見舞い3   生駒 孝子

 

 

あいうえおボードを指差して何度も単語を探す

彼の瞼がもどかしく震える

私は見つからない言葉の代わりに

布団の上に置かれた彼の手を両手で包む

 

「冷たくありませんか」

固まった指を一本一本ほどいてみる

トゥシューズの形に固まったつま先を摩ってみる

「わかりますか」と尋ねると瞼が小さく頷く

短く刈られた彼の頭を褒めながら

そっと毛の流れに沿って撫でつける

母親の背中で泣き疲れしゃくり上げる

幼子の笑みで あなたは私に許しを与えてくれた

 

母の入退院の世話で遠ざかっていた彼の病室は

ナースステーションの前に替わっていた

おずおずと足を踏み入れると

入れ代わりに看護師が飛び出してきた

カーテンの奥に白く穏やかな彼の横顔が見える

彼はそのまま面会謝絶の扉の奥に吸い込まれていった

私のを待つこともなく夏は逝ってしまった

 

彼を弔う祭詞が詠うように流れる

そうか 彼は今年の冬 定年を迎える筈だったのだ

そして私達は「長い間 お疲れさまでした」

「ありがとう 君も頑張ってね」

そんな言葉だけで別れていったに違いなかった



未来の鍵     生駒 孝子

 

「参っちゃったよ」深夜の同僚ドライバーからの電話は

東名高速道路通行止めの愚痴で始まった

私は彼の迂回苦労話に相槌を打ちながら

荷下ろし前に聴いたラジオを思い出していた

 

「未来の鍵を握る学校 スクールオブロックと申します」と始まる

若者向けの音楽番組だが おばちゃんもこっそり楽しんでいる

受験の応援コーナーや生徒からの恋愛、人生相談にも

校長、教頭と名乗る若いパーソナリティが熱く語る

 

今夜の相談は中学生からの生電話で

「死にたいと思うこともある」という深刻なものだった

母子家庭の彼女は家では母親から虐待を

学校では同級生からいじめを受け続けていた

校長と教頭は言葉を選びながら

彼女の気持ちを引き出し かすかな希望を見い出した

 

そして校長は力強く「またね」と彼女に告げた

彼女は「さようなら」と応えたが 校長は承知しなかった

「さようならは今日は聞きたくない、またね」

彼女は数秒の空白を飲み込んで「またね」と小さく頷いた

 

同じ夜 ひとりの少年が二メートルもの鉄柵をよじ登り

光の矢が高速で走り抜けていく只中へ飛び下りた

「今日までありがとう」とわずか十五年を締め括り

未来の鍵を共に握る人もなく逝ってしまった

 

「未来の鍵を握る学校 スクールオブロックと申します」

おばちゃんにも もう少し残っているかもしれない未来の鍵

光の少年と一緒に拾いにいってみようか