金村 允名 |
1943.8.8 |
|
69 |
|
真山 供順 |
1945.7.29 |
|
31 |
|
岩村 基山 |
1943.9.13 |
|
70 |
|
慶州 長徳 |
1945.8.11 |
|
32 |
崔 東点 |
|
1944.2.1 |
労災 |
71 |
|
金本 寿東 |
1945.8.21 |
|
33 |
朴 分蓮 |
|
1944.2.23 |
|
72 |
|
金本 武雄 |
1945.9.14 |
|
34 |
|
渓本 世国 |
1944.3.11 |
|
73 |
|
青松 弘 |
1945.10.28 |
|
35 |
|
山本 徳建 |
1944.3.11 |
労災 |
74 |
|
金子 斗辰 |
1945.11.4 |
|
36 |
|
竹原 萬石 |
1944.3.7 |
労災 |
75 |
河 松徳 |
|
1945.11.4 |
|
37 |
|
金沢 致得 |
1944.4.27 |
|
76 |
|
金山 金雄 |
|
|
38 |
|
金安 五吉 |
1944.4.29 |
|
77 |
李 錫寛 |
|
|
|
39 |
権 世宗 |
|
1944.4.9 |
|
|
住所などは不明 |
(山口県の他の炭鉱の死亡者名については、『戦時朝鮮人強制労働調査資料集』増補改訂版に記載)
つぎに宇部関係での未払い金の状態をみてみよう。未払い賃金の多くが未供託のまま企業に保管され、預金通帳(郵便貯金)も保管されたままになっていることがわかる。
特に宇部興産の沖ノ山、大嶺無煙(山陽無煙)、東見初の3炭鉱の未払い金で60万円ほどになる。仮に1000倍して時価に換算すれば、6億円ほどになる。これらの未払い金はどこにいったのだろうか。
4-2宇部関連企業未払い金
事業場名 |
債務種類 |
債権件数 |
金額 |
供託・引渡日 |
備考・供託先等 |
宇部興産宇部鉄工所 |
保管預金通帳 |
42 |
1966.50 |
1947.4.22 |
山口供託局船木出張所 |
宇部興産宇部鉄工所 |
未交付有価証券 |
41 |
1825.79 |
1947.4.22 |
山口供託局船木出張所 |
宇部興産宇部鉄工所 |
未払賃金 |
47 |
1744.14 |
未供託 |
(件数は計) |
宇部興産宇部鉄工所 |
保管預金通帳 |
|
2645.00 |
未供託 |
|
宇部興産沖の山鉱業所 |
未払賃金 |
933 |
19138.99 |
未供託 |
(件数は計) |
宇部興産沖の山鉱業所 |
保管預金通帳 |
|
36154.01 |
未供託 |
|
宇部興産大嶺無煙鉱業所 |
未払賃金 |
472 |
95549.47 |
未供託 |
(件数は計) |
宇部興産大嶺無煙鉱業所 |
保管預金通帳 |
|
76889.78 |
未供託 |
|
宇部興産東見初炭鉱 |
未払賃金 |
294 |
93756.68 |
未供託 |
(件数は計) |
宇部興産東見初炭鉱 |
未交付有価証券 |
|
9525.00 |
未供託 |
|
宇部興産東見初炭鉱 |
保管預金通帳 |
|
265467.67 |
未供託 |
|
宇部興産東見初炭鉱 |
|
|
5520.89 |
1947.5.3 |
GHQへ,のち東京法務局 |
宇部市役所 |
保管預金通帳 |
3 |
473.29 |
未供託 |
|
宇部重工業 |
未払賃金 |
9 |
66.98 |
未供託 |
|
榎山炭鉱 |
保管預金通帳 |
179 |
3948.53 |
未供託 |
|
厚狭炭鉱 |
保管預金通帳 |
33 |
1813.30 |
1945.9.30 |
組長引渡 |
厚狭炭鉱 |
保管預金通帳 |
34 |
833.34 |
未供託 |
|
厚南炭鉱 |
保管預金通帳 |
131 |
1280.95 |
未供託 |
|
桜山炭鉱 |
未交付有価証券 |
417 |
2155.00 |
未供託 |
|
桜山炭鉱 |
保管預金通帳 |
|
5766.84 |
未供託 |
|
山口県貨物自動車 |
保管預金通帳 |
49 |
2473.60 |
未供託 |
|
若山炭鉱 |
保管預金通帳 |
130 |
2635.37 |
未供託 |
|
小野田セメント小野田工場 |
保管預金通帳 |
16 |
1080.75 |
未供託 |
|
小野田セメント大嶺採石所 |
保管預金通帳 |
18 |
823.89 |
未供託 |
|
上沖炭鉱 |
保管預金通帳 |
87 |
2546.87 |
1945.12.15 |
朝鮮人聯盟船木分会 |
上沖炭鉱 |
未交付有価証券 |
47 |
1102.88 |
1948.11.4 |
山口供託局 |
上沖炭鉱 |
未払金 |
47 |
2477.28 |
未供託 |
|
城南造船鉄工 |
未払賃金 |
16 |
533.43 |
未供託 |
|
船木鉄道 |
未払金 |
9 |
15.92 |
未供託 |
|
船木鉄道 |
保管預金通帳 |
|
309.00 |
未供託 |
|
大浜炭鉱 |
未払賃金 |
79 |
5523.39 |
未供託 |
|
第二新沖山炭鉱 |
保管預金通帳 |
96 |
886.30 |
未供託 |
|
中国配電小野田出張所 |
保管預金通帳 |
1 |
810.71 |
未供託 |
|
中国配電小野田出張所 |
未払賃金 |
|
155.00 |
未供託 |
|
長沢炭鉱 |
未払賃金 |
158 |
15442.61 |
未供託 |
|
萩森炭鉱 |
保管預金通帳 |
385 |
8891.90 |
未供託 |
|
(供託史料の詳細については、『戦時朝鮮人強制労働調査資料集』2に記載)
5 戦後の宇部
強制連行された朝鮮人は解放にともない帰還するが、下関をはじめ、宇部・小野田地域に在留する朝鮮人も多かった。朝鮮人運動が形成され、民族学校も設立された。1948年の統計では、朝鮮人連盟の宇部小学校と小野田小学校には、分校・分室生を含めればそれぞれ、500人ほどの子どもたちが通っていた。
山口県は朝鮮との出入り口であり、朝鮮半島の情勢は県政に大きな影響を与えた。県の主要ポストに朝鮮総督府関係者が入り、朝鮮人の動向を監視した(鄭祐宗「植民地支配体制と分断体制の矛盾の展開―敗戦後山口県の対在日朝鮮人統治を中心に―」立命館法学2010 年5・6 号 333・334号)。
戦後の山口県知事の田中龍夫は田中義一の子であった。戦後、山口県は「朝鮮情報」を出して、朝鮮の動向を政府に送った。そのような監視のために、朝鮮総督府の人脈が戦後も継承され、統治の志向は継続した。県政の主要な部署に総督府などの転出者が配置された。橋本正之は敗戦によって朝鮮総督府鉱工局動員課から内務省調査部第1課長となり、県の教育部長、総務部長、副知事となり、その後に県知事となった。朝鮮総督府鉱工局動員課は朝鮮人強制連行を推進する課であったが、その責任は追及されることなく、県行政の主要な地位をえていったのである。
米ソ「冷戦」による、朝鮮の分断と朝鮮戦争の開始は、山口県の朝鮮人の動向にも影響し、1949年になり、7月の宇部事件、下関8・20事件などが起きた。
1965年の日韓条約は植民地主義の清算ではなく、その下での協定は、戦争被害者の尊厳回復をもたらさなかった。宇部では長生炭鉱での1942年2月の水没事故での朝鮮人死亡者の調査が始まり、2013年2月に、名前を刻んだ追悼碑が建設された。その活動が、植民地主義や分断・対立という過去の清算にむけての、新たな共同のはじまりとなることを期待したい。