12・23 改憲状況のなかの「生前退位」北野誉講演
2016年12月23日、静岡市内で「改憲状況のなかの「生前退位」−天皇元首化とどう闘うか」をテーマに、反天皇制連絡会の北野誉さんを講師に集会がもたれ、35人が参加した。北野さんの問題提起を受け、参加者は自由に議論した。最後に、「自由と民主」の歌が歌われ、集会は終わった。
北野さんはつぎのように話した。
〇 天皇制体験としての反天デモへの右翼攻撃
今年の11月20日の吉祥寺での天皇制いらないの100人のデモには、100台の右翼の街宣車がおしよせ、700人の機動隊、200人の公安警察が動員されました。右翼の攻撃によって宣伝カーのガラスが割れ、横断幕やプラカードが奪われました。警察が直接右翼を動かしているわけではありませんが、右翼を利用して警察の治安警察的な性格が強まっています。警備ではデモの圧縮や突き飛ばしが繰り返され、早くデモを終わらせようとする姿勢でした。
8・15などのデモでも右翼の妨害が繰り返され、警察の警備に対しては、苦情申し立てなどをしていますが、回答は「警備は適正」というものです。天皇制反対は特異な主張であり、普通の人びとの課題ではないという感覚が作られていますが、それが問題です。天皇制による統合を問うべきであり、天皇制への無批判は人権侵害への鈍感さを担保することになります。
反天皇制デモに参加すると右翼によるデモは破壊という状況に直面しますが、それが具体的な天皇制体験になります。しかし、そのような体験がなければ、運動をやっている人でも、「リベラル天皇」のイメージをもつ人がでてきます。
〇 天皇の生前退位発言と元首化
2016年7月13日、NHKはアキヒトが生前退位の意向と報じ、8月8日には天皇自らのメッセージが放送されました。アキヒトはその8月8日のメッセージで、「象徴であると共に国民統合の象徴としての役割を果たすこと」が天皇制の役割であると表明し、国民統合を能動的に作り出すという姿勢を示しました。また、「これからも皇室がどのような時にも国民とともにあり」「象徴天皇の務めが」「安定的続いていくことをひとえに念じ」と発言し、天皇制を安定させる意思を示しました。それは、アキヒト主導による天皇制再編の始まりでした。
この動きを受け、10月に入り、天皇の公務の負担軽減に関する有識者会議の第一回の会合がひらかれ、12月7日までに6回の会合がもたれました。アキヒトは皇室典範を変えて生前退位ができるようにしたかっただろうと思います。けれども、安倍政権は一代限りの特別法でよいという立場です。皇室典範改正が女性・女系天皇へと皇室典範改正に議論がすすむことを危惧しているからです。右派は一枚岩ではありませんが、生前退位反対の動きがつよく、摂政で補えばよいとするものが多い。
政権の意向を受けた有識者会議は、一代限り認めるとするものであり、特別法制定というものです。今回、アキヒトはマスコミを使い、自らのメッセージにより能動的・積極的な天皇像を示しました。それは政治的行為であり、「元首」のような動きです。
有識者会議は、違憲の「公的行為」の内容を、天皇が決めてもいいという方向になっています。元首化とは、この間すすめられてきた公的行為などを、天皇の正式な行為として認知することです。
〇天皇元首化との闘い
自民党の改憲案では、日本は「天皇を戴く国家」とされ、天皇は「元首」とされています。これまでの憲法解釈学では、象徴とは、能動的に国民を統合する作用を持つものではないとされ、天皇は外交権や行政権を持つ元首ではないとみなされてきました。そもそも外交で天皇が元首のように交際するのは、権威によるものであり、違憲の行為です。
天皇の役割とは、天皇の権威をもって、体制を正当化することにあります。アキヒトのいわゆる平和主義は、PKO派兵隊員へのねぎらいなどの場で、安倍政権の積極的平和主義と合流することになります。
アキヒトは「国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきた」といっていますが、この「祈り」がキーワードです。ここでの祈りは宮中祭祀の神主としての祈りも当然含んでいるはずです。
2018年には代替りの「即位・大嘗祭」がおこなわれようとしています。大嘗祭という行事は皇室神道の儀式ですから、それを公的なものとして国が支援して行うことは、明白な政教分離違反です。
天皇制は私たちの人権の問題です。政治に関与しない天皇が、退位して代替りが必要であることと語ることは憲法違反です。その違憲性に目をつぶることなく、批判していくことが大切です。そして、憲法が抱えている矛盾に他ならない天皇制をやめるという選択をすべきです。