4・29 生前退位・元号 横田耕一静岡講演
2017年4月29日、静岡市内で、横田耕一さんを招いて、生前退位と元号に関する学習会がもたれ、50人が参加した。
横田さんの話で印象に残ったことを以下にあげる。
天皇は現憲法では、国民統合の象徴とされ、主権は国民にあり、その地位は国民の総意によるとされている。天皇は国事行為のみが権能としてあり、公的行為としてなされていることはやらなくてもいいことである。止めれば、公務はずっと減るのである。
天皇によるNHKを使った生前退位の報道は、政治行為であり、違憲である。有識者会議やマスメディアの生前退位をめぐる議論は、立憲主義に反している。天皇のお心に従うという表現自体が問題である。リベラルの側が天皇になびいている。生前退位については国民が決めることであり、天皇がいい出す事ではない。右翼は生前退位に反対のものが多い。
神前結婚をはじめ天皇制の伝統は明治以降に作られたものが多い。教育勅語の正確な意味を知ることが必要である。明治以後の疑似宗教としての「天皇教」を問題とすべきである。教育勅語で忠孝が強調され、戦後も、国民と天皇を一体とする考え方が国民のなかに残った。君が代、天皇への敬愛など、日本国憲法下でも天皇教が継続された。天皇制廃止論は4パーセントほどである。
人間は生まれながらに平等であるわけであり、天皇のような例外があれば、それが崩れる。貴種を認めることは差別であり、部落差別はなくならない。天皇制は廃止すべきだ。天皇制を認めている意識を変え、現在の生前退位の動きを憲法の規定からもう一度とらえ直し、考えてみよう。
集会後、横田さんと話す機会があった。高知県での部落問題との出会い、東京の学生運動と安保闘争・砂川闘争への参加、「天皇教」批判、朝鮮危機への対応、福岡での市民連合の状況などを聞くことができた。
なお、4月7日、静岡にアキヒトが来て、家康の洋時計などをスペイン国王とともに見た。16年ぶりの訪問に1万4千人を超える人々が旗振りに動員された。そのような天皇翼賛を批判して、静岡の市民有志は10数人で、「主権者はわれわれ」と抗議のチラシまきをした。民権はここから始まる。 (T)