2017.8 沖縄の旅

「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない県民大会」

810日から816日まで沖縄へ行った。812日はオール沖縄会議主催の県民大会に参加した。会場の奥武山競技場は、炎天下34℃を越える猛暑の中、45千人が集まった。

大会はオール沖縄会議共同代表の高里鈴代、玉城愛、高良鉄美の3人の挨拶から始まった。オール沖縄会議現地闘争部の山城博治、各ブロックの現地報告、福山真劫総がかり行動実行委員会代表、城間幹子那覇市長、野国昌春北谷町長、稲嶺進名護市長の挨拶があった後、翁長雄志沖縄県知事が満場の拍手に迎えられ登壇した。

翁長知事はMV22がオーストラリアで墜落したことについて「県民が危惧していた通りの状況になっている。憤慨に堪えない」と批判した。事故後、日本政府の「自粛要請」を無視して米軍がオスプレイの飛行を強行し、その後政府が容認したことについて「米軍が運用上必要と言えばすぐに引き下がる。日本の独立は神話だと言わざるを得ない」と述べた。辺野古の埋立承認も撤回する意向も重ねて表明した。そして、「県の再三の要請にも行政指導にも応じず、国ともあろう者が法令をすり抜けることに心血を注ぎ、強硬に新基地建設を押し進める姿勢は、自らが常々述べている法治国家という言葉には程遠い」と強い口調で批判した。「このように工事を強硬に押し進める状況は、必ず埋立承認撤回につながっていく」と強調した。さらに「今後も県民に対するいかなる差別的、犠牲的な扱い、基地負担の押しつけに反対し、オスプレイの配備撤回、辺野古新基地建設反対、普天間飛行場の閉鎖・撤去の実現に取り組んでいく不退転の決意を皆さんに約束する」と述べた。あいさつの最後に「子や孫のため先祖の思いを胸に刻み、命の限り頑張りましょう」と、うちなーぐちで呼び掛けた。

防衛省は11日、MV22オスプレイのオーストラリア沖墜落事故を受けて米国に求めていた飛行自粛を撤回し、国内での飛行を容認した。事故原因もわからないまま「機械的、構造的、システム上の問題はない。飛行再会は安全だ」とする米軍の説明に対し、防衛省として「理解できる」とした。事故から6日、自粛要請からわずか5日で撤回した。一体どこの国の防衛省か??沖縄県内では11日オスプレイ飛行が確認されている。未亡人製造機とまで言われている欠陥機オスプレイは、北海道を皮切りにこれから日本中で訓練をする予定になっている。

9月上旬には東富士演習場にもやって来る。みなさん、NO!の声をあげましょう。

伊江島 

久しぶりに伊江島を訪れた。「ぬちどぅ宝」の家では謝花悦子氏の熱い話を聞いた。阿波根昌鴻さんの思い出話から「勉強をしっかりしなさい。しっかり勉強して、何が正しいのかを見極める力を付けなさい」と若者たちに語っていた。

1945年、伊江島での戦闘が終わった422日、防衛隊員の持っていた地雷で100人余りが亡くなったアハシャガマ、こまつ座の「木の上の軍隊」で知られるようになった、戦後2年程終戦を知らず木の上で2人の兵士が生活していたニーバンガズィマール、米軍からの砲撃で、砲弾跡が今も生々しく残っている公益質屋跡、島民1500人、軍人2000人が合祀されている芳魂之塔を案内してもらった。伊江島の戦闘は「沖縄線の縮図」と言われ、日本軍による強制自決や、住民が日本兵によって斬殺されるなど、多くの痛ましい出来事があった。

伊江島は車で回れば1時間程度で一周してしまうほど小さな島である。その小さな島の35%が米軍基地として使用されている。これは「銃剣とブルドーザー」で強奪された土地である。この島ですでに数千回のオスプレイの離着陸訓練が行われている。オスプレイ降下訓練中、米兵が民間地に降下したり、住民から20mの所に降下したり、農作業地の50mの所に強風にあおられ降下したり、内地ではほとんど報道されていないが小さな事故は多発している。伊江島ではF35戦闘機等の新しく配備する戦闘機のために滑走路の改修が行われていた。米軍基地の強化が着々と進んでいる。

 

今回は盆休みでキャンプシュワブ前の行動はなかった。しかし、12日の県民大会は圧巻であった。1時間30分の集会であったが、暑さを吹き飛ばすような熱のこもった発言が続いた。オスプレイ事故の後処理、辺野古新基地建設に沖縄県民は本当に怒っている。この怒りが形となるように微力ではあるが、浜松でがんばっていきたい。 (池)