T 韓国大法院 強制動員慰謝料請求権の確定 

20181030日韓国大法院判決によせて

 

●韓国での強制動員慰謝料請求権の確定

20181030日、韓国大法院は新日鉄住金に対し元徴用工への賠償を命じた。大法院は、日本の不法な植民地支配や侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的不法行為を前提とする強制動員被害者の慰謝料請求権を認定した。この権利を略して強制動員慰謝料請求権という。これが確定したのである。 

 この大法院の判決は、日韓請求権協定を両国の債権債務関係を解決するものとし、不法行為に対する請求権は日韓請求権協定の適用対象には含まれないと判断したことによる。日韓会談で日本側が植民地支配の不法性を認めなかったことが、この判断を支えている。

 朝鮮の植民地支配からの解放73年を経て、戦時の強制動員被害者の尊厳を回復する権利が実現したのである。国際社会からも高く評価される、強制労働をめぐる歴史的な判決ということができる。

 

●日本政府の植民地合法・強制労働否定論

 この判決に対して、111日、安倍首相は衆議院予算委員会で「旧朝鮮半島出身労働者の問題につきましては、1965年の日韓請求権協定によって、完全かつ最終的に解決しています。今般の判決は国際法に照らせば、ありえない判断であります。日本政府としては国際裁判も含めあらゆる選択肢も視野に入れて毅然として対応していく考えでございます。なお、政府としては徴用工という表現ではなくて、旧朝鮮半島出身労働者の問題というふうに申しあげているわけでございますが、当時の国家総動員法下、国民徴用令においては募集と官斡旋と徴用がございましたが、実際、今般の裁判の原告4名はいずれも募集に応じたものであることから、旧朝鮮半島出身労働者の問題と言わせていただいている」などと発言した。

 他にも政府関係者から「韓国は法治国家としてあり方が問われる」「両国関係の法的基盤を根本から覆す」「日本企業に不利益が生じないよう、韓国政府が必要な処置をとるべき」「暴挙」などの声が出された。

このような発言には、植民地支配は合法である、総動員体制による動員は不法な強制労働ではない、日韓請求権協定で請求権問題は解決済みであるという歴史認識がある。動員被害者の声に耳を傾ける姿勢がなく、加害への反省はみられない。旧宗主国意識は克服されず、高圧的な対応である。韓国社会への敬意が感じられない。

 

●朝鮮人の強制動員

ここで、朝鮮人の強制動員についてみておこう。

1937年の中国への全面戦争により、国家総動員法が制定され、国民徴用令による労務動員計画が立てられた。朝鮮半島からも労務動員がなされ、この動員は1939年から45年にかけて、当初は募集、42年からは官斡旋の名でおこなわれ、44年からは徴用が適用された。それによる朝鮮人の日本への労務動員数は約80万人である。当時は「移入朝鮮人」「集団移入」「移入半島工」などと呼んだ。

それ以外にも軍要員の動員では41年以降には徴用による動員がすすみ、軍属とされた。また、441月からの軍需工場の指定により、軍需徴用(現員徴用)がおこなわれ、指定軍需工場で働く在留朝鮮人や募集・官斡旋の動員者は徴用扱いとされ、動員が強化された。軍工事の徴用者や在留朝鮮人の徴用者を入れれば、労務動員朝鮮人の数は100万人を超える。

植民地朝鮮からの労務動員は政府による動員計画に従ったものであり、甘言や詐欺による募集の動員、総督府・朝鮮労務協会による官斡旋・割当、徴用適用による拒否のできない動員であった。割当分に足りない場合は不足分を再度駆り集めるという執拗な動員であり、強制力を持つものだった。企業は動員にあたり、事前に日本政府の許可を得て、朝鮮現地に赴き、動員地域を指定され、官憲の監視の下で連行してきた。募集され現場から逃亡すると、その手配書は樺太の警察にまで送られた。発見されれば、逮捕された。募集の名による動員は自由渡航ではなく、詐欺を含む強制的な集団動員だった。

このような戦時の朝鮮人の労務動員を朝鮮人強制動員、朝鮮人強制連行、朝鮮人強制労働などと呼ぶのである。これは歴史用語である。

 

●粗暴な歴史歪曲の宣伝

予算委員会答弁で安倍首相のいう国際法とは日韓請求権協定のことである。この請求権協定では、国家の外交保護権の処理が議論された。国家間の協定で個人の賠償請求権を消滅させることはできない。この協定で日本政府と企業による戦時の強制動員の真相が究明され、被害回復がなされたわけではない。

国際的な労働や人権の条約や植民地主義克服の動きから、今回の判決は十分にありえる判断である。韓国大法院の判決を日本政府が国際裁判に訴えれば、強制動員の実態が明らかにされ、それを反省しえない日本の姿勢が明らかになるだろう。毅然として対応するのではなく、植民地責任を見つめ、真摯に反省すべきである。

日本政府は募集であって徴用ではないとし、「徴用工」という用語を使わず、「旧朝鮮半島出身労働者」と言い換えている。この表現は、総動員態勢下の募集や官斡旋で労務動員され、44年に入ると現員徴用された事実を隠蔽するものである。「旧朝鮮半島出身労働者」ではなく、歴史用語としての「朝鮮人強制動員者」を使用すべきである。

日本政府がそのように表現しないのは、先に言及したように、植民地支配とその下での労務動員・徴用を合法とする認識による。そのため、植民地支配のなかで強制動員された被害者の尊厳を回復することに共感できないのである。

また、戦時の強制動員の実態についての理解がなく、訴状や判決文についての読み込みもない。4人が募集によるものとしているが、労務動員計画による国家と企業による募集や官斡旋による動員によるものであり、44年はじめには軍需徴用された。動員先で徴兵された者もいる。

韓国の大法院判決、強制動員慰謝料請求権の確定という事態に直面して、日本政府は、ありえない判決、請求権協定という国際法に違反、韓国は法治国家ではない、募集者であり強制動員者ではない、判決は暴挙などと宣伝するようになった。新たな歴史の歪曲のはじまりである。しかし、そのような宣伝は、植民地からの戦時動員の実態、国際法と三権分立などを無視するものであり、あってはならないものである。

それは知性や理性に欠ける粗暴なものであり、この強制動員問題の解決にはならない。

 

●日本製鉄への朝鮮人の強制動員

 中央協和会の「移入朝鮮人労務者状況調」によれば、日本製鉄釜石工場は1940年に政府に朝鮮人の動員を申請し、承認をえた。釜石工場への動員は1940年から始まった。八幡工場と輪西工場は1941年に動員の承認を受け、1942年から動員がなされた。さらに広畑、大阪の工場への動員がすすめられた。

日本製鉄の供託資料や厚生省の動員調査資料から動員状況を工場別にみてみよう。

日鉄の八幡工場については、厚生省勤労局調査の統計や八幡工場の報告書から、1942年に慶北、全北から921人、43年に慶北、全北から550人が動員され、44年には全北を中心に1968人、45年に381人の計3820人が動員された。供託名簿には3042人の名前があるが、住所について記されているものは少ない。

広畑工場へは、厚生省勤労局調査名簿から153人分の名前・住所などがわかる。
広畑へは1945年4月に伊川・平康などから83人が連行された。5月には赤穂炉材工場から江原楊口出身の50人(45年2月連行)、、高砂炉材工場から寧越出身の20人(45年2月連行)が転送された。

釜石工場には、日本製鉄の供託資料から、1940年から41年にかけて全南長興から、42年には全南和順・谷城から、さらに忠南公州、保寧、瑞山、大徳などから動員されたことがわかる。43年から45年にかけて忠清道からの動員がすすめられた。総数で1263人となる。名前と住所がわかる名簿が690人分残っている。

大阪工場へは、日本製鉄の供託資料では1943年に忠北清州40人、平壌63人、44年に江原44人、45年に江原平康50人が動員され、計197人の名前と住所を確認できる。

日本製鉄の工場への動員数は、八幡工場に約4000人、釜石工場に1263人、広畑工場に約200人、輪西工場に約2700人、大阪工場に約200人などであり、判明分で8000人以上となる。神奈川の富士工場への動員もなされた。また、八幡、広畑、室蘭などの日鉄関係の港湾労働、日本製鉄の子会社である日鉄鉱業にも数多くの朝鮮人が動員された。たとえば、日鉄八幡港運、日鉄鉱業二瀬炭鉱への動員数はそれぞれ4000人ほどになる。

日本製鉄、日鉄港運、日鉄鉱業への連行数は3万人を超えるとみられる。今回の裁判の原告4人は八幡、釜石、大阪の工場に動員された人びとである。

 

●朝鮮人原告の証言@大阪工場

 日本製鉄に動員された朝鮮人原告の証言をみてみよう。

呂運澤さんは1923年、全羅北道生まれ、平壌の床屋で働いていたが、錬成所に行かされた。19439月ころ、大阪工場の募集広告を見たが、待遇はいい、2年勤めれば技術者資格をとれ、朝鮮に戻れば資格者として働くことができるというものだった。募集に応じると、協和訓練隊に入れられ軍事的訓練を3日間受け、釜山から大阪に動員された。寮では格子窓の一部屋に4人が入れられ、だまされたと感じた。軍事訓練では動作の遅いものは銃で殴られた。クレーンを操作し燃える1000度以上の平炉に材料を運ぶ仕事をさせられた。朝鮮人は日本人指導員からよく殴られた。給料の具体的な額は知らされず、小遣い程度に2〜3円が渡され、あとは強制貯金させられた。19442月ころ、寮の舎監に募集できた朝鮮人は徴用されたと言われた。徴用者は作業服に赤と青の布で表示された。空襲や事故で亡くなった者もいた。19456月、朝鮮の清津に異動となった。貯金通帳は渡されず、清津では一円も受け取れなかった。

呂さんは、会社は、騙して強制的に連れてきて酷使し、賃金も支払わず、戦後、政府の指示で供託したが、その責任を取るべきという。

 申千洙さんは1926年、全羅南道生まれ、平壌の食堂で働くが、日本の製鉄所の待遇が良く、家に送金できるなどの募集広告を見て応募した。大阪の製鉄所で働き、技術を学び、朝鮮で再就職できると説明を受けた。19439月ころ、協和訓練隊で3日間の訓練を受け、釜山から下関を経て、2期生として大阪工場に動員された。朝鮮人の寮は木造2階建てで1階の窓には格子があり、門には見張りがいた。溶鉱炉に石炭を入れ鉄の棒で分散する作業をさせられた。思っていた仕事とは全く違うものだったが、指示どおりに働くしかなかった。舎監から逃げてもすぐに捕まると脅迫され、工場には警察がよく来ていたので、すぐに捕まると思い、諦めた。1944年には徴用され、逃げたら家族に不利益を被ると脅迫され、監視が厳しくなった。給料は強制的に預金され、通帳と印鑑は舎監が保管した。1944年、徴兵されると聞き、逃げる話をしたら密告され、木刀で20回ほどひどくたたかれ、さらに数えきれないほど殴られ、半殺しの目にあった。軍の召集通知が来る前に清津に異動となった。ソ連軍の攻撃のなか、命からがらソウルに戻った。

申さんは、自由を奪われ奴隷のような境遇での強制労働だった、謝罪と未払い金の支払いを通じて真の和解をすべきという。

 

 ●朝鮮人原告の証言A釜石工場・八幡工場

 李春植さんは1924年、全羅南道生まれ、太平洋戦争直前の17歳の時(1941年)、忠清道の大田府による学生80人の日本への報国隊の募集に参加し、日本製鉄の担当者の引率で釜石に動員された。2階建の寮が5つあった。一部屋に8人が入った。仕事はコークスを溶鉱炉にすくい上げ、鉄が出れば、窯に入れるという重労働だった。要領よくふるまうものは憲兵に足蹴りにされた。鉄の不純物に足をとられ、腹を縫って3か月入院したこともあった。現金を支給されたことはなく、いくら貯金されたのかも知ることができなかった。1944年に徴兵され、龍山の部隊で3か月訓練し、神戸の米軍捕虜収容所の監視員とされた。軍で10か月ほど勤務して、815解放を迎えた。未払い賃金を受け取りに釜石に行ったが艦砲射撃で工場は全壊していた。

 李さんは、残酷な環境下で労働を強いたが、その未払金を支払い、強制労働への賠償をすべきという。

 訴訟途中で取り下げた李鐘浮ウんは忠清南道保寧郡出身、194210月ころ村の区長に日本に行くよう指示され、同年代の70人ほどが集められ、保寧から釜石工場に動員された。釜石では落ちた鉄鉱石をシャベルですくってベルトコンベアにあげる仕事をした。

 金圭洙さんは1929年、全羅南道生まれ、全羅北道の群山で植字見習い工として働くが、19431月ころ群山府からの徴用令状により、八幡製鉄所に動員された。妙見の訓練所に収容され、2週間、職業と軍事の訓練を受け、八幡構内の北信号所に配置された。そこで線路を変更するポイント操作と脱線防止の手入れをさせられた。幼い年で動員され、腹もすき、故郷が恋しくて、日夜泣いた。友人と逃げたが捕まり、7日間、拷問と飢えの恐怖の日々をすごした。外出が許されない中で働いた。815となり、舎監が旅費を渡し、9月に現地で合流した30人ほどで漁船を借りて出港したが、台風にあい、2日間漂流し、対馬に上陸して命拾いした。

金さんは、賃金は一銭も受け取っていないのに、供託金は40円とされている、会社は責任を回避するために意図的に賃金記録を操作し、額を減らして供託したと考えられる。労役に謝罪し、賠償すべきという。

以上が、日鉄訴訟での原告の強制動員・強制労働の状況である。

 

●日鉄での朝鮮人強制動員と労働

朝鮮人の強制動員は植民地支配のなかで創氏改名などの皇民化政策を強め、日本の侵略戦争に朝鮮人を組み込む形でおこなわれた。朝鮮人の精神を操作するという形で支配力を強めたのである。その下で、鉄鋼統制会は工場への動員をすすめ、甘言を弄して募集した。 

原告らは各地の工場に集団で連行され、収容施設に入れられた。工場では技術習得ではなく、危険な重労働に投入された。賃金は逃亡防止にために強制貯金され、小遣い程度が渡された。警察と企業の労務担当の監視の下、外出は制限され、逃亡することをあきらめるものも多かった。労災や空襲で亡くなる者もいた。逃亡計画がわかると殴打された。多数の未払金があり、返還されていない遺骨もあった。

それは、欺罔による集団動員であり、強制労働だった。今回の判決では、この強制動員を反人道的不法行為と認め、慰謝料を支払うように命じたのである。

 

●北東アジアの平和と人権への構築へ

原告は募集や官斡旋による労務動員者であり、1944年はじめには在籍し、軍需徴用(現員徴用)された。そのため、徴用工ということができる。そこでの労働は移動の自由のない強制労働であった。逃亡を防止するため強制貯金がなされ、未払金も多いが、戦後に供託された額は操作され、過少に記されているものもある。

 日本政府は、強制動員や徴用工の表現を避け、「原告4名はいずれも募集に応じたものであることから、旧朝鮮半島出身労働者の問題」と表現するが、それは強制連行・強制労働の実態を隠蔽するものである。戦時の強制動員者を「旧朝鮮半島出身労働者」とする表現は撤回すべきである。

日本政府が国際法を語るのであるならば、ILO条約勧告適用専門家委員会が1999年に朝鮮人強制連行をILO強制労働禁止条約違反と認定し、被害者が納得する形での問題解決を勧告してきた歴史を振り返るべきである。日本政府はこの勧告を無視してきた。その結果が今回の判決となった。

 日韓請求権協定は植民地支配の不法を認めるものではなかった。そこでの処理は債権債務に関するものであり、強制労働への賠償問題は処理されていない。今回の韓国大法院判決での強制動員慰謝料請求権の確定はこの問題を解決するものである。

日韓の友好は日本が植民地責任をとることから始まる。日本政府は、植民地支配の不法性、その下での強制動員(強制労働)に事実を認知すべきである。韓国政府は、強制動員問題の解決への過去の不作為を反省すべきである。強制動員に関わり、その歴史を継承する日本企業はその事実を認知し、日韓政府とともに解決に向けて、共同の作業をはじめるときである。共同で財団を設立し、賠償基金を設立することもできるだろう。

今回の判決は日韓の友好やその基盤を破壊するものではない。強制動員慰謝料請求権の確定を人類史の成果として評価し、強制労働被害者の尊厳回復・正義の実現の地平から、あらたな日韓の合意を形成すればいいのである。過去を清算すること、強制動員問題をはじめ植民地責任をとろうとする真摯な取り組みが、信頼を生み、北東アジアの平和と人権への構築につながるのである。            (T)

 U 強制動員慰謝料請求権の確定 ―包括的解決へ   

                                 

2018年10月末、韓国大法院は、強制動員を不法な植民地支配と侵略戦争による反人道的不法行為とし、日本企業に対する強制動員被害者の慰謝料請求権を認定し、新日鉄住金に賠償を命じた。11月に入り、三菱重工業に対しても同様な判決を出した。

 

慰謝料請求権確定

 

「強制動員慰謝料請求権」が確定したのである。それは戦争被害者の30年に及ぶ尊厳の回復をめざす運動の成果である。まさに歴史的、画期的な判決だ。

これに対し、安倍首相は、日韓請求権協定により完全かつ最終的に解決している、国際法に照らせばありえない判断、徴用工ではなく旧朝鮮半島出身労働者の問題などとし、韓国政府を批判した。

それを受け、メディアも「韓国は法治国家なのか」、「ボールは韓国にある」などと宣伝した。強制動員被害の実態を示すことなく、韓国側を批判する記事が多い。

しかし問われているのは、日本の植民地責任である。

 

植民地合法論

 

日韓条約の交渉で、日本政府は韓国併合を合法とし、その立場を変えることなく日韓請求権協定を結び、賠償ではなく、経済協力金を出すとした。

日本政府はいまも、植民地支配を合法とし、その下での動員も合法とする。そのうえで、請求権協定で解決済みと宣伝し、戦時の強制労働も認めようとしない。その責任をとろうとしないのである。

このような植民地支配を不法と認めない対応が、逆に今回の韓国の大法院判決をもたらしたとみることができる。

韓国の大法院は、日韓請求権協定で扱われたのは民事的な債権・債務関係であり、不法な強制動員への慰謝料請求権は適用対象外としたのである。

このような判断は論理上、ありえるものであり、請求権協定に反する判断でもない。

 

戦時動員の強制性

 

戦時に日本は総力戦をすすめ、朝鮮人の名前まで奪うという皇民化政策をすすめた。

国家総動員態勢により、朝鮮からも資源を収奪し、朝鮮から日本へと約80万人を労務動員した。また、軍人や軍属で37万人余りを動員した。

それは甘言や暴力などの強制力なしにはできないものだった。独立を語る者は治安維持法違反とみなされ、処罰された。

日本の朝鮮統治を合法とすることは、三・一独立運動を不法とみなすことになる。それは三・一独立運動を国家形成の起点とする韓国政府を否定することにもなる。

植民地合法論では、日韓の友好関係は形成しえないのである。

 

敗者のすり替え

 

NHKは10月30日の「元徴用判決の衝撃」で、痛手を被ったのは被告企業ではなく、むしろ韓国政府だともいえるのでは、と解説した。

判決に従えば、際限のない賠償責任を負わされるとし、問題が蒸し返されたとする側に立った。

そして、企業は日本の裁判所が認めない限り、日本国内で賠償に応じる必要はない。元徴用工は韓国政府による救済措置に不満を持っている。韓国政府には被害者を救済する責任があると、結論づけた。

NHKは、安倍政権の主張に同調し、韓国の判決の歴史的意義を明示することなく、敗者をすり替えたのである。

 

権力の論理の破綻

 

朝日新聞の10月31日のソウル発の記事には、司法の命によって請求権協定が破壊され、日韓関係が破綻に近い打撃を受けかねないと記されていた。

だが、今回の判決で破綻するのは、権力の側の論理だ。植民地合法論の下での経済協力金では、解決されないものがあるとされ、該当企業は賠償を命じられたのである。

記事は権力の視座に立つのではなく、被害者の痛みに共感するものであってほしい。

 

外務省の認識

 

日本の外務省も、2018年11月14日の衆議院の質疑で、請求権協定では、個人請求権は消滅せず、この協定に慰謝料請求権は含まれないことを認めた。

しかし、メディアはこれを大きく報じなかった

安倍政権は、外務省が認めたように、慰謝料請求権については請求権協定では解決されていないという見地に立ち、問題を整理すべきである。

 

問題の包括的解決

 

韓国の大法院判決により、強制動員慰謝料請求権は確定した。これを基礎に日韓両政府は、65年協定を克服する新たな日韓の合意形成に向かうべきである。

植民地責任を明らかにし、植民地主義を克服する動きは、国際的潮流となった。被害者の目線に立ち、強制動員被害の包括的解決に向けて基金の設立など知恵を絞るべきだ。

強制動員について、その強制性を示す証言や資料は数多い。ジャーナリストはそのような証言や資料を紹介してほしい。そのペンの力は、未来を構想する共同性を導く。(T)