スタンディングの君に 地引 浩
だって悔しいじゃない? と君は言う
あの日の昼から 駅の前に立ち始めた
「戦争法 つぶします」
急いで書いた垂れ幕を持ち
静かに 君は立っている
そのうち忘れるさ! と安倍はうそぶく
あの日のことは きっと歴史に刻まれる
「民主主義が終わった日」
多数というクーデターがあったと
毅然と 君は立っている
ぜったい忘れるもんか! と君は言う
あの日にすべてが 終わったのではない
「民主主義が始まった日」
書かれた教科書を手にするまでと
静かに 君は立っている
いまニッポン中に 無数の君がいる
あの日の悔しさを ずっと大切にして
「戦争法つぶします」
手造りの垂れ幕やカードを持ち
あちこちに 君が立っている
(2015.11.24)
「はりきる」から「がんばる」へ 地引 浩
風が胸を吹き抜けていた
身を縮め 心を固くして
あなたは耐えていた
会社という寒さに震えて
「がんばる」のではなく「はりきる」と
自分を励ましていたのは
寒すぎて あなたが凍っていたから
小さな陽だまりを見つけた
胸を広げ 心も軽くなって
あなたは話していた
「いじめ」の悲しさに涙して
「がんばる」のではなく「はりきる」と
あなたが明るく言ったのは
陽だまりで 心が解けてきたから
いつしか心が縛られていた
息を詰め 耳を塞いで
あなたは竦んでいた
「しもべ」になった自分に戸惑って
「がんばる」のではなく「はりきる」と
自分の言葉を忘れたのは
乱気流に あなたが惑わされたから
心が自由を求めていた
息を吸い 大きく吐いて
あなたはついに言った
わたしは「しもべ」ではない
「はりきる」のではなく「がんばる」と
あなたが再び言えたのは
あなたが あなたを取りもどしたから
(2015.11.5 Hさんの「裁判を支える会」出発の日に)
スタンディングの春 地引 浩
ずっと続けてきた
ずっと 立ってきた
あれから
木枯しがほほを打ち
指先も足先も凍りついた日も
風花が舞い
人々が足早に通り過ぎる日も
あなたは立ってきた
「NO! 戦争法」のバナーを手に
いつまで続けるの
いつまでできるだろうか
そんなことを
あなたは考えたこともない
ずっと続けてきた
ずっと 立ってきた
あれから
陽ざしが輝きを増し
すずかけの樹の芽もふくらんでくる
明日を見つめ
人々はゆったりと歩み始める
あなたは立っている
「NO! 戦争法」のバナーを手に
いつまで続けるの
いつまでできるだろうか
そんなことを
あなたは考えたこともない
「戦争法」つぶす日まで
(2016.3.1)
五十一番目の・・・ 地引 浩
ポロ ポロ ポロリ
ポロ ポロリ
ほんね 本音 腹の内
正直言って なに悪い
ポロ ポロ ポロリ
ポロ ポロリ
言うこと やること 正反対
どこかの アベバとは大違い
まじめな話 大提案
五十一番目になったなら
英語が国語で 二ホン語もOK
誰でもしゃべれて 英語教育 苦労なし
漢字もやめて アルファベット
安全 安心 銃社会 自分は自分で守ります
核の傘より 核の中 ミサイル配備 核武装
隣の敵には 容赦なし 先制攻撃見舞います
TPPは時代遅れ 食糧確保も心配なし
石油生産世界一 エネルギー問題苦労無し
健康保険民営化 自己責任の大原則
社会保障も民営化 財政負担減少で万々歳
ないないづくしで いうことなし
日の丸 君が代 未練なし
星条旗には 最敬礼
我ら 世界最強帝国 五十一番市民
五十一番目で なに悪い
ポロ ポロ ポロリ
ポロ ポロリ
ほんね 本音 腹の内
正直言って なに悪い
ポロ ポロ ポロリ
ポロ ポロリ
電波停止は当然よ
一ミリシーベルトは根拠なし
どんどん続く
ポロ ポロリ
(2016・2.20)
やめやめ音頭 地引 浩
やめなはれ やめなはれ
オリンポッコ やめなはれ
ウソ八百で おもてなし
スタジアムに エンブレム
トラブル続きは ご愛嬌
あげくのはての ワイロまみれ
やめなはれ やめなはれ
オリンポッコ やめなはれ
やめなはれ やめなはれ
ゲンパツなんて やめなはれ
フクシマ事故は シュウソクか?
汚染水に ハイキブツ
混ぜて薄めて ハイ安全
熊本地震でも ダイジョウブ?
やめなはれ やめなはれ
ゲンパツなんて やめなはれ
やめなはれ やめなはれ
辺野古新基地 やめなはれ
口先だけの 地方分権
地位協定は そのままで
民意無視の 建設強行
沖縄県民 あきらめない
やめなはれ やめなはれ
辺野古新基地 やめなはれ
やめなはれ やめなはれ
東京都知事 やめなはれ
セコイ キタナイ ナサケナイ
ナンでもカンでも セイジかよ
ウソばっかりで 恥知らず
バレなければ そのまんま
やめなはれ やめなはれ
都知事なんて やめなはれ
やめなはれ やめなはれ
アベアベ君 やめなはれ
アベノミクス メチャクチャで
大金持ちだけが ウッハウハ
戦争法に 非常事態法
なんでもありは ナチスばり
やめなはれ やめなはれ
ソウリダイジン やめなはれ
(2016.6・1)
くちぐせ ―母に贈る― 地引 浩
ばかだから
それが母のくちぐせだった
そんなことはないよ オレはそう思わない
いつも そう言うしかなかった
小学校を終え すぐに奉公に出た
母は十二歳だった
田舎の貧乏屋では 男は高等小学校
女は小学校を卒業すると
奉公に出た
母の最初の奉公先は紡績工場だった
その次は 女八百屋だったようだ
ようだというのは
苦労に苦労を重ねた幼い日々のことを
オレは母からきちんと聞いていないからだ
母は口数の少ない
まじめで 本当によく働く女だった
言われたことは手を抜かず
正直に コツコツとできる女だった
いま母は九十三歳
もうすぐ九十四歳になる
残された時間は そんなに多くはない
そのことを オレは悲しいとは思っていない
この十年間 母を看てこれたからだろう
母は少しずつ想い出を失くしてきた
母は つれあいを忘れ
子どもたちの名前を忘れ
兄弟姉妹を忘れ
母親の名前も思い出せなくなって
今は眠る方が多くなった
それでも
時折 名前を思い出してくれたことが
嬉しくて オレはにんまりしたりするのだが
記憶をなくしていく自分を
ばかだからと
母は自分を納得させているのだろう
ばかじゃないよ
ばかであるものか
こんなにたくさんのものを
オレたちに残してくれたじゃないか
自分ができなかったことを子どもたちにと
働きずくめに働いて おれたちに学をつけた
オレは途中でやめてしまって
母をずいぶん嘆かしてしまったけれどね
母はたくさんのものをオレたちにくれた
欲をかかず
つつましく 生真面目に歩むこと
何にでも「ありがとう」と感謝できる心
人と競うことなく 生きる力
できるものは何でも作ること
味噌 梅干し たくあん らっきょう漬け・・・・
土を耕し草を取り 作物を育てること・・・
たくさんの残してくれたものを
オレは ひとつひとつ
大切にしたいと思ってきた
ばかじゃないよ
ばかであるものか
気持ちよさそうに眠っている母に
そう語りかける
いつも
母は聞いていないけれど
(2016.5.3)