6・23明治日本の産業革命遺産と強制労働・
               長崎集会報告

 

●長崎で産業遺産と強制労働の集会を開催

2018623日、長崎市内で、明治日本の産業革命遺産と強制労働・長崎集会が強制動員真相究明ネットワークの主催でもたれ、100人が参加した。

日本政府は20157月、明治日本の産業革命遺産登録に際し、戦時下、「意思に反して連れてこられ、厳しい条件で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた」としたが、その後、「働かされた」は強制労働ではないとした。また、201711月末のユネスコへの保全状況報告書では「戦前・戦中・戦後に多くの朝鮮半島出身者が現場を支えていた」と表現を変えた。

さらに、この遺産登録を推進した産業遺産国民会議は「軍艦島は地獄島ではなかった」と朝鮮人・中国人の強制労働を否定する宣伝をおこなうようになり、それが政府の見解になりかねない状態である。

今回の集会は、このような明治日本の産業革命遺産での強制労働否定の動きのなかでもたれた。集会では、明治日本の産業革命遺産についての問題提起として、外村大「「私たち」の歴史と明治産業遺産」、竹内康人「明治日本の産業革命遺産と強制労働 10の視点」の報告があった。

外村さんは、虚偽や願望により事実を変えてはならないとし、歴史を学び、語ることにより、相互理解・他者理解をすすめることが大切とした。また、憲法の平和と人権の視点からみて、朝鮮人の戦時動員は日本国民が知るべき歴史であり、産業の近代化を労働者民衆の視点、動員された朝鮮人・中国人の視点から見ていくことを呼びかけた。そして、強制動員の事実を端島の元島民など地域の人びとが認めることから、歴史をめぐる葛藤が解かれ、コミュニケーションが深まると語った。

竹内は、ユネスコの精神にある国際平和と人権への思い、産業遺産を資本・労働・国際の3点からみること、明治賛美の物語の問題性、朝鮮人・中国人・連合軍捕虜の動員数と「明治日本の産業革命遺産」施設での戦時の動員状況、長崎県での動員の状況、高島炭鉱・三池炭鉱での動員実態、日本政府の歴史認識の問題、産業遺産国民会議の歴史歪曲の動きなどを示した。そして、強制労働の史実を記すことで、国際的な平和と友好の場とすること、力を合わせ、歴史の歪曲を止めることを呼びかけた。

●長崎・三池・八幡からの報告

続いて、地域からの報告が、平野伸人「戦時下長崎における中国人・POW強制労働」、新海智広「長崎の朝鮮人強制労働」、城野俊行「三井三池関連からの報告」、兼崎暉・「東録「八幡製鉄所と強制労働」の順になされた。

平野さんは、長崎での中国人強制連行の調査について、1992年に平和公園で浦上刑務支所の建造物や死刑場などの遺構が発掘され、そこで朝鮮人や中国人が亡くなったことが判明し、中国人強制連行の実態の調査、中国人原爆犠牲者遺族の調査、対三菱中国人強制連行裁判の提訴、中国人追悼碑の建設、中国での新たな裁判の提起と三菱マテリアルとの和解調印などの経過を、当時の写真を示して話した。また、連合軍捕虜が川南工業香焼造船所、三菱長崎造船所の動員されたことにもふれ、オランダでの現地調査、捕虜への被爆者手帳発行の経過について紹介した。

新海さんは長崎での朝鮮人被爆者と朝鮮人強制連行の調査の経過について話した。長崎在日朝鮮人を守る会は岡正治さんが中心になり1965年に結成されたが、1979年に朝鮮人追悼碑を建て、長崎市に朝鮮人被爆者調査を求めた。1981年に長崎市が調査を公表したが、市は、朝鮮人被爆者を約12000~13000人、死者を約1400~2000人とした。その数字を批判して長崎での朝鮮人被爆者調査が始まり、朝鮮人強制連行の調査もおこなった。1994年に岡さんが亡くなり、翌年、岡まさはる記念長崎平和資料館を開設し、2011年には『軍艦島に耳を澄ませば』を出した。最後に連行朝鮮人の証言を紹介し、「原爆で解放された」とする言葉から原爆投下の原点としての植民地支配の責任追及の課題を示した。

 
 
 城野さんは大牟田市の人口が11万人ほどになり、高齢化率が高まり、三井化学やデンカなどの企業の法人税がなくなれば、大牟田市が立ちゆかなくなるという現実のなか、市が世界遺産登録をすすめたとした。しかし、第3セクターによるリゾートの廃業のように、世界遺産に登録しても、2年目になると観光客は減少している。世界遺産とされた三池の炭鉱専用鉄道跡を健康ブームによせてマウンテンバイク用に改造する動きもある。城野さんは、大切なことは団琢磨など搾取した側を崇めるのではなく、宮原坑での囚人の強制労働や三池港での与論島出身者の労働者など声を出すことができなかった人びとの存在を伝えていくことと話した。

兼崎暉さんは新日鉄住金への毎年の要請行動について話し、2012年の韓国大法院での日本による不法行為への損害賠償の権利の認定、2015年のソウル地裁での原告の勝訴、中国人強制労働での和解の事例などを示した。また、八幡製鉄所が日清戦争での清からの賠償金で建設され、アジア侵略を支える軍需工場であり、戦時には大量の朝鮮人・中国人・連合軍捕虜を連行した事実を示した。

「東録さんは戦時に両親が八幡に動員され、鉱石運搬に動員された朝鮮人は血の涙を流すような苦しい労働であり、鉄と石炭と強制労働によって戦争が遂行されたと訴えた。また、オモニの八幡での日傭職人登録證を示し、世界遺産の説明文には、朝鮮人については一言も記されていないと批判した。そして、オモニが戦争だけはやってはいけないと語っていたこと、虐げられた体験を持つオモニの語りが子どもたちの心を揺さぶる力を持っていたことなどを紹介し、南北統一への思いを語った。

 

●長崎フィールドワーク 三菱兵器住吉地下工場跡・浦上刑務支所跡

624日には長崎のフィールドワークが企画され、三菱兵器住吉地下工場跡、朝鮮人追悼碑、中国人追悼碑、浦上刑務支所跡などを見学した。

三菱兵器住吉地下工場跡

三菱兵器住吉地下工場は、三菱兵器大橋工場の疎開工場として、6本のトンネルが掘削された。そのうち2本が実際に利用された。当時、三菱兵器の茂里町工場では艦船用魚雷、大橋工場では航空機用魚雷が製造され、この航空機用魚雷はハワイやマレー沖の攻撃でも使われた。

空襲がはげしくなる中で、この工場の疎開と兵器生産は重要な課題となり、1943年には工場の北方への疎開が計画されたとみられる。西松組が工事を請け負い、朝鮮人が労働力として動員された。なかには金鐘基さんのように忠清南道の唐津から直接連行された人もいた。トンネルの入口近くと山の上に朝鮮人の収容施設・飯場ができた。被爆により、工事の朝鮮人の多くが亡くなり、トンネルは被災者の避難先にもなった。

市民団体の保存要求により、戦時下使用されていた1号・2号のトンネルの東側が整備され、2010年から三菱兵器住吉トンネル工場跡として、見学ができるようになった。案内板も設置された。遺構ガイドが同行する際には、8メートル先まで入ることが認められている。ガイドとともになかに入ると照明がつき、岩肌が現れた。

このトンネルは三菱の兵器生産による侵略戦争への加担、戦時の朝鮮人強制労働、原爆による奪われた生命の歴史を示す戦争遺跡である。


 浦上刑務支所跡

長崎市の平和公園は長崎刑務所浦上刑務所支所の跡地にある。この刑務支所には懲役場・拘置場があり、死刑場もあった。ここは九州管内での死刑の執行所であり、中国での治安維持法などの違反者の収容所でもあった。原爆によって建物は崩壊したが、1992年の駐車場工事で放射状の監獄跡と死刑場への階段が姿を現した。市民団体が保存を求めたが、監獄跡の一部が残され、説明板が設置された。死刑場跡は破壊され、がれきは近辺に埋められた。浦上刑務所支所の外壁の基礎部分が残っている。貴重な被爆遺跡である。

この刑務支所で爆死した朝鮮人・中国人の歴史の調査により、新たな事実が判明した。中国人は三菱崎戸炭鉱や日鉄鹿町炭鉱に強制連行され、抵抗した人びとなどが収監されていた。朝鮮人の尹福東さんは香焼島で防空壕掘削の下請けをしていたが、配給の水増し請求を理由に逮捕されて留置され、被爆死した。遺族が判明した。ガイドの平野さんの事務所には死刑場跡の写真が保管されていた。

 

平和公園近くには、長崎在日朝鮮人を守る会が1979年に建てた朝鮮人被爆者追悼碑がある。裏側には「強制連行および徴用で重労働に従事中被爆死した朝鮮人とその家族のために」と刻まれている。碑の横の説明板には植民地支配と強制連行、南北統一への思いが記されている。中国人原爆犠牲者追悼碑が公園内にあり、「非業の死」と刻まれ、説明板には中国人強制連行の史実と長崎での連行状況・被爆の歴史が記されている。

以上がフィールドワークで回ったところである。以下は他の時間に見学した。

川南工業香焼造船所俘虜収容所跡

川南工業香焼造船所には朝鮮人とともに1500人もの連合軍捕虜が動員され、73人が死を強いられた。捕虜収容所は現・香焼中学校にあったが、その一角に2015年に連合軍捕虜追悼碑が建てられた。「祈平和」と刻まれた碑の前で、毎年、関係者と住民が追悼集会を開いている。強制労働の事実を記し、死者を追悼することから友好がすすむ。

朝鮮人・中国人・連合軍捕虜の強制動員は事実である。産業遺産国民会議による「軍艦島は地獄島ではなかった」とする一部宣伝に、端島の元住民が加担するのではなく、動員者と死者の存在を認め、追悼することから、友好がはじまる。

三菱長崎造船所のイージス艦

世界遺産とされた小菅修船場跡近くの浪の平町の高台からは三菱長崎造船所を眺望できる。三菱長崎造船のドックにはイージス艦が2隻、173「こんごう」、178「あしがら」が並んでいた。海自の船がもう一隻みえた。三菱重工業はアジアでの戦争と緊張で利益をあげてきた。三菱重工業の軍需生産は続いているが、平和産業へと転換していくことができるのだろうか。南北首脳会談、米朝首脳会談と続き、朝鮮での戦争の終結が実現できるのか否かのときになった。今後の企業経営の方向性も問われる。

 

大牟田市の武松輝男資料

福岡県の大牟田で三池炭鉱での労働者の状態や強制連行について研究していた武松輝男さんの資料が大牟田市立図書館に保管されている。2012年に資料目録が作成され、事前に申請すれば、資料が用意されるようになっている。今回、長崎行きの前に大牟田市で、武松資料のなかから、朝鮮人・中国人・連合軍捕虜に関する資料を見た。

武松さんの資料では、武松さんが収集した連行中国人の名簿が重要である。武松さんは外務省報告書が作成された際の三池炭鉱事業場報告書に添付された名簿を得ている。外務省に提出された事業場報告書には、この連行者の名簿が欠落していた。さらに武松さんはGHQ法務局に出された中国人連行者の名簿も得て、この2つの名簿を照合して、連行者の氏名を集約している。その検討資料が出身地別にファイル化され、残されている。外務省報告書に記されたよりも多くの連行者が存在することがわかる。

これらの資料から、三井三池に連行された中国人の名簿を編集することができる。これは今後の課題である。

 

●6・25長崎・被爆者手帳認定訴訟・本人尋問

2018625日、長崎地方裁判所で三菱長崎造船元朝鮮人徴用工の被爆者手帳却下処分の取り消しを求める裁判の本人尋問がもたれた。裁判前には門前で集会がもたれた。

 

この裁判の原告は李寛模、金成洙、「漢燮さんらである。金成洙、「漢燮さんは渡日し、九州で働いていたときに徴用され、李寛模さんは黄海道から三菱長崎造船所に強制連行された。3人は2014年から15年にかけて長崎市に被爆者手帳を申請したが、却下され、2016年に提訴せざるをえなかった。

625日の裁判には、李寛模、金成洙さんが来日し、本人尋問で、三菱長崎造船に動員されての労働と被爆の状況について証言した。二人の記憶は鮮明だ。車いすで証言した李寛模さんは尋問の最後に声を上げ、つぎのように語った。

日本は先進国と言ってはいるが、わたしが徴用され三菱で働いたのか、原爆にあったかどうかとと聞いてくるが、腹が立つ。犬も食べないような豆粕の食事を出して働かせておいて、今になって、なぜ来た、なぜ働いたのかと聞くとは。わたし、李寛模を否定するのか。野蛮な質問だ、それが人間のすることか。腹が立って仕方がない。それを通訳する法廷通訳者も共感し、声が涙で震えた。

李さんは1922年生まれの95歳である。三菱造船の木鉢寮に収容されたが、5棟3号室に入り、会社での自分の番号は「36912番」と記憶している。しかし長崎市は被爆者手帳の申請を却下した。この申請を認めず、証言を強いること自体がひどいことだ。

金成洙さんは大牟田から三菱長崎造船所への徴用の状況をよく覚えていた。証言は、1943年8月に在日朝鮮人300人ほどが三菱長崎造船へと徴用されたことを示す貴重なものである。「漢燮さんは体調が悪く、来日できなかった。

三菱長崎造船・被爆者手帳認定訴訟には、この国の姿が示されている。長崎三菱造船への強制動員の歴史を認めないということは、そこに動員された人びとの存在を、歴史から抹殺してしまうことだ。そこに生きた人間の存在を認知しようとしないありように対して、たたかい続けること、あきらめることはできない。証言を重視し、被爆認定をすすめるべき時だ。わたしの存在、その歴史を否定するのかと声を強めた李寛模さんの怒りを忘れない。                                  (竹)

 

●6・23参加者の感想(集会後の聞取り)

◎長崎の市民のこれまでの活動の蓄積を学んだ。各地の運動と交流ができた。大まかな問題提起、各地の課題が分かり、今後についても考えた。

◎究明ネットが主催し、100人が集まり、集中して議論を聞けた。今後もこのような場を作ってほしい。支配のネットに対抗する民衆のネットワークを。

◎ユネスコの世界遺産の精神に沿って、明治産産業革命遺産を批判的に読み直すことの大切さを感じた。

◎動員された朝鮮人の家族の思いが聞けて良かった。思いを分かち合い、現状を変えたい。

◎日本政府が官邸主導で登録をすすめつつ、強制労働を否定している現状が理解できた。長崎市の平和行政の質も問われる。

◎侵略と植民地支配の果てに強制労働がある。原爆で植民地支配から解放されたという言葉から、まず侵略と植民地支配の責任について考えること、そのうえで原爆も問うべき。

◎岡正治さんの執念に学んだ。誰もやらなかったことをやり始め、負けずに続けたことがいい。

◎ダム建設など各地に残る朝鮮人労働の歴史を再確認したい。

◎三池での与論島民の歴史、リゾートの失敗の話を聞けて良かった。

◎三菱の兵器工場への女子挺身隊の動員状況など未解明の問題もあり、今後調査したい。

◎軍艦島が焦点となっているようだが、元島民を利用して、軍艦島を争点化しようとするやり口は、長崎で分断を持ちこもうとするという狙いがあるのではないか。

◎韓国から来た。各地の平和活動の報告があり、希望を感じた。民族を超えた精神的連帯があり、美しい。充実していた、エネルギーを与えてくれた。

◎普遍性を提示し、産業遺産国民会議のように旧島民の発言を利用して対立を煽るのではなく、強制労働の事実を事実として認め、そのうえで相互に承認できる歴史認識を作りたい。