フィリピンの旅2018・2

 フィリピンで日本軍による虐殺事件に向き合う 

 

はじめに

26日から10日までNPO法人「ブリッジフォーピース(BFP:以下BFP)」主催のスタディツアー(日本から3名、現地2名参加)でフィリピンのマニラとマニラ南方にあるバタンガス州を訪れた。主な目的は二つ。一つはアジア太平洋戦争時日本軍による虐殺事件が起きた現場を訪れ犠牲者遺族や生存者と会うこと、もう一つはマニラ市街戦で犠牲になった方たちの追悼式典に参加することだった。

 

 

1.リパ市パンガオ集落での虐殺事件

恥ずかしながらこれまでフィリピンでの日本軍による加害事件については大雑把な知識しかなく具体的なことはほとんど知らなかった。194523日から33日はマニラ市街戦で市民約10万人が犠牲になり(但し米軍の砲爆撃による死者も多数)同時期にマニラ市内およびバタンガス州でいくつもの住民虐殺があった。今回はその中で二つの現場を訪れた。一つはリパ市パンガオ集落での虐殺事件現場である。70人ほどの男性が銃剣で刺され二つの井戸に投げ込まれた。そのうちの一つは案内がなければ全く気づかない林の中にあった。もう一つの井戸は民家の敷地内にありどちらもコンクリートで蓋をされ虐殺の痕跡は全くないが私たちはそれぞれの現場で焼香し黙とうをささげた。20メートルもの深さがある井戸にまだ生きているのに投げ込まれた人たちもいたようだ。おぞましい光景が頭に浮かびその場を逃げ出したい気持ちにかられた。加害者は私の父親、祖父世代の日本兵なのだ。

 

この虐殺事件で父親と叔父二人が犠牲になった遺族のアレックス・マラリットさんにお会いしお話を聞くことができた。アレックスさんは1935年生まれで82歳。お父さん、叔父たちが連れ去られようとしたとき小さい妹が父親の足にすがって泣いたことが強い印象として記憶に残りその情景を描いた絵がある。彼は作家石田甚太郎の著書に刺激を受け何枚も虐殺場面の絵を描いておりアレックスさんのお宅で見せていただいた。当時9歳で直接現場を見ているわけではないが遺族としての無念な思いと二度とこんなことをさせないという強いメッセージが伝わる作品ばかりであった。重い空気が流れたあとは美味しいリパ産のバラココーヒーとフィリピンのお菓子で心温まるもてなしを受けた。

 
虐殺現場の井戸          アレックスさんが描いた絵
                

2.バウアン教会事件

もう一か所訪れた虐殺現場はバウアンにある教会である。228日にこの教会に通行証を発行するという名目で400人近い男性が集められ、その後すぐ近くの日本軍が接収した有力者の邸宅に移動させられた。建物にはあらかじめ黄色爆薬が仕掛けられており建物ごと日本軍が爆破し328名が亡くなっている。その時かろうじて現場から逃れ一命をとりとめた生存者の一人、コルネリオ・マラナンさんに会うことができた。当時25歳。現在97歳で4世代の家族に囲まれ幸せに暮らしておられる様子に勝手ではあるが日本人として多少救われる思いがした。しかしコルネリオさんは数年前のインタビューでは「事件当時は日本兵に対する怒りで本気で復讐を考えていた」と言っている。当然な感情だろう。BFPのこれまでの交流のおかげで今は日本人が訪ねてくれるのを楽しみにしているそうだ。マンドリンに似た楽器を演奏してくださったり一緒に歌ったりここでも幸せでやさしい時間が流れていった。多大な被害を受けた方たちからこのようなもてなしをあちらこちらで受けフィリピン人の懐の深さにつくづく感じ入った。

 コルネリオさんと息子さん

今回は2か所かしか回れなかったが、ラグナ州のカランバ、ロスバニオス、バイ、サンパブロ、バダンガス州の他地域での虐殺事件は相当数に及び、25000人にも及ぶ住民が殺されたという。虐殺の実態については石田甚太郎著『ワラン・ヒヤ』(現代書館、1990)『殺した 殺された』(径書房、1992)元兵士友清高志著『狂気―住民虐殺の真相』(現代史出版会、1983)などに詳しい。

 

3.メモラーレ・マニラ1945

210日は朝8時半よりイントラムロスで市民団体「メモラーレ・マニラ1945」主催によるマニラ市街戦の犠牲者追悼式典が開催された。100名ほどが参加し献花やスピーチなどがあった。日本から政府関係者の参加があるのかと思っていたらとんでもなく、日本大使館に招待状を出しても返事もないと聞き愕然した。一方BFPのような小さい民間の団体が毎年追悼式に参加し、挨拶の中で必ず日本人として謝罪の言葉を述べる姿勢は大きな意義があると確信する。今回も代表の神直子さんのスピーチは共感を呼んだようで地元の新聞にも掲載されたそうだ。

 

おわりに

たった5日間の滞在ではあったが、日本軍がフィリピンにもたらした加害の大きさが想像をはるかに超えることがわかった。アジア全土で殺戮、強奪、強姦を繰り広げた日本がその罪を敗戦後もきちんと清算せず、過去から学ぼうともしないどころか安倍首相を筆頭に歴史修正主義者が幅をきかせている。しかも戦争ができる国に逆戻りさせようという現政権の動向にも関わらず支持率がほとんど下がらない。この現状に絶望を覚えることもあり、

暗澹たる気持ちになる。ただBFPのような加害の歴史に向き合う活動をしている組織に若いメンバーが比較的多くいることは一縷の望みだ。今回も参加者の一人は教員志望の大学生、ツアーで学んだことを周りに伝えていきたいと熱く語ってくれた。このような若ものがいる限り諦めず希望を持ち続けたい。(E)