豊田直巳浜松講演・「奪われた村」上映会 参加記
2017年6月4日、浜松で「奪われた村」の上映会がもたれ、監督の豊田直巳さんが講演した。
「奪われた村」は原発事故で被曝し,避難を指示された飯村の人々のドキュメンタリーである。までいに(大切に)作りあげてきた村が汚染され,生活も絆も未来も奪われた状態が描かれる。事故の責任はとられることなく、避難指示が解除され、帰還を強いられる。しかし、汚染地に子どもたちを戻すことはできないのである。
豊田さんは写真を見せながら福島の現状を話した。
イラク戦争を取材し、劣化ウランの被害を追ってきた。福島事故が起きると,ジャーナリスの仲間の森住、広河さんらと測定器をもって、福島現地に入った。測定器は振り切れ,測定ができないほどの汚染状況を知った。政府はそれをすぐに公表しなかった。スピーディの情報は米軍に提供されても、住民には知らされなかった。住民の避難は後のことだった。
福島事故後の福島の子どもたちの甲状腺がんは、2017年6月の時点ですでに180人を超えている。政府は事故との因果関係を認めようとしないが,疫学的に異常な上昇であり、事故に起因するものといわざるをえない。被曝した子どもたちはこれからも検査を続けざるをえない。子どもたちだけではない。多くの人々が被曝した。除染作業が進められているが、放射性物質が消えるわけではない。汚染はつづく。ゼネコンの利益が増えるが,現場で被曝する労働者は市井の民衆である。
6000人いた飯館村の村民で帰還するのは600人ほどとみられる。未来のない帰還である。事故の責任はとられず、補償はうちきられる。事故は収束できていない。にもかかわらず,再稼働がすすめられている。避難計画をつくるといっても数年間避難するというものではなく、一時的なものであり,役に立たない(以上、話を聞きながらの感想)。
豊田さんは講演の最後に、『被害を受けた人々の話を受け止めて聞くこと』、『近くの原発を止めること』をよびかけた。
豊田さんはイタリア語版の自らの写真集「フクシマ元年」を紹介した。地震と津波の跡、原発事故、被曝した人々、最後は子どもたちの笑顔で終わる。それは、オリンピックを宣伝して事故などなかったかのように振る舞う風景に対峙するものである。ここには忘れてはいけない風景が詰まっている。
まさに私たちは見えない戦争のなか,戦場に生きているのである。それを終わらせる主体的な自覚が求められる。