光復節にて べにはこべ
♪ ふるさと知らない私でも
ながい裾にはホウセンカ
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まだテレビの無い子どもの頃
ラジオドラマのテーマソングを
待ちこがれて耳を傾けた
「ふるさと」の意味も
「ながい裾」や「ホウセンカ」の意味もわからず
在日の貧しい兄妹の物語だということも
知る由もなかった あの頃
♪ ツンムリン ザンブリン
ツンムリン ザンブリン
ふるさと知らない私でも
きりの薄着に髪飾り
それから何年も経った 子育ての頃
偶然 テレビで見た記録映像
粗末な建屋にワイヤーロープが掛けられ
あまりに簡単に引き倒された
それは朝鮮学校の校舎だった
反射的に子どもを抱きしめ
涙したことを思い出す
貧しいくらしの中から 必死で築き上げた
人間としての誇りと
子どもたちに託した願い
それが
あたかも 割り箸の工作であるかのように
つぶされていった
それすら何十年も知らなかった 私
一九四五年八月一五日
日本の敗戦により
ようやく光を蘇らせた朝鮮
その七十二回目の光復節式典の帰途
感極まって訴えるハラボジ
百年も続いた 理不尽への怒りと
流された悔し涙の重さを想う
そっとハラボジの背を抱くハルモニ
私は言葉も無く ただ手を取りうなだれる
かつて学校で ハルモニたちをいじめた子どもたち
犬猫以下と教えられた朝鮮人より
勉強ダメな自分は 一体何なのかと
無意識の劣等感や不安にかられたか
いじめる側の子どもたちをも 深く傷つけて
誇れるものは唯一「日本人の血」
いかなる努力の成果でもない
自分の体内を流れる「日本人の血」にすがる哀れ
いまだに煽られる差別や憎悪
しかし
それに抗う歩みも まだまだもどかしい
穏やかな気持ちで
お互いの悲しみを抱きしめ合う日々のために
今、私にやれることは何かと 考える
夏 べにはこべ
空襲から蘇った公園の 大木たちの下
ミンミンゼミの声を浴びる 関東の夏
生地を離れて四十年
久しぶりに聞く 懐かしい賑やかな響き
竹の先に しなやかな細い竹を
ラケット状に差し込んで
さて クモの巣集め
なるべく新しい ネバネバの巣が上物
たっぷり絡め取ったら
さっと 木の幹に押し付ける
ミンミンゼミは素早くかわし
水滴を振りまいて あざ笑うように逃げたもの
田んぼの畔を歩けば
あわてて飛びたつ イナゴたち
ビンを抱え 集めてまわり
稲田に張ったジョロウグモの巣にも
一匹 そっと置いてやる
すかさずイナゴに襲いかかり
グルグル巻きにするスピードの 見事 見事
あとのイナゴは 鶏たちのごちそう
沢山のトンボやチョウが 頭上を飛び交う
日陰の淵を順にまわって
ザリガニつりに明け暮れた夏休み
そして
宿題は日延べ 日延べとなる
沢山の命に囲まれ
沢山の命とのかかわりに
毎日 毎日 かくも心躍らせた あの頃
スマホ片手の大人たちのそばで
今 子どもたちは
いくつの命たちを感じているだろうか
緑深い 山里にあってさえ