2020年強制動員犠牲者遺骨返還・済州島シンポジウム
2020年11月14日、韓国・済州島で強制動員遺骨返還に関する国際シンポジウムが開催された。シンポジウムでは、日本からの遺骨返還だけでなく、タラワでの遺骨収集と被害者の確認、海南島での遺骨の状況、済州島4・3事件の遺骨、済州島の軍事遺跡と軍事化、ナチス強制労働資料館の案内、ラテンアメリカでの遺骨発掘などの報告もなされた。
タラワでの遺骨収集と被害者調査の報告では、被徴用死亡者連名簿の「内本炳連」が「崔秉淵」であることが示された。南洋に動員された軍属では、いまも名前を奪われ、遺骨も放置されたものが数多い。そのような朝鮮人動員者のひとりの実態が示された。
遺骨返還をめぐり出された主な提起は以下である。
強制動員資料を韓国政府の倉庫から公開すること
韓国での強制動員資料のデータベース化、特に被害者のデータベース化
その強制動員データベースを開放的なシステムとすること
日本での自主的な調査との連携
韓国政府の行政安全部と強制動員被害者支援財団の強化
韓国政府による遺骨問題の日本への積極的な働きかけ
人道的次元からの遺骨発掘作業による日韓関係の発展
人道的次元だけでなく、動員した日本政府の責任ある姿勢が大切
日韓政府の遺骨の協議体の復活と解決へのロードマップの作成
日本政府の遺骨の所属集団分析に韓国や台湾からの動員者を入れさせること
遺骨返還では、無縁遺骨でも公共機関による公告手続きを必ず行うこと
真相究明がなされて奉還すべきであり、それなき哀悼は単なる事業にすぎないこと
大義名分や功名心での遺族との同意なき奉還で、犠牲者や遺族の苦痛を加重させない
以下は、国際シンポジウムの強制動員遺骨返還の部での竹内の討論報告である。
1 新たにすすむ強制動員の歴史否定
2020年は日本の敗戦、朝鮮の解放から75年ですが、強制動員の歴史否定の言説が強まっています。
ひとつは、2018年の韓国大法院での強制動員判決に対する日本政府の対応です。安倍政権は戦時の強制労働を否定し、動員企業への賠償を命じた判決を国際法違反と宣伝しています。また、明治産業革命遺産に関する動きですが、2020年に一般公開された日本政府(内閣府)による「産業遺産情報センター」では、端島炭鉱(軍艦島)を例に、強制労働はなかったという主旨の展示をおこなっています。
さらに韓国の右派の宣伝である「反日種族主義」が日本でも宣伝され、強制労働も差別もなかったという宣伝がなされています。
朝鮮人強制労働が大法院判決や産業遺産を巡って問題となる中で、日本政府(安倍政権)は朝鮮人強制労働を否認しました。このようななかで、人道・現実・未来志向の原則があるとはいえ、強制動員被害者の遺骨の返還ができるのでしょうか。
「遺骨を遺族の手に」は当然の願いであり、それは国家責任を超える感情です。けれども、強制労働の認知なき返還であってはならないでしょう。まずは日本政府が、いまは菅政権ですが、強制労働を認知すべきです。
2 民間による韓国への遺骨返還での問題点
朝鮮人遺骨についてはこれまで民間による韓国への遺骨返還が行われてきました。いくつかの事例をみてみます。
第1に、1973年の在日本韓国居留民団長﨑支部による全南木浦の慰霊塔への長崎の遺骨の移動です。遺骨は1985年には望郷の丘へと移管されていますが、この遺骨は朝鮮人聯盟長崎県支部が保管していた遺骨です。その遺骨を日本政府が接収し、誠孝(じょうこう)院で保管することになったものです。長崎の市民団体による納骨堂建設の動きがあるなか、その動きを無視し、1968年に民団長﨑支部が遺骨を運び去り、1973年に木浦に移動したというものです。そこには、朝鮮北部から長崎造船所に動員された朝鮮人遺骨も含まれていました。北の遺骨に関して遺族への連絡はなされないままです。2005年には、韓国での真相究明の動きの中で、長崎の伊王島炭鉱への連行者の遺骨が遺族へと返されています。この遺骨の返還は長崎地域での市民間の合意はなく、遺族への連絡はなされず、北部出身者の遺骨も運ばれているのです。
第2に、1977年の北海道韓国殉難者遺骨奉還実行委員会による返還についてみてみます。この遺骨は現在、望郷の丘にあります。返還時の遺骨名簿が残され、韓国での情報公開で2018年に小林知子さんが収集していますが、その名簿には遺骨の連絡先などは記されていません。その名簿を竹内調査名簿と照合したところ、北炭幌内、住友歌志内など朝鮮人遺骨も存在していることがわかります。現時点で遺骨の住所が判明するものもあるわけです。今からでも遺族に連絡すべきでしょう。これらの遺骨は韓国に戻されることが主眼であり、氏名は提示されても、住所が記されていなかったことから遺族への連絡はなされていないとみられます。
第3に、1976年に壱岐で発掘された遺骨についてみます。現在は壱岐の天徳寺に保管されていますが、三菱重工業広島工場に動員され、遭難したとみられる人々の調査の過程で発掘されたものです。発掘状況から三菱の関係者の遺骨とはみられませんが、発掘された遺骨は、対馬での発掘遺骨を含め、厚生省の管轄となり、金乗院(埼玉)に保管されていました。それが、2018年に天徳寺に移され、慶北・水谷寺への移管の話も出ています。壱岐で供養すべきか、韓国に移すべきか、その際、動員に関わった政府はどう責任をとるのか、十分な議論が必要でしょう。壱岐にはまだ遭難し、未発掘の遺骨が存在するといいます。とするならば、殉難地での追悼の継続も必要でしょう。いまある遺骨を返還すれば、それで終わるというわけではないわけです。
第4に、2009年に「太平洋戦争犠牲者奉還委員会」という団体による遺骨詐欺についてみてみます。2009年8月に戦時の死者110人分の「遺骨」が慶南梁山市の天仏寺に運ばれ、「慰霊祭」がなされました。当時、強制動員被害真相糾明委員会は、遺骨にはすでに返還されたものもあり、信用できないと指摘し、その自制を求めたが、聞かずにおこなわれました。これは、竹内調査名簿に、日本で集めた別の「遺骨」を当てて「奉還」するという遺骨詐欺の動きでした。このような行為は日韓の市民の遺骨返還の共同作業を妨害するものです。
第5に2010年の望郷の丘への静岡県の清水の遺骨返還についてみます。この遺骨は、清水地域に動員され、あるいは戦後に無縁となった遺骨が集められ、新たに1991年に共同墓地に朝鮮人納骨堂を建立して、追悼されてきたものです。遺骨の返還後、静岡市は老朽を理由に納骨堂を2019年に入って、解体してしまいました。歴史的建造物が何もなかったかのように消されてしまったのです。
第6に、近年すすめられている福岡県北九州市の永生園の遺骨返還の動きについてみてみます。1973年に在日大韓基督教会小倉教会に納骨堂(永生園)が建立され、筑豊の炭鉱周辺の寺院から遺骨が収集されました。2019年に入り、市民団体によって遺骨名簿が作成され、残されていた遺骨の資料や竹内調査名簿から連絡先が判明したものもあります。現在、強制動員被害者支援財団と連携し、遺族調査をはじめています。永生園のすべての遺骨を返還するのではなく、現地で追悼しつつ、遺族が判明したものから遺族に返還するという動きです。福岡県飯塚市の無窮花堂も同様の形で返還を進めてきました。
第7に、日本に残る朝鮮人の遺骨は戦時の強制動員による遺骨と渡日して無縁となった遺骨があります。すべてが強制動員者の遺骨ではありません。ところが、近年の返還事業で、全てを強制動員遺骨、徴用者遺骨と宣伝する例が複数みられます。返還団体による政治的宣伝であり、誤っています。
いくつかの事例をみてきましたが、これまでの問題点としては、韓国への送還を目的とすることで遺族調査が不十分な事例があること、真相究明について未公表のままの返還があったこと、返還団体の政治的宣伝とみなされかねない行為もあること、全ての遺骨を強制動員被害者と表示する誤りなどがみられます。
3 韓国への遺骨返還に関する留意点
このような事例をみてみれば、以下のような留意点が必要であると考えます。
① 遺骨を韓国に送還だけでなく、遺族への返還を原則とすること
② 真相究明を伴う返還であること
③ 朝鮮人遺骨のすべてを強制動員被害者としないこと
④ 返還を返還団体の政治的社会的利益としないこと
⑤ 日本現地での遺骨の保管・追悼の継続もありえること
⑥ 日韓両政府が再協議し、返還担当機関を設置すること
今回の小林知子報告が示すように、遺骨の返還は友好の起点です。中国人の遺骨返還の動きに学ぶとともに、中国人の遺族の調査は1990年代に入ってすすんだことも留意すべきでしょう。また、呉日煥報告が指摘するように真相究明の活動により収集された資料の全面公開、データベース化が求められます。とくに、動員者名簿、死亡者名簿(出身地、動員先、死亡状況を含む)の作成・公開が求められます。
済州島からも日本や南洋へと数多くの朝鮮人が動員されています。データベースにすればそれを一覧でき、被害状態の理解も深まります。それらの資料は、強制動員の歴史否定の動きを撃つ力となると思います。情報公開は民主主義の基礎です。
呉日煥報告での、強制動員遺骨返還をめぐっては、強制動員の犠牲者の身元確認や遺族の確認など公的な手続きのないまま犠牲者の遺骨を競争的に奉還すること、市民団体が任意に発掘することで遺骨の棄損や亡失、犠牲者と遺族の意思に反する非人道的結果をもたらしてしまうことという指摘に留意すべきでしょう。
2004年12月日韓首脳会議以後の調査とその挫折をふまえ、遺骨返還に向けての日韓政府間協議の再開が求められます。北の遺骨の返還についての協議もすすめるべきでしょう。なお、宗教的・人道的に進められる遺骨の送還が、強制動員の政治的責任の隠蔽をもたらさないよう留意すべきでしょう。
(竹内)