夜明けの珈琲       生駒孝子

 

 

ふと目覚めると目の前に見慣れぬ男の寝顔がある

身じろぎもできず瞳孔を最大限に開き現状を探る

薄暗い外灯を頼りにフロントガラスの縁取りを結ぶ

 

ああそうか 私は十五分ほど前の会話を取り戻した

「まだ二十分くらいは眠れるから休みましょう」

「はい」ほっとした表情でシートを倒した彼は

昨夜顔を合わせたばかりの新入社員Tさんだった

定年退職後の挑戦者Tさんは夜勤などない前職だったから

疲れたのだろう、よく眠っている

 

これだから、胸の中で呟いて私は失ったものを数え始める

イマドキの女子力に欠けるのは枚挙に暇が無いが

あれは赤面ものだったと思うことがある

 

私がトラックに乗り始めて数年が経った頃、中途採用の

新入社員が大型車の研修を始めた

彼がフォークリフトの免許を研修と並行して取得した事を

私が知ったのは一ヶ月ほど経った頃だった

私は愕然とした 大型車乗務を希望する私に課長は

「もう少しリフトが上手になったらな」と言ったではないか

「女性は大型車に乗せないということなら考えさせて頂きます」

私の反乱に課長たちは慌て「女の子は4トン車で満足だと

思い込んでいた、彼のコースを渡してもいい」と回答をくれた

しかし彼の独り立ちが目前であることはわかっていた

私はいつ来るかわからない次の機会を待つことにした

 

彼がどこからその話を聞いたのか

「コースを返す」と言ってきたのは忘年会でのことだった

「そんなことをあんたに言われる筋合いはない」と十歳ほども

年上の彼の胸ぐらを掴んでふたりとも店を追い出された

ボディコンのドレスも台無しだったと苦笑いするしかない

 

初夏の明けたばかりの光に洗われる波に目を細め帰路に着く

港湾を走り抜けてきた風がわずかに塩の香を運んでくる

Tさんに珈琲を勧めながら「夜明けの、ですね」と笑いあう

母の買い物     生駒孝子

 

 

母は買い物上手な人だ

毎日チラシを丹念にチェックし

Aスーパーでは豆腐と惣菜

Bドラックストアではヨーグルト

C店では野菜と果物

売り出し特価品を中心に少しずつ買い物をする

 

自転車を上手に操っていた70代までは

自分で買い回ってくれていたが

近頃はお抱えドライバーが私の役目だ

 

「お母さんこれどう?」値札を指せば

「ダメ、高い」ひと言でバッサリ斬られる

底値も把握している母には高い買い物は

許せない罪であるらしい

店の買い物籠がいっぱいになることはまずない

 

母は買い物上手な人だ

自転車で何キロでも少しでも安いものを求めて

走り回っていた母にはガソリン代などという

姑息な計算などないのだ

母と自転車で出かけた昔、いつも追いかけるのは

子どもの私の方だった

 

母は買い物上手な人だ

でも少し高い買い物で我慢しても

たまには私とゆったりお茶でも飲んで

お昼寝してみませんか

おかあさん