女性ドライバーX容疑者 生駒孝子
「あっ」言葉が喉の奥に開いた
ブラックホールに吸い込まれる
既に目の前にそれはあった
そしてすぐに過去のものになった
運転席ではエアバックが
マリオネットの糸を切って体を打つ
萎んだ風船と入れ替わったのは
スクリーンを覆う赤黒い炎だった
炎の色に焼かれた目の淵を
力の限り絞ってみる
もういちどもういちど
口から砂漠が全身を乾していく
ありったけの言い訳が後頭部から
スクロールして流れてくる
しかし何ひとつ留まってはくれない
異臭を放つどす黒い油が
静かに爪先から忍び込み
私の影をこの場所に転写する
喧騒とサイレンと
何かが焦げて崩れる気配
喧騒とサイレンが
私を通り過ぎて響きわたる
喧騒とサイレンと
指差呼称 生駒孝子
私がトラックに乗り始めた二十数年前は
リフトで速く荷扱いできる先輩が憧れだった
前進しながら狙いをつけ爪を差し、
あっという間に大型車が空になる
狭い空間をリフトのエンジン音が
蜂のように飛び交い目がまわった
「大型車に乗りたいなあ」遠回しに呟くと
「荷捌きが速くなったらな」と釘を刺された
しかしいつの間にやら時代は変わった
指差呼称の実施で事故は六割削減できるのだそうだ
そりゃ魅力的、がんばらなくちゃ
「右ヨシ左ヨシ後方ヨシ」あれもこれも
ヨシヨシヨシ:指差呼称が当たり前
速けりゃいいってもんじゃない
でも作業時間枠は延ばせないよ、ヨロシクね
顔と指は方向合わせて
指は人差し指を伸ばし
周囲に聞こえる大きな声で
声は泉、枯れるわけないよね
あの角この角一旦停止で三方ヨシ
何回止まれば辿り着くかな
寝違えて首が回らなけりゃ今日は欠勤
パトロールはこっそり忍び足
注意はその場でしません、問答無用
こうなりゃ意地でもヨシヨシヨシ
確認しすぎてやること忘れる
思わずリフトの上で「考える人」
あ。しまった
「空いた右手は膝の上」