『息子の生きた証を求めて 護衛艦「たちかぜ」裁判の記録』

      「たちかぜ」裁判を支える会編 社会評論社20157月刊1400+

200410月に海上自衛隊横須賀基地の護衛艦「たちかぜ」の乗組員Tさんが京浜急行の列車に飛び込んで、命を絶った。21歳の若さだった。

20064月、父母は自殺が隊内でのエアガンによる射撃などのいじめによるものと提訴した。裁判を支える会が結成され、「自衛官一人一人の命を軽んじるな」と裁判を支援した。20111月の横浜地裁の判決は、いじめによる自殺の予見可能性を否定し、精神的苦痛のみの支払い(約400万円)を命じるという不当なものだった。

控訴審では、新たにTさんへのいじめの実態を示す「艦内生活実態アンケート」が提示された。自衛隊側が廃棄したと言ってきたアンケートが実在することを、1審の初期に国側の代理人を務めた三等海佐が内部告発したのだ。その新資料の出現が、裁判の流れを変えた。東京高裁は20144月、国側に対し、原告へと7000万円を超える支払いを命じ、その後、国側は上告を断念した。原告の勝訴が確定したのである。

「たちかぜ」事件のTさんの父母は、浜松にも来て、裁判の現状を話した。2008年に浜松基地自衛官人権裁判が始まっていたからだ。Tさんの父は途中で亡くなり、その後は、母が前面に立って裁判を担ってきた。各地の自衛官人権裁判の原告は、裁判所を互いに行き来し、支援を続けた。支える会を担った仲間にも、亡くなる方が出た。裁判の継続は、遺志を継いでの交流と献身的な支援によるものだった。

いま、集団的自衛権行使容認の閣議決定後、安保関連法案の国会上程などがなされ、戦争法案反対の声が高まっている。そこでの「自衛官のリスク」が高まるか否の議論やこの裁判での国側の反論にみられるように、国家は人間を人的資源とし、消耗品のように扱っている。人を人として扱わずに、兵士一人一人の命をより軽んじることで、戦争動員がなされるのである。そのようなものの見方を克服することが求められる。

この裁判では、原告の子への命への思いが国側の席にいた自衛官の良心を揺さぶり、呼応を生んだ。市民の人権と平和への思い、真実と正義の追及とその継続が、新たな仲間を獲得したのである。このような時代であるからこそ、そのような営みがいっそう求められる。

本書にはこの裁判の経過や裁判に関わった人々の思いが記されている。本書の最後には「自衛官のいのちを守る家族の会」の呼びかけもある。ご一読を。