10・22袴田巌さんの再審無罪を求める浜松集会

2017年10月22日、浜松市内で袴田巌さんの再審無罪を求める浜松集会がもたれ、60人が参加した。
 

集会では弁護士の小澤優一さんが50年に及ぶ弁護活動の体験から、自白、5点の衣類,ズボンの端切れ、ズボンのサイズなどの問題点をあげ、裁判所が無罪を出せないという本能的な感触を批判した。
続いて、関東学院大学の宮本弘典さんが、戦時の思想的総力戦体制での刑事司法の体質が戦後も民主化されることなく、継続されてきた問題点を指摘した。
その後、浜松の救う会が制作した「すねの傷が語る真実」が上映された。特別報告として、天竜林業高校調書改ざん事件、富士機工障がい者自死裁判から支援の呼びかけがなされた。
最後に、袴田ひで子さんが、再審無罪にむけての支援を呼びかけた。

袴田巖さんの再審無罪を求める10・22浜松集会アピール

 

袴田巖さんが闘い取った再審開始決定から、3年半が経ちました。

検察の即時抗告を受けた東京高裁は、ここに来てやっと来春の結審の方向性を示しています。あまりに時間がかかりすぎています。

この3年半の審理は、検察の意向に沿った訴訟指揮により、無意味で、無駄な時間が過ぎてしまいました。即時抗告をした検察は、DNA鑑定そのものではない、血液採取の方法についての異議の申し立てでした。

検察の意向に沿って裁判所が決めた「検証実験」は、あまりに時間がかかりすぎました。この「検証実験」について、弁護団は、DNA鑑定は再審開始決定で決着済みであり、行なうのであれば再審公判ですべきであるなど、一貫して反対をしてきました。

そして、9月26、27日の両日、鑑定人尋問が行なわれました。

その結果、再審開始決定で認められた弁護側鑑定人の行なった「細胞選択的抽出法」は、否定されるものではないことが明らかになりました。

もとより、再審開始決定はDNA鑑定結果及び、5点の衣類の味噌の色のみならず、新旧証拠の総合評価によって判断が下されています。

さらに私たちは専務によって蹴られて出来たとする「すねの傷」が、袴田巖さんの逮捕後警察官によって作られた傷であることを突き止めました。50年目にして明らかになったねつ造証拠です。このような違法捜査が認められていれば、無実の死刑囚は作られなかったのです。

すねの傷がなければ、5点の衣類のズボンの鍵裂きも、専務と格闘して出来たとする右上腕の傷もなく、DNA鑑定をするまでもなく、

これ以上の時間は必要ありません。

東京高裁は、袴田巖さんの命のあるうちの再審無罪の道を開くべきです。


解放から3年半、死刑囚のままの巖さん

再審開始決定は新旧証拠の総合評価による

 再審開始決定から3年半が経ってしまいました。

 袴田巖さんとひで子さんにとって、事件発生からの51年とは比べ物にならない時間です。

 検察の即時抗告によって、袴田巖さんは既に81才になってしまいました。いのちのある内の、再審開始と無罪判決をより強く求めていく必要があります。

3年半前の再審開始決定は、「捜査機関のねつ造による事件」であり、袴田巖さんを無実の死刑囚として獄中に閉じ込めてきたことを、「著しく正義に反する」として、即日、袴田巖さんは解放されました。

検察はこの再審開始決定に異議の申し立てをしたましたが、それは重箱の隅を突くようなものです。再審開始決定は、犯行着衣に付着していた袴田巖さんの血液だとされた血液が、DNA鑑定により第三者の物であることを明らかにしました。また、裁判開始から1年2ヶ月が経過したところで、検察が犯行着衣だとして法廷に提出した「味噌漬けの5点の衣類」は、長時間味噌につけたものではないと認定しました。

以上の2点の証拠は、「ねつ造されたものであるとの疑い」が生じたとし、さらに新旧証拠を総合評価され再審開始が決定されました。

この歴史的決定に対する検察の即時抗告の理由は、DNA鑑定の弁護側鑑定人の鑑定結果ではなく、血液の抽出方法を検証するというものです。弁護側鑑定人の行なった「細胞選択的抽出法」について、検察側の執拗な主張に対し、弁護団は終始無意味な実験であり、再審公判で行なうべきであると強く反対してきました。

しかし、東京高裁は検察の意向に沿った訴訟指揮で、弁護団の反対を押し切り「検証実験」を採用しました。

そして、検察の意向に沿った「検証実験」は、弁護側鑑定人が行なった「細胞選択的抽出法」でなく、全く別の実験であることは明らかでした。「検証実験」は着手から1年2ヶ月も経過した、今年6月に結果が裁判所に提出されました。

 ところが、提出された鑑定結果は、裁判所が示した実験を行なわれず、鑑定人が勝手に設定した実験であったことが判明しました。1年2ヶ月も時間をかけ、裁判所の指示に従わなかった無意味な鑑定が行われたことで、袴田巖さんの貴重な貴重な時間が削られてしまいました。

 さらに検察は、三者協議の席上ではいっさい触れられないまま、膨大な経費をかけた味噌漬実験を秘密裏に行なっていたことを明らかにしました。しかし、9月26、27日の二日間、「検証実験」の鑑定人尋問が行なわれましたが、検察からの味噌漬け実験の意見書の提出はありませんでした。

 そして、二日間の証人尋問で明らかになったことは、「細胞選択的抽出法」が否定されるような実験結果ではなく、弁護団は裁判所の決定による鑑定人の実験方法の問題点が追及されました。また、27日の法廷では本田鑑定人の「細胞選択的抽出法」の実験の様子がビデオ上映され証拠採用されました。

 東京高裁は、年度内結審の考えを示しています。巌さん、ひで子さんの状況を考え、これ以上の時間をかけず、命あるうちの再審無罪の道を示すべきです。また、袴田巖さんの無実の叫びを黙殺することなく、再審開始決定の総合評価を踏まえ、即時抗告を棄却することこそが求められています。

「袴田事件」のシナリオ(凝縮版)

 

@イントロ

<袴田さんにインタビュー>

寺澤「巌さん、袴田事件のことについてお聞きしてもいいですか?」

袴田「袴田事件なんてありゃせん。あんなもんは全部ウソだ」

事件現場の写真 著作フリー ビートルズ写真 袴田さんのボクサー写真 顔にズームアップ

1966年(昭和41年)6月30日未明、静岡県清水市にあった味噌製造会社専務宅で、一家4人の殺害・放火事件が起こった。ザ・ビートル―ズが初来日し、日本武道館での公演初日の出来事だった。

警察がいち早く目をつけたのは、同社従業員で元プロボクサーの袴田巌さん、当時30歳。捜査機関は「犯人は袴田以外にない」という誤った憶測と心証に縛られ、偏り、無実の人間を殺人犯に仕立て上げていった。裁判所もまたそれに追随するかのように、袴田さんに死刑を宣告し、確定させた。世にいう「袴田事件」とは、無実が明らかな袴田さんに罪を着せんとし、警察によって作られた「でっち上げ事件」であり、あってはならない冤罪事件なのである。

 2014年3月27日、第2次再審請求に対し静岡地裁は、再審の開始と、死刑および拘置の執行停止を決定した。地裁は「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑いがあり、犯人と認めるには合理的な疑いが残る」、「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」と、強く指弾した。これにより袴田さんは、獄中から釈放。実に48年ぶりに社会への復帰を果たしたのだ。しかし、検察側の即時抗告によって、地裁の決定から3年以上経過したいまなお、再審は始まっていない。袴田さんの立場は依然として「確定死刑囚」のままである。

 冒頭の「袴田事件なんてありゃせん」という発言は、「袴田巖が犯人だという袴田事件なんて、元々ないんだ。警察が証拠を捏造し、自白を強要し、ウソで固めて作った事件だ」という、袴田さんの悲痛な心の叫びなのである。

Aタイトル

「袴田事件なんてありゃせん。あんなもんは全部ウソだ」  タイトル 袴田事件、驚異の真相!

B本編

証拠開示に関する新聞記事 裁判員裁判についてのパンフ 検察による証拠ねつ造記事 臑の傷の写真動き

弁護団のアクションをイメージできる動画 

袴田さんの無実を証明する証拠は、数多く存在する。逆に、袴田さんを犯人だと主張するのは、捏造された証拠ばかりである。これは、再審開始を決定した静岡地裁も指摘していることだ。検察は、裁判に不利になる証拠をこれまで隠してきた。第2次再審請求審では、600点にわたる証拠が検察から開示されたほどである。

 そうした中、袴田さんの釈放後に、袴田さんの無実を示す新しい重大な証拠が見つかった。

袴田さんは「専務と格闘して、すねを蹴られた」と自白したのであるが、その傷が逮捕時にはなかったのである。

自白後(9月8日)の傷の写真、鑑定書、身体検査調書を映す

袴田さんは9月6日に自白に転じた。これらは、その2日後、9月8日に作成された証拠である。

しかし、自白前にこの傷が存在していたという証拠がないのである。弁護団は、逮捕時の傷の写真の証拠開示を求めた。検察の返答は「写真もネガもない」であった。そして逮捕時の身体検査調書を証拠開示した。

逮捕時の身体検査調書

ここに右足脛の傷は記録されていなかった。逮捕当日も、逮捕前も、だれも袴田さんの足の打撲擦過傷痕を見た人はいないのである。

留置人名簿の記録

7月4日の山田医師の診療録

弁護団は、逮捕当日の身体検査調書が再審開始の理由となる「新規・明白な証拠」に該当するとして、東京高裁に対し、

「検察官の即時抗告は、すみやかに棄却すべき」

との意見書を平成27年5月16日に提出している。

当時の写真 調書の数々 取り調べのイメージ動画 供述調書

事件から50日後の1966年8月18日、静岡県警は従業員の袴田さんを逮捕した。23日間の取調べは、過酷を極めた。それは連日平均で12時間、最長で16時間にもおよんだ。そのあいだに45通の自白調書が作られたが、一審の静岡地裁では44通は「任意性がない」として、証拠から排除されている。

 たった1通採用された、吉村英三検事による供述調書は、勾留期限いっぱいの9月9日に作成されたものだった。

【清水警察署の取調室】

回るセットテープ 実際の記録から  イメージ動画

<調書を読み上げる警察官の声>

こがね味噌の専務一家の人達を殺して金をとって、火をつけたのは私に間違いありません。私はアパートを借りておふくろと子供と3人で一緒に住みたいと思っていましたが、アパートを借りる金がなかったので、アパートを借りるための敷金や権利金にするまとまった金をとるために専務の家に行ったのです。

調書によると、これが袴田事件の《犯行の動機》とされている。

 再審開始決定後の2015年1月、それまで検察側が「ない」と主張していた、取調べ録音テープが、清水警察署の倉庫から「偶然見つかり」、証拠開示された。その録音テープからは、違法捜査の様子が見て取れる。

松本 お前は4人も殺しただぞ

袴田 なんで殺さなければなんないんだよ。

袴田 知らないことを言えったって、どこまでいっても無理ですよ。どこまでいっても。

否認から自白に転じる前後、9月4日、5日、6日の3日間の取調べは、時に深夜2時にまでおよび、さらにはトイレに行かせないなど、計44時間もの過酷な取り調べが、延々と続けられた。

松本  そんなにおまえさんがな、嘘言っちゃいかんぞ。

袴田  嘘じゃない。

松本  な?話をしてな。な?

岩本  じゃ、調書、と(   )。

松本  調書はもう取っただ。調書のね。

岩本  うん・

松本  1回、2回目の調書も(  )

岩本  ああ、そうですか。

松本  うん、ほんじゃここまで取ってあるで。

松本  えーと「専務一家を殺したのは私です。あの、まことにすいませんでした。」

岩本  ええ。

松本  「詳しいことは今から話します」ということで1本取って。

岩本  はい、はい。

松本  それから、動機を、まあ、簡単に、こう。    【取り調べNo:1−06−A1】04:00〜

当時の写真   調書の数々 取り調べのイメージ動画 供述調書

自白調書は録音テープにあるように、警察官の描いたストーリーのまま一方的に“創作”された。犯行現場を知らない袴田さんは黙り込み、現場を熟知する刑事の言葉どおりに供述するほかなかった。しかし実際は、警察の描いたストーリーは事実とは異なり、想像の産物に過ぎない。

そのため、袴田さんの供述調書は、数々の矛盾をはらんでいる。

犯行の動機、侵入経路、凶器などすべてが捜査側の作り話で、犯行時に着る必要のなかった雨合羽、履いていたとされるゴム草履から血液反応が出ない、などの矛盾は無視された。

しかも、事件から1年2か月後の一審の公判中に、犯行着衣とされる「5点の衣類」が味噌タンク内から発見される。それまで自白調書が犯行着衣としていたのは「パジャマ」だったが、これは完全に否定されたのである。

この自白調書そのものの信頼性は、ここで更に大きく崩れたのだった。しかし、それでも、強引に死刑判決が下された。東京高裁は控訴審判決でこんなことを言う。

 死刑のイメージ  判決文 

パジャマを着て犯行におよんだとする点等に明らかな虚偽があるが、この点については味噌タンク内の衣類が未発見であるのを幸いに被告人が捜査官の推測に便乗した形跡があり、これを根拠に調書全体の信用性を否定するのは相当ではない。専務との格闘のさいに腿や向こう脛を蹴られたとの自供内容に相応するように事件後の9月8日には、被告人の右下腿中央から下部前面に4か所の比較的新しい打撲擦過傷が認められたうえ、事件後1年2か月経ったころ発見された鉄紺色ズボンには右足前面に2.5cmx4cmの裏地に達するカギ裂きようの損傷があった。

 判決文によれば、脛の傷は、死刑を確定する重要証拠であることがわかる。「明らかな虚偽がある・・・」と判決文で認めながらも唯一採用された、矛盾だらけの自白調書の最後のよりどころは「脛の傷」にある。しかし、この傷が逮捕時になければ、「パジャマでの犯行」だけでなく、この自白までもが虚偽であり、たった1通の検察官調書も採用できなかったことになる。

では脛の傷はいつ、どのようにしてできたのか?

検察が証拠開示した48時間の取り調べの録音テープにより、自白に内容が見えてきた。脛の傷は自白後に初めて発見されたことになっている。

9月6日の取り調べの録音テープ 「長いなあ」「約8センチ5ミリだね。8センチ5ミリでかぎ型だねえ。8センチ5ミリの縦4センチ」

取調官が傷を測っている。そして、この自白を受け、捜査主任は、急いで手続きを取り、身体検査調書と鑑定書と傷の証拠写真を作成したのである。

捜査主任の捜査報告書を映す。(・・・専務に蹴られたり、自分の所持していたクリ小刀で肩を切ったり・・・)

を読む

この捜査報告書によって、9月8日に、右足脛に4か所の打撲擦過傷痕が写っている証拠写真が残されたのである。(最初に移した写真)

8月18日の逮捕当日のとりしらべで、袴田さんの傷を1つ1つ確認している音声がある。

8月18日の取り調べの録音テープ 「な、足にもある」「ここにも傷がある。」「な」「ええか」「ここにもあったな」

録音テープの声は捜査主任である。捜査主任はこの逮捕当日の取り調べで、脛の傷を確認していない。他の傷、たとえば右足の古傷などを見ているにもかかわらず、だ。捜査主任は、長さ8センチ以上はあるすねの傷を確認していないのである。

平成29年7月18日、弁護団は

「右足脛の傷が逮捕後に警察官等の暴行等により受傷したものであるという結論は揺らぐことはない。

捜査主任は、右足脛の傷が、事件とは全く関係がないことがわかっていながら、虚偽の自白をさせたうえで、その時点ではじめて右足脛の傷を発見したかのように装い、それに合わせた証拠を作成させてきたものであり、9月8日に作成された身体検査調書・鑑定書は、自白に合わせて作られたねつ造証拠である。」と裁判所に意見書を提出した。

検察は、逮捕時に脛の傷があったことを証明できていない。「あったこと」を「あった」と証明することはたやすいことだ。「あった」という証拠を示せばいいだけである。しかし、検察官はどこをさがしても、「あった」という証拠を見つけることができないでいる。逮捕時に、袴田さんの足にけられたような傷などなかったことを、今、一番知っているのは検察官である。

1年2か月後に発見された5点の衣類のズボンには、脛のかぎ型の傷と同じ部分にかぎ裂きの損傷がある。これが犯行の証拠とされてきたのである。しかし、ズボンがかぎ裂きに破れても、蹴られた打撲擦過傷痕はできない。また、足を蹴られて、ズボンが裏地まで破れることはない。しかも、ズボンの損傷は、右上の角がかぎ型、脛の傷は、左上がかぎ型で、相応すらもしていなかったのである。しかし、これが袴田さんが犯人である重要な証拠とされてきたのである。虚偽の自白を強要され、その自白に合った証拠がねつ造され、しかも脛の傷とズボンの損傷は、右、左、形が逆だったのである。これでは、もはや、ねつ造を否定できない。

取り調べのイメージ動画

 真実は1つであり、真実を追求するのが司法である。人の命に関わるウソがまかり通る世の中を、もし司法が許したとしたら、それは万死に値する。

警察の記録にもなく、証拠としての信頼性に乏しい希薄な理由が、袴田有罪の重大な決め手になっていたことは、もはや疑いようがない。それが、袴田さんを48年間、17,388日ものあいだ獄中に拘禁する理由になったのである。

 無実の人間を、罪に陥れたのは警察と検察だ。だが、袴田さんの無実の叫びに耳を貸さず、真実と真摯に向き合おうとせず、捜査機関の犯罪に与した裁判官の責任も、限りなく重い。

 犯行着衣とされる「5点の衣類」のDNA型鑑定が、再審請求の段階で、検察と弁護団どちらも袴田さんの型と不一致であった以上、一家4人殺害事件と袴田さんは無関係なのである。いま、即時抗告審は、鑑定手法の科学論争にいたずらに時間を費やしている。1つしかない真実が明らかになった以上、その真実と向き合うせっかくのチャンスを逃すことは許されない。

 一刻も早く再審を開始し、再審の場で真実を明らかにすることが、司法の使命ではないか。

Cエンディング

◇家族への手紙から 秀子さんの朗読

事実のない無効調書、昭和41年9月9日、検事調べの、この一方的にできた時を省みると私は何か異質の有毒を感ぜられる空気を長時間吸うと、その息苦しさから人は死を感ずるものだ。且、刑事等によってほとんど全く頭脳が混乱され廃人同様に虐げられた。私に対する、吉村検事の調べは容疑者の意など全く無視。同検事自身の考えだけで即ち、証拠の基づかない取り調べに独走したのである。彼は犯人をどうしても作ろうとする奇人と化して、罵り、またある時は刑事等によって拷問させることを仄めかし、終に吉村検事自身の考え得る範囲の調書を労作したのである。右調書の内容は、一切が空ですべてが無だ。従って、このような調書を王様視した、岩見裁判長は、法の番人であるべき裁判官自ら法を犯した…ことに外ならない。(1974年4月30日)

袴田 「袴田事件なんてありゃせん。あんなもんは全部ウソだ」

 袴田巖さん。逮捕から51年。そのうち48年を獄中で過ごしてきた。現在81歳、残された時間は少ない。

何ら非難されるところのない、一人の市民が事件に巻き込まれ、死刑を宣告される。いまなお、確定死刑囚のままだ。無実の人は無罪に――。私たちの世の中は、こんな当たり前のことすらできないのか。そんなことはない、と信じている。