どら焼きひとつ          生駒孝子

 

空振り続きの週末、草履を引き摺って家路を辿る

車社会の地方都市、流しのタクシーなどくるはずもない

財布の中身を思い浮かべればバスに決まってるじゃん

 

ピーッ「発車します、ご注意ください」

穏やかな運転手の声が静かに車内に響く

宵の口だというのに他の客の気配はない

 

私はふと、膝にのせた籠の中のどら焼きを思い出した

「よかったら召し上がっていただけませんか」

運転手さんはあの声で何と言うだろう

食べてはくれなくても「ありがとう」と

受け取ってはくれまいか

 

「次は高塚、高塚」バスは待つ人もいない停留所を

スピードも落とさず走り去る

 

次のバス停でも誰も乗って来なかったなら、

私はひそかに覚悟を決めた

 

明かりもない神社前の停留所が近づいてくる

バスがぐーっとスピードを落とした

ざわざわと楽しげなグループ客が乗り込んでくる

私は身体の中へ息を吐いて耳を塞いだ

 

顔も上げずに小さく礼を言い、ステップを降りる

「ありがとうございました」

その声は変わらず穏やかだった

 

走り去るバスを見送って、見上げれば

藍染の空に月もひとり

 

つまずきながらも顔を上げたまま歩いていく

ハナミズキの惜別の          生駒孝子

 

「ハナミズキが惜別の花を咲かせています

お心あればご覧下さいませ」

「必ず見に行きます」

家の引渡しも間近に迫った日の夕暮れ

言葉を選びあぐねた末の短いやりとり

 

深夜の月明かりに浮かぶ無数の白い花を

あなたは今、カメラに閉じ込めている

 

私は眠りについた町を里山を黒く光る川を

結んでトラックのハンドルを握る

 

 

作業着のまま私のハナミズキに会いに急ぐ

明けゆく空を憾みながら

白い花の雨に抱かれ、ひとり瞼を閉じる

 

新しい歩を歩み始めたあなたに

お礼とその幸せを祈って

 

「ハナミズキが惜別の」