高江訪問記  2016.10.1015

 

連日の阻止行動

沖縄県東村高江は那覇から車でおよそ2時間半、ひたすら北へ向かった。高江では、権力はやりたい放題、無法の村と化していた。しかし、抵抗する市民は、したたかに、時に笑いを誘うユーモアに満ち、元気に歌いながら、スクラムを組んで闘っていた。

高江は街中から離れているため、毎日多くの人を集めることは難しい。したがって水曜日と土曜日の週2日、重点的に行動日を設けている。1012日の水曜日は500人がN−1ゲート前に集まった。歴史上、初めてのことらしい。108日、翁長知事が菅官房長官と会談した際、米軍北部訓練場の年内返還を伝えられ、会談後、記者団に対し「歓迎する」と言ったことが、県民の不安をあおったようである(後に、発言は不適切であったと釈明した)。

10トントラックが160台、N−1ゲートから入っていく。250人集まればゲート前でトラックが入ることを阻止できる。私たちが帰路についた15日の土曜日は250人が集まり、トラックが入ることを阻止したと報道されていた。

他の曜日は、30人ほどの人達が山の中に入り、作業員が木を切り倒し、トラックが運び込んだ砂利で整備する作業を、非暴力・直接行動で拒んでいる。しかし、「フェンスやラインがなくても刑事特別法違反になる可能性が高く、威力業務妨害についても逮捕される可能性も高い」と島伸一駿河台大学名誉教授が述べるように、この行動で逮捕者がでる可能性も高い。沖縄平和運動センターの山城博治議長は「そうでもしないと阻止できない。基地の外のゲートでどんなに激しく抵抗しても10分もあれば排除されてしまう」と、語気を強めた。

 

 N1ゲート前の抗議行動           12日の集会

●強行される基地建設

13日は、かなり強い雨が降った。作業は中止するのではないかと思っていたが、トラックは来た。N−1ゲート前に56人で待機していた私たちは、メインゲート前で阻止行動をするという情報が入り、車で向かった。しかし、500m程行ったところで機動隊に止められ、そのまま3時間余り、車の中に閉じこめられた。3時間を超える時間、何の説明もされず市民を拘束すること、女性もおり、トイレにも行かせない拘束が、法に触れないわけがない。市民1人に対し、2人の機動隊員がつく。

強い雨が降る中、車の外に立っている若い機動隊員に「こんな雨の中、休憩もなしで立たされているのは労働基準法に違反するのではないか」と言ったら「食事の時間もろくに取らしてもらえない」と言っていた。とはいうものの、機動隊員は税金で、超高級リゾートホテルのカヌチャベイホテルに宿泊している。また、機動隊員を建設業者のトラックの荷台に乗せて運ぶ様子も報道されていた。逆に9月には、県警が警察車両で作業員を運ぶ様子も確認されている。

米軍北部訓練場のヘリパッド建設で、24000本あまりの木が伐採されることが明らかになった。世界自然保護基金の花輪伸一さんは「高木層の大量伐採により、残された周辺の樹木は強い直射日光や強風のあおりで相当なダメージを受けることになる。樹齢60年以上の幹がしっかりとした樹木はノグチゲラやヤンバルクイナなど希少種の営巣に最適な環境である。伐採から波及する環境への影響は計り知れない」と語った。ヤンバルのような手つかずの森がこんなにも広く残っているのは、世界の亜熱帯地方でも希少価値であるという。

12月が攻防の山場

浜松へ帰る前日、忘れ物をして夜830分頃N1ゲート前まで戻った。テントの中で当番の方が、たった1人で車の中で寝る支度をしていた。それが女性であることに驚いた。ゲートの中は光が皎々と輝き、工事が続けられていた。国も焦っている。キャロライン・ケネディ駐日米国大使が今年で任期を終え帰国する。その手土産にするためという。安倍首相の号令一過、夜も徹しての工事らしい。

12月が最大の山場になる。また、希少動物が営巣期間に入り工事が止められる来年2月がもう一つの山場である。沖縄から日本が見えると、よく言われる。今回の訪問で日本政府がどこを見て政治をしているのか、その薄っぺらな姿がよく見えた。安倍政権には一刻も早く退陣してもらうしかない。みなさん、高江に行きましょう。

※ 1113日(日)鼠野町で行われる「満月まつり」で、静岡の仲間の協力も得て、高江の写真展、スライドショーも行うつもりです。こちらにもおいで下さい。 (池)

10・22「高江・森は泣いている」浜松上映会


2016年10月22日、浜松で「高江・森は泣いている」上映会をもった。20人が参加した。
上映前に、浜松から高江の基地反対運動に参加した仲間が現状を報告した。
映画は高江のヘリパッド建設工事に反対する沖縄の人びとの行動を追ったものである。
ここに日本の現実がある。テレビ報道では流されない姿がある。ここから始めるべきであることを、映画は呼びかけていた。                             (t)