いちからわかる天皇代替り 桜井大子
2017年7月17日、桜井大子さんを招いて「いちからわかる天皇代替り」の題で20人弱で集会をもった。以下はその際の講演のまとめである。
「天皇代替わり」ってなに?
浜松のみなさん、こんにちは、桜井です。今日は「平成天皇制」とは何か、アキヒトの意思表示と「退位特例法」の問題点、今後の課題についてお話ししたいと思います。
●「平成天皇制」とは何か
はじめに、「平成天皇制」の約30年についてみてみます。
「平成」は1989年にはじまりますが、2019年で30年になります。代替りによって、新元号が制定されるわけですが、ヒロヒトの代替わりにそなえて制定された法律がすでにあり、それが1979年の元号法です。この元号法は、皇位の継承があったときには新たに元号を定め、一世の間、これを改めないとし、元号は政令で定めるというものです。いまは日本会議に姿を変えていますが、当時、元号法制化実現国民会議が中心になって地方議会決議運動を展開しました。
アキヒト天皇制では、ヒロヒト天皇制を克服する新たな天皇像が模索されました。メディアを介し、慰霊・慰問による慈愛の天皇、平和を語り祈る天皇、民主的天皇、外交天皇がというイメージが発信されてきました。
慰霊と慰問による「慈愛」の天皇
天皇制が存続したのは、天皇の戦争責任があいまいにされたからですが、そこが充分に理解されてはいません。なぜ、天皇・皇后は「公務」として慰霊の旅を自らに課したのか、その理由は、ヒロヒトの戦争責任を払拭する旅を自覚的に続けるということです。今の天皇は、戦争責任からクリーンではありません。他方、日本国家は、戦争被害者への謝罪と補償はおこなうことなく、今後同じ過ちを犯さないための施策もしていません。
被災地への「慰問」と戦跡での「慰霊」をくりかえすことで、「慈愛」の天皇像が形成されてきました。
慰問、これは「公務」扱いなのですが、それによって行政の無作為を隠蔽する役割を果たしています。被災者や被害者には嘆きがあり、行政への期待があります。天皇の存在は行政による裏切りへの怒りを収める機能を果たしています。結果として、行政の方針を精神面でカバーするわけです。3.11被災・被害者への慰問が典型的なのですが、天皇の行動は社会的には「絆」と「復興」を象徴するわけです。
慰霊、主に戦跡回りですが、これも「公務」扱いです。天皇の慰霊の旅は、戦後50年を前後して、硫黄島訪問(94.2)、長崎訪問(95.7)、広島訪問(95.7)、沖縄訪問(95.8)、東京都慰霊堂訪問(95.8)と続き、戦後60年には、サイパン訪問(05.6)、戦後70年前後には、沖縄訪問(14.6)、パラオ訪問(15.4)、フィリピン訪問(16.1)と続けられます。
この慰霊の行動も、遺族の嘆きや日本政府の無責任への怒り・不満を別の方向へ収斂させるものでした。対外的には昭和天皇の戦争責任を後始末する行動でした。天皇の慰霊は政府の無作為を隠蔽するものだったのです。行政は怠慢であり、支配層のためにしか動かないことが多いのですが、天皇の立場もけっして矛盾しないのです。
「平和」の天皇
つぎに「平和」の天皇像についてみてみましょう。「平成」の30年は、軍国化と戦争の時代であり、天皇はその象徴であったとみることができます。
1991年には湾岸戦争がはじまり、自衛隊はペルシャ湾に派兵されます。アキヒト天皇の大嘗祭の翌年のことでした。1992年6月には国連平和維持協力(PKO)法が可決され、以降、派兵が繰り返されました。安保再定義、新ガイドラインと日米の軍事協力が強まり、9・11事件後にはインド洋、イラクと派兵がなされました。
また、2004年1月小泉首相が靖国を参拝し、以後4年連続して参拝しましたが、その4月にイラクで日本人の若者が人質として拘束され、解放の条件に自衛隊の撤退がありました。このとき、アキヒトは来日中のチェイニー米副大統領に対して、自衛隊はイラクに人道復興援助のために行っている旨を語りました(4.13)。天皇は政府の自衛隊撤退拒否を容認したわけです。
8・15の「全国戦没者追悼式」で、天皇は「世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と語っていますが、このような天皇による「平和への祈り」は,日本の戦争国家・軍事大国化のイメージを払拭するものです。
天皇の平和への祈りが、ある種パブリックなものとして出てきていることも問題です。
「民主」の天皇・外交の天皇
「民主」の天皇像もあります。安倍晋三と比較され、民主主義者アキヒトのイメージが形成されていますが、「民主主義」と天皇制は相容れないことを確認すべきです。むしろ安倍とアキヒトは補完関係にあります。
天皇制は世襲制であり、象徴は選挙で選ばれないのです。天皇制では敬語が強制され、特別の称号や敬称が使われます。皇室典範や皇室経済法等々の特別の法律によって地位が守られています。けれども天皇制の維持は、身分制度・家制度・家父長制などによるものです。象徴という存在そのものの差別によって維持されているわけであり、民主主義とはほど遠いものなのです。
外交の天皇像も発信されています。天皇になってすぐにASEANにいくなど、「国際親善」と称し「皇室外交」なるものを繰り返していますが、4条、6条、7条に規定されているように、そもそも天皇には外交権はないのです。諸国への慰霊の旅は違憲でありながらも「公務」扱いされていますが、外交活動はそのなかでもかなり政治的な違憲行為です。このように多くの人の目に見える天皇の「公務」と呼ばれる行為は違憲行為ですが、天皇・皇族はそのような「公務」を手放せないのです。
● アキヒトの意思表示と「退位特例法」の問題点
アキヒトは2016年7月「生前退位の意志」を示し、それをNHKが報道しました。アキヒトは譲位したいと考えていたようですが,退位という表現になりました。8月にはビデオメッセージ が流されました。アキヒトの意向を受け、「退位に関する」ではなく「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」がもたれ、
論点整理がなされました。天皇制廃止を語る者は有識者には入れられていません。
そして、衆参両正副議長による「調整」がなされました。この調整とは国会内で議論がないように根回しをするというものです。天皇について論争させないための「調整」でした。その結果、2017年5月19日に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」案が閣議決定され、6月9日に成立したというわけです。
この一連の動きのなかでとりあえず、3つの問題を指摘できます。
天皇翼賛
第一に、翼賛体質です。翼賛国会、翼賛メディア、それへの同調社会の問題です。天皇の発議で社会全体が違憲状態になったとみるべきです。天皇の意思表明が、メディアと国会を動かし、法律をつくるという超違憲状態が現出したのです(憲法4条、99条違反)。それが問題とされません。
天皇の行為がそもそも問題ですが、それを容認した国会(国会議員)も明確な憲法違反です。マスメディアや民衆もそれに追随し、容認し、歓迎しています。それぞれが共犯関係としてあるわけです。この動きに反対・抗議しているのは、天皇が死ぬまで地位にあるべきとする極右と反天皇制運動の側だけのような状況です。もちろん、反天皇制の立場の意見表明は欠かせませんが。
ビデオメッセージの政治性
第2に、ビデオメッセージの政治性です。ここでは、天皇自身による象徴天皇の再定義と「公務」の合法化が宣言されているのです。
このメッセージを要約すると、象徴としての役割を果たすには「公務」がとても重要だが、高齢では無理であり、それを安定的に続けるためには若い者につがせたい。憲法4条の手前、自分が動くわけにはいかないので、ひいては、よろしく忖度してくれという内容です。
アキヒトは各地への旅を天皇の象徴行為として大切なものとし、象徴天皇の務めが安定的に続いていくことをひとえに念じるとしました。天皇制の維持を自ら主張したのです。
それを受けて、社会全体が猛スピードで忖度政治にのめり込み、これまでは違憲論も存在していた「公務」を前提する法案が作られていったのです。
「退位特例法」の問題
第3に「退位特例法」の問題です。
まず、その成立過程がそもそも違憲です。違憲である天皇の発議から始まり、それを国会が是認しました。これも違憲です。
第1条をみても、「公務」を前提とした条文であることが問題です。これは憲法6条・7条以外の行為の合法化に繋がるものです。第1条には、天皇への「国民の敬愛」「理解」「共感」が特例法成立の要因と記されています。「国民」の内心を法律で定めているのです。敬愛,理解、共感のない国民も存在するはずです。敬愛しなければ,第1条違反とされることになります。
さらに、天皇は退位しても上皇として天皇と変わらぬほどの特権的地位が確保されています。権威者が増えるわけです。皇族の構成はより差別化が図られます。
身分による呼称・敬称・予算の格差を法律で明示していますから、格差・身分差別を容認させる空気が醸成されます。
そして、付帯決議として「政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、(中略)本法施行後速やかに、(中略)検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること」と記されています。
アキヒト天皇には不満も残るところ大かもしれませんが、天皇の意思は通されたといっていい内容です。けれども、主権者である私たちの意思は通されているのでしょうか。天皇の発議による法の制定、天皇自身による天皇制継続の意思表示、違憲とされてきた公務の合法化、国民の敬愛・理解・共感の条文化など多くの問題があります。
● 今後の代替わり問題
では今後、どのような問題が起きてくるのでしょうか。
ヒロヒトの代替りのように服喪がありません。新天皇賛美の天皇報道がなされるでしょう。「元号」が変わります。「祝日法改正」により12月23日から2月23日へと「天皇誕生日」が変更されるでしょう。上皇ができ、宮内庁の再編、特別予算の編成、天皇、皇太子、秋篠宮の住居変更などもすすめられます。
「即位の礼」や「大嘗祭」など、さまざまな神道儀式も始まるでしょう。信教の自由や・政教分離が侵害されることになります。天皇賛美の動きも起きるでしょう。新たな動員もあるでしょう。
新天皇制の体制をどのようなものとして形成していくのかは、天皇制の側にとっても大きな課題となるでしょう。
また、「安定的皇位継承」問題があります。「女性宮家」の創設や、その他の旧宮家、養子縁組も議論されるでしょう。側室制度の復活をいう人もいます。いずれにしろ、再度「皇室典範」改定問題が浮上してきます。「女性天皇」・「女系天皇」論議も起きます。
「女性宮家」容認論と「女性宮家は女系天皇に通じる」という慎重論があり、それらをまとめて批判する必要があります。天皇の娘が天皇になるのは女性天皇ですが,その天皇と男性が結婚して生まれた子どもが天皇となると女系天皇とみなされます。安倍など伝統主義者はこの女系天皇を否定しています。男系による皇位継承という体制なのです。天皇は、お家断絶よりはもう少し柔軟に現実的路線を考えているようですが。
天皇の賛美報道、新元号、祝日法改正、「即位・大嘗祭」など多くの問題が予想されます。大切なことは、おかしいことに「おかしい」と言えることだと思います。天皇制はさまざまな形で市民の人権を侵害します。おかしいことにはおかしいと声をあげ、違憲と翼賛,人権侵害の現実を変えていきましょう。
(文責 人権平和・浜松)
参考資料:
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天皇のビデオメッセージ 2016.8.8 15:00
戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉(しゅうえん)に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることはできないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
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退位特例法全文(1)
天皇の退位等に関する皇室典範特例法
第一条 この法律は、天皇陛下が、昭和64年1月7日の御即位以来28年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、83歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、さらに、皇嗣である皇太子殿下は、57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行
等の御公務に長期にわたり精勤されておられることという現下の状況に鑑み、皇室典範(昭和22年法律第三号)第四条の規定の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。
第二条 天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位する。
第三条 前条の規定により退位した天皇は、上皇とする。
2 上皇の敬称は、陛下とする。
3 上皇の身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例による。
4 上皇に関しては、前二項に規定する事項を除き、皇室典範(第二条、第二十八条第二項及び第三項並びに
第三十条第二項を除く。)に定める事項については、皇族の例による。
第四条 上皇の后は、上皇后とする。
2 上皇后に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太后の例による。
第五条 第二条の規定による皇位の継承に伴い皇嗣となった皇族に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太子の例による。
附則
第一条 この法律は、公布の日から起算して3年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。ただし、第一条並びに次項、次条、附則第八条及び附則第九条の規定は公布の日から、附則第十条及び第十一条の規定はこの法律の施行の日の翌日から施行する。
2 前項の政令を定めるに 当たっては、内閣総理大臣は、あらかじめ、皇室会議の意見を聴かなければならない。
第二条 この法律は、この法律の施行の日以前に皇室典範第四条の規定による皇位の継承があったときは、その効力を失う。
第三条 皇室典範の一部を次のように改正する。
附則に次の一項を加える。
この法律の特例として天皇の退位について定める天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第 号)は、この法律と一体を成すものである。
付帯決議 一、政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、皇族方のご年齢からしても先延ばしすることはできない重要な課題であることに鑑み、本法施行後速やかに、皇族方のご事情等を踏まえ、全体として整合性が取れるよう検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること。