2・28映画「首相官邸の前で」上映会

2016年2月28日、「首相官邸の前で」(監督小熊英二)の上映会が浜松のシネマイーラでもたれ、80人ほどの市民が観賞した。この映画は、首相官邸前の行動に参加した人びとのインタービューを交えながら、現場の映像で構成されたドキュメントである。

2011年3月の福島第1原発事故は消すことのできないできごとである。しかし、事故から5年のいま、消されたままのことがら、忘れさせられていることがらが数多い。

映像からは反原発の運動が国会前を埋め尽くした経過を知ることができる。素人の乱のメンバーや反原発市民連合を担ったのは新たな世代であり、それが旧来の活動世代をつなぐ役割を果たした。

その運動のスタイルは、代表にとらわれない水平的な共同性であり、運動主体間の違いを認めて共存し、運動の継続にむけての一定の規律性を持つものである。そこにはアナキズム的な活力がある。映像は、叫びや怒りをもった人びとが権力に対して反原発の包囲網をつくっていく動きを示す。叫ぶな、怒るな、などというつまらない統制はない。表現の場をつくることが運動の課題である。それぞれが自由に表現し、それをひとつの力にしていく。

映像にあったように、置かれた状況を涙とともに語る人びとが、いまもいる。原発の労働によって生活を組立てることを強いられてきた歴史、20ミリシーベルトまでは安全の声によって子どもと放射線のなかで生きることを強いられること。

今、自民党政権のもとで、川内、高浜と再稼働の動きがすすめられている。そのなかで、運動は再構築されなければならない。かつて、戦争を終わらせることができず、その責任をとらせることができなかった。いまも、原発は終わらず、その責任をとらせていない。人々は捨てられたまま、「帰還」がすすめられている。

 映画でも語られていたが、この事故を忘れない、ずっとずっとこの事故を問い続ける。幾世代にもわたって。事実を認めず、謝罪もせず、その責任をとらない者たちに、もう子どもや孫には謝罪をさせない、これで終わりだなどと、言わせてはならない。  (T)

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