3・27袴田巌さんに再審無罪を!327浜松集会

 

2016327日.浜松市内で袴田巌さんの再審無罪を求める集会がもたれ、70人が参加した。

 集会では弁護士の角替清美さんが高裁による検証実験の開催を犯罪的とし、問題点をあげた。金聖雄監督は「レンズの向こうの巌さん」のテーマで映画撮影を通じての巌さんへの思いを語った。

 姉の袴田秀子さんは巌さんを連れて会場に現れ、イギリスの人権団体から寄せられた折鶴を首に掛けた。巌さんは自らを国家とみなし、「勝たなければ」と思いを示した。秀子さんは、釈放後、表情が変わり、散歩を日課としている現状を話し、回復へとゆっくりみていきたいと話した。

 山本晁重朗さんは巌さんと一年後輩のボクサーであり、帝銀事件の平沢さんを救う会の事務局の活動をしてきた。そのなかで逮捕された体験や巌さんとの交流について話した。浜松の救う会の会員からは、巌さんが専務と格闘してできたとされる傷への疑問点が示された。

 集会では、清水の救援会、解放同盟、福岡事件、布川事件、北川再審請求、堀内ジムなどから訴えがなされ、最後に、一刻も早く再審をおこない、無実を勝ちとるという集会アピールを確認した。                       (T)

 

解放から2年(集会アピールに代えて)

今日で袴田巖さんが解放され2年を迎えました。巌さんは80歳になりました。

一昨年327日の静岡地裁判決は、「DNA鑑定等の新証拠を前提とすると、袴田の犯人性を根拠付ける最も有力な証拠である5点の衣類が、犯行着衣でも袴田のものでもないという疑いは十分合理的である。」、また、「5点の衣類等のDNA鑑定に関する証拠、とりわけ本田作成の各書面及び供述、並びに5点の衣類の色に関する証拠、とりわけ各味噌漬け実験報告書及び山崎俊樹の供述は、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当する。」と、結論付けています。

さらに、「死刑が執行され取り返しのつかない事態が生じるのを防止するため、死刑の執行を停止すべきであることは当然であるが、本件では、さらに、拘置(刑法112項)の執行も併せて停止するのが相当と判断した」としています。

加えて、「袴田に対する拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない。一刻も早く袴田の身柄を解放すべきである。」と、司法が司法を裁いた瞬間であったと考えます。

ところが、検察は卑劣にもこの決定に異議を唱え、東京高裁に即時抗告を申し立てました。

その結果、解放から2年を迎えた今日でも、裁判が長引き袴田巌さんは、「無実の死刑囚」のままなのです。

静岡県は、二俣事件から始まった冤罪事件の数から「冤罪のデパート」と言われ、我が国では4人の死刑囚が再審で無罪になっています。その4人目が「島田事件」の赤堀政夫さんです。袴田巌さんは「次は自分だ」と言い聞かせていました。しかし、敗戦直後の裁判で死刑囚となった「福岡事件」の西さんは死刑が執行され、再審を引き継ぐ親族がいなく中断したままです。19611月の「狭山事件」の石川一雄さんは、仮釈放されたものの未だ無実は晴れず再審闘争中です。また、19633月の「名張毒ぶどう酒事件」の奥西勝さんは、再審請求中の昨年10月に獄死しています。

袴田巖さんの人生の大半を奪った、司法権力による犯罪行為は極まっています。

この間一貫して市民感覚で袴田巖さんの冤罪を晴らそうと、裁判資料を読み解いてきた浜松の支援者の努力によって、また一つ警察の違法捜査、ねつ造の疑いが明らかとなました。

それは、巖さんの逮捕直後には無いすねの傷が、逮捕から3週間後の「強制自白」によって突如「比較的新しい傷」として現れたことについてです。巌さんは「専務と格闘して出来た傷だ」と自供させられています。逮捕時の傷の存在が確認されていていないにもかかわらずです。冤罪捜査の典型とも言うべき、警察が証拠を隠し、或いはねつ造し「自白」させ、あたかも「秘密の暴露」があったとするものです。

このような、捜査機関による違法捜査の事実が明らかとなった段階で、再審は開始されるべきであり、袴田巖さんは晴天白日の身であるべきです。

巖さん解放から2年を迎えた本日、集会に参加された皆さんはもとより一人でも多くの皆さんへ、司法権力によって再び命を奪われようとしている袴田巖さんの、一刻も早い再審無罪を勝ち取る闘いへの参加を呼びかけます。 2016,3,27

「袴田事件」は終わっていない 袴田巌さんに再審無罪を 3・27浜松集会