2017・4沖縄の旅

  沖縄訪問記
 4.9〜4.13

 2017年49日から13日まで4人で沖縄に行った。うち2人は初めてであったが、沖縄に行くことを大変強く望んでいた。今回はキャンプ・シュワブ前の抗議行動だけの訪問になった。

 

 9日は、名護まで行った。今回宿泊させてもらった場所は、以前、浜松の金曜アクションに参加していた名古屋の知人の紹介である。源河というところにあり、すぐ横に小川が流れ、朝晩鳥のさえずりが聞こえてくる自然豊かな所であった。知人のお宅は車で2分の所にある。Oさんは2か月前に名古屋からこちらに移り住み、「ここに住んでいることで名古屋からも、浜松からも多くの友人が名護に来ることができるようになる」と言っていた。ここを終の棲家にするようである。

 

 10日は朝730分頃にシュワブ前に着き、集会に参加した。集会では、次のようなことが語られた。
 「
331日に期限が切れた『岩礁破砕許可』を再申請しないまま続けている工事は、違法工事である。自民党沖縄県連は辺野古新基地建設を承認した。80%の県民が反対している新基地を承認することは、ますます県民感情と離れていく。国は20日から本格的な工事に入ると言っている。これを止めるには300人が必要である。一人でも多く、シュワブ前に集まる態勢を作らなければならない。国は工程を無視し、本体工事を1日も早く始めようとしている。これは本体工事を行うことで、県民をあきらめさせたいからだ。高江がそうであるように、工程を無視して行えば、後に補修工事が必要になる。高江は杜撰な工事のために、未だにヘリパッドは使えない状態だ。また、県民投票がマスコミで騒がれている。島ぐるみ会議で議題にあがったことはない。県民投票は6か月かかる。選挙準備をしている間に工事は進んでしまう。しかも投票の結果はわからない。大田県政のときとは法律が変わり、県と市町村は対等の立場にある。市町村の首長が投票をしないと言えばしなくても済む。今、翁長知事をはっきり支持している首長は2人しかいないから、県民投票には積極的になれない。県民投票をやる、やらないに関わらず、現場の運動を強化することが大切である。」

集会では、北海道、大阪・豊中市、東京、岩手、金沢からの発言もあり、川口真由美さんが加川良の「赤土の下」、「教訓」そして「沖縄、立ち上がれ」「ケサラ」を熱唱した。

 
9時過ぎから機動隊が入りゴボウ抜きが始まった。こちらの参加者は50名。いくら強くスクラムを組んでも、力では、若く鍛えられた機動隊員にはかなわない。30分程度の抵抗の後、トラックが怒号の中を、ゲートをくぐっていった。北部生コン、丸政工務店の名前が読みとれた。
 肉体的にはそれ程ではないにしても、精神的にはやはり落ち込んでしまう。そんなとき、川口さんが「沖縄、立ち上がれ」を歌い始め、皆の合唱になった。感動的なひとときだった。

 

11日も730分頃、ゲート前に着いた。この日の参加者は30名。この日も9時、12時、3時と3回のゴボウ抜きにあった。935分頃、今では「キャンプ・シュワブのマドンナ」と言われている文子おばあが座り込みに参加し、皆を元気づけた。彼女がいるだけで、場の雰囲気が変わってしまう。

3時半頃、一人の女性が道路交通法違反で拘束された。止まっているトラックの下に潜り込んだようだ。今まで何度もしてきた事なのに今回は拘束された。4時過ぎ、名護署に皆で向かい、元気づける集会をもった。一人でも拘束者が出れば皆で援助するのが、ここの決まりだと聞いた。2日後に釈放された。

 

シュワブ前では水曜日と土曜日が統一の行動日となっている。12日の730分過ぎにゲート前に着いたが、もういっぱいの人であった。文子おばあも参加し、大いに盛り上がったようである。水、土曜日は多くの人が参加し、機動隊も来ないため、集会も和やかである。我々は10時頃に辞して、南部戦跡の見学に向かった。

 

ゴボウ抜きは私は初めての経験であった。ある人が言っていたが、ゴボウ抜き自体はちょっと激しい運動会程度のことである。普段使ってない腕の筋肉を強めに使うので、腕が少し痛くなるくらいである。しかし、そこでの沖縄県民の怒りは、70年間差別され続けてきたことによる怒りである。人びとはこのような理不尽さを子や孫に残したくない一心で参加している。

 加藤周一はフランスの詩人アラゴンによせて次のように述べている。
「憎悪は、愛と共にありえないが、怒りは、愛と共に、むしろ愛に支えられて、はじめてあり得るのだ。フランス人に、フランスに対する愛がなければ、フランスをふみにじるものに対する怒りもなかったはずであるし、人民と自由と同志とに対する愛がなければ、拷問と強制労働とコンツェントラチオンスラーゲルに対する反抗はありえても、あのように堂々たる人間的な怒りに支えられた抵抗は、ありえなかったはずである」と。

 高江・辺野古の沖縄県民の抵抗は、アラゴンの詩にあるように、愛に満ちあふれている抵抗なのだ。
                        (池)